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「追悼 森眞吾先生」名古屋画廊で2023年10月2-7日に開催

名古屋画廊(名古屋)2023年10月2〜7日

愛知県半田市の画家、森眞吾(森真吾)さんが死去‥‥

 愛知県半田市の画家、森眞吾さんの追悼展が2023年10月2-7日、名古屋画廊で開かれます。いつ亡くなられたのでしょうか。新聞の訃報は毎朝、確認していますが、掲載されていないはずです。

 名古屋画廊の方によると、今夏に亡くなられたとのことでしたが、その後、8月7日に旅立たれたとお聞きしました。

 筆者は、新聞記者時代、当時、名古屋・栄の広小路通り、日興証券ビル地下にあったギャルリーユマニテや、伏見の白土舎などで取材しました。最近まで、画廊などでお目にかかったこともあります。残念です・・・。

 今回の追悼展は、名古屋画廊の収蔵作品で構成されている。

名古屋芸術大で副学長 旺盛な制作を続ける

 森眞吾さんは1937年、愛知県武豊町生まれ、半田市育ち。1958年、愛知学芸大学(現・愛知教育大学)在学中、行動展に初入選。

 大学卒業後、3年間、中学教員を務めた後は、職を辞して作家の道を選び、行動美術協会を主たる発表の場とし、若くして評価を確立した。

 1964年、第6回現代日本美術展に出品。《僧院》《王》でシェル美術賞展・佳作賞を受賞。1965年、 “傭兵シリーズ”で行動美術協会展・行動美術賞を受賞、同会会員に推挙。1969年、同会を退会。その後も、旺盛な制作活動を続ける。

 森眞吾さんは、加藤大博さん、稲葉桂さんらと、1968年に「造形室アロ」を結成。野外展や建築物の造形を手がけ、同世代の吉岡弘昭さん、鯉江良二さん、杉浦イッコウさんらとも交誼を結んだ。

 1970年代以降はギャラリー上田(東京)、名古屋画廊(名古屋)、ギャルリーユマニテなどで発表を重ねた。名古屋芸術大学で長く後進の指導にあたり、教授、副学長を歴任した。

 1980年に名古屋市芸術奨励賞。2001年には、元名古屋ボストン美術館館長で俳人の馬場駿吉さんと、俳句とのコラボレーションによる「幻視の博物誌」展を白土舎で開くということもあった。

 認知症を患っていた洋画家の妻を介護し、看取り、命のうつろい、日常の時間、生きることと向き合いながら、独自の抽象画を描いた。

 2014年には、碧南市藤井達吉現代美術館(愛知)で、「森眞吾展-汽水域に生きる-」が開催された。

 副題の「汽水域に生きる」は、森さん自身が付けた。半田という、森さんが育った地域を指すとともに、そこに、具象と抽象、ドローイングとペインティング、過去と現在を行き来する自由な自分自身を重ねたものだった。

 2015年に、愛知県芸術文化選奨文化賞。2016年、79歳の新作展として、SHUMOKU GALLERY(名古屋)で開いた個展「鎌鼬」では、空間を切り裂くようなイメージ、エネルギーに満ちた境地を見せた。

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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