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秘密の内包/国島征二展 masayoshi suzuki gallery(愛知県岡崎市)で2023年2月4-26日

masayoshi suzuki gallery(愛知県岡崎市) 2023年2月4~26日

国島征二 《黒い袋》の問いかけ

 2022年3月7日に亡くなった国島征二さんの追悼展である。逝去後、各地の画廊で追悼展が開かれたが、今展もその1つ。

 今回の追悼展は、切り口が独特である。1973年に制作された立体「FUKURO-Black」(黒い袋)を再展示することで、その作品を、もともと画家だった国島さんが立体、彫刻を制作することになる転換点と捉え、問題提起をしているのである。

国島征二

 初日の2月4日には、トークイベントが開かれ、鈴木正義さん(masayoshi suzuki gallery)の司会のもと、岡崎市美術博物館学芸員の今泉岳大さんが国島さんの作品の展開について解説した。筆者も呼んでいただいたので、ところどころでコメントをした。

 筆者が芸術批評誌『REAR』の49号に書いた追悼文「美術家・国島さん」でも触れたが、筆者をはじめ1990年代以降に国島さんの作品を見るようになった者は、1960~80年代のことをリアルタイムで知らない。

国島征二

 また、国島さん本人も生前、作品についてはあまり多くを語らず、文献資料も極点に少ない。

 そんな中で、今回の展示は、「FUKURO-Black」(1973年)を中心に、1960年代から80年代の作品とともに、国島さんの作品の展開、評価について問い直すものとなっている。

 それは、絵画、平面から「FUKURO-Black」を経て、「積層体」の連作など、アルミニウムを使った彫刻へと移行した背景、そして、国島さんの作品の原点を考える試みでもある。

国島征二

 言い換えると、これまで評価どころか、ほとんど存在すら知られていなかった「FUKURO-Black」を軸に、60-70年代の作品展開を見せることで、従来とまったく異なる国島さんの作家像が見えてこないかと問いかけている。

 トークイベントは、今泉さんがこの追悼展に合わせて書いた論考「国島征二の《黒い袋》についての考察」をもとに進められた。会場の参加者を含め、熱い意見が交わされた。

国島征二

 今回の展覧会に合わせて、画廊が制作した冊子「国島征二1960-1980」は、今泉さんの論考をはじめ、過去の主要な作品写真、新聞記事などを収録していて貴重な一冊となっている。同画廊で入手できる。

秘密の内包 2023年 masayoshi suzuki gallery

 「FUKURO-Black」(1973年)は、前の所有者が亡くなった2003年以降、masayoshi suzuki galleryの鈴木さんが引き継いで保管していた。

国島征二

 生前、国島さん自身が、絵画から彫刻へと移行するきっかけとなった大事な作品であると明言していた作品である。

 サイズは高さ155センチ、幅117センチ、奥行き59センチで、2点が対になっている。最初は、1973年に京都のギャラリー16で展示したとのことである。

 また、前年の1972年にも、この《黒い袋》の別のバージョン3点が名古屋の桜画廊で発表されている。国島さんの本格的な立体作品の最初のものとされる。ちなみに桜画廊での初個展は1967年である。

国島征二

 今泉さんや鈴木さんのリサーチによると、《黒い袋》は、小麦粉などの輸入に使われた巨大な袋の中に水膨張性のウレタン樹脂を詰めて成形した。

 今泉さんの論考では、この《黒い袋》をその後の作品展開にとって重要な転機とみている。

 また、桜画廊オーナーの藤田八栄子さんの残した言葉を手がかりに、《黒い袋》のルーツを、国島さんが生まれ育った名古屋港近くの中川運河の河口付近の風景や、国島さんの生い立ちから分析している。

国島征二

 具体的には、戦後の経済成長に伴い、黒い工業排水によって汚染した中川運河の風景、精肉店で働き、屠殺・肉の運搬などに関わったことなどが国島さんの作品に影響しているのではないかという推論である。

 分析は、この時期の作品によく現れた紙袋のイメージや、中が推しはかれない黒い袋の外と内の関係、《黒い袋》が置かれた、グリッドの線が引かれた台座などにも及んでいる。

 今泉さんは、これらと、その後のアルミニウムによる積層体や「wrapped memory」等との関連について推論している。

国島征二

 国島さんは、彫刻や絵画の形式や、コンセプトから、戦略的に作品を制作するタイプではなかったし、知的な遊戯としてのアートを前面に打ち立てるというよりは、自分が存在すること、自分がどう生きるかということを根底に、死ぬ直前まで作品をつくり続けた。

 そうだからこそ、生きること=制作することを貫くことができたのだし、国島さんの生き方そのものがアートだったという言い方もできる。

 今泉さんの論考は、国島さんの作品のさまざまな可能性を提示していて、作品の新たな見え方、意味内容を示唆するものとなっている。

国島征二

 実際に1960-80年代の作品に触れ、それらとの関係で90年代以降の作品を見ると、国島さんの作品に対するこれまでのイメージを凌駕するものが立ち現れてくる気がする。

 ぜひ多くの美術関係者に今回の展示を見ていただき、国島さんのアーティストとしての存在、作品とその展開への認識を更新してほしいと願うばかりである。

国島征二

 国島征二さんの追悼展にはほかに、「追悼 国島征二展 ギャラリーサンセリテ(愛知県豊橋市)9月10-27日」「国島征二 鯉江良二 献杯夏 L gallery(名古屋)で8月6-28日」、「国島征二展 記憶の成層圏Ⅸ-SEALED TIME- L gallery(名古屋)で6月25日-7月10日」などがある。

 また、生前、愛知県岡崎市のノブギャラリーやmasayoshi suzuki gallery、名古屋市のL ギャラリー、岐阜市のなうふ現代、豊橋市のサンセリテなどで個展を開いてきた。

 他の関連記事として、「ふるかはひでたか展 なうふ現代(岐阜市)で9月3-25日」「3:IA/magazine創刊記念展「境界」masayoshi suzuki gallery(愛知県岡崎市)で2022年8月6日-9月4日」「鯉江良二へのオマージュ展 ギャラリー数寄(愛知県江南市)で8月6-21日」「陶芸家の鯉江良二さんが死去」「国島征二 土屋公雄二人展 masayoshi suzuki gallery」がある。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

 

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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