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「俺が代」「日本国憲法を踊る」の凄み—愛知県芸術劇場

「俺が代」「日本国憲法を踊る」の凄み—愛知県芸術劇場

 この春、名古屋で見た舞台でどうしても書きたくなったのが、平成時代の終わりに当たって4月中旬から5月上旬にかけ、「さよなら平成ツアー」と題して名古屋、東京、沖縄で再演された劇団「かもめマシーン」の「俺が代」である。主宰の萩原雄太さんは、2013年度のAAF戯曲賞を受賞した「パブリックイメージリミテッド」の上演(2015年2月)に際し、新聞記事の取材でインタビューしたことがある。(写真はいずれも©︎羽鳥直志)

研ぎ澄まされた「俺が代」

 名古屋の会場は愛知県芸術劇場小ホール。「ミニセレ」の一環で4月19、20日にあった2公演のうち、19日に見た。このwebサイトの実質的な立ち上げが6月初めだったため、公演から記事掲載まで2カ月もあいてしまったが、重厚な印象は失われていない。

 舞台は、清水穂奈美さんの一人芝居。一本の鋼鉄の木と、雨なのか、そこに滴り落ちる水。ゆっくりとした動きで舞台に歩んできた清水さんが一人、日本国憲法のテキストを朗読し、パフォーマンスを展開する。力のこもった言葉、体勢を低めに一つ一つの動作をしっかり統御した流れ。気功や太極拳などの身体メソッドを応用した身体性を模索しているという。俳優は憲法の前文、天皇制、平和主義、人権などを厳粛な空気の中で読み上げる。朗読とは書いたが、比較的な落ち着いた抑揚から朗詠っぽいものまで声調は変化し、展開は飽きさせない。もともと解釈の違いがあろうとも、人権、統治機構など崇高な理念に従い編まれた憲法だけに、改めて強い身体性を持って発せられたテキストが、ごく普通に耳に届くだけで十分に高密度で伝わってくる。もちろん、日本国憲法のテキストを読むだけでもその濃度は心に響くが、身体から発せられる発話の力、演劇の直截な表現性がさらに重力を加える。

かもめマシーン「俺が代」

 清水さんのパフォーマンスは、1946(昭和21年)11月の憲法公布、翌47(昭和22)年5月の施行前後のやりとりも取り上げ、例えば、憲政の神様と言われた尾崎行雄の昭和21年8月24日の本会議演説などは、これを聞けただけでも感動もの。良い憲法を作れば国が良くなるということではない、良い憲法を作るのは容易でも実行するのは非常に難しいと、まさに日本の今、世界の今を言い当てている。そして、この尾崎翁の演説は、萩原さんの舞台の核心とも見事に符合する。他にも、芦田均の演説、当時の文部省が作った「あたらしい憲法のはなし」などから引用。ある時、一転、女はこれまでの朗読中とは空気を一変させ、何かが憑依したかのように体を絞りあげ、憲法の「日本国民」を「俺」に変換した激しいアジテーションのようなパフォーマンスへと至る。

 身体を通した日本国憲法の発話という今回の行為。それは、憲法に書かれた「日本国民」=私たち、という本来一人称の複数形があまりに弱々しく、他人事の三人称にしかなっていないという憲法との距離感、国民とは何なのかを問いかける。日本国民は一人一人の「私」そのものから成り立っていることを形式論でなく、「俺」という、現に生きている「本当の一人称」の太字で上書きして考えないと、主権在民も雲散霧消するのではないか。主権者である俺は、国に殺される、憲法を忘れた日本国民である俺自身によって殺されるのではないか。本作は、その問いかけでを孕んでいる。

 加えていうと、この作品では、日本国憲法の英語の翻訳が後方のスクリーンに投影された。母語でない言語を視覚的に見ることで、テキストを客観的に咀嚼しつつ、ある程度親しんだ日本語の憲法の文言と照合させる中で、演劇的身体によって日本語が発話されるため、その声が突き刺さるように見る側の身体を貫き、会場にいる者に反応を要求してくる。それは憲法への自覚だと言ってもいい。萩原さんは、日本国憲法のテキストは「フィクション」であり、この作品は憲法への賛否を問うものものでも告発でもなく、演劇によって、その手触りに触れることが主眼だと強調している。

自分の言葉にできるか

 「君が代」に対し「俺が代」をタイトルに据えたこの一人芝居を、私自身は、たとえ、この憲法の制定経緯がどうであれ、戦後民主主義の出発、そして現在の私たちが生きることを象徴する文章として覚醒する、「君の代(世)」でなく「自分の世」として引き受ける、俺が主権を遂行する、そんな趣旨と受け止めた。尾崎翁の言う通り、憲法はそれだけなら言葉に過ぎないのだから、生活の中でパフォーマンスを実行しなければ、国家権力という擬制の言いなりになる。それは戦前と同じでないか。改憲か護憲かに関わらず、憲法に向き合うことを萩原さんは繰り返し説いている。そうであるから、左派とか右派というレッテル貼りこそ避けねばならない。

かもめマシーン「俺が代」

 2019年5月に亡くなった文芸評論家、加藤典洋さんの4月刊行の書「9条入門」が手元にある。歴史学者の与那覇潤さんが朝日新聞5月26日の追悼記事「言葉で復元 深みに到達」の原稿の中で、加藤さんは「憲法9条が、いつまでも最大の『戦後文学』であってよいのか」と説い続け、戦争を反省し平和を願う言葉を本来は自分の手で作るべきだったのだが、GHQ案に基づく9条の出来栄えがあまりによく、戦後の再出発を象徴する文章になったために、「(このテキストの)他者の言葉を自己のものにする」作法にこだわり続けたと、書いている。私は萩原さんの「俺が代」にこれと共通する問題意識を見てとった。

舞台後のトークで

 舞台後のトークでは、あいちトリエンナーレのパフォーミングアーツ部門のキュレーターを務める相馬千秋さんが「非常に面白かった」と評価。この作品は、「(日本国憲法の)テキストと私たち=共同体の関係を問うている」と話した。萩原さんは「2015年に日本国憲法を取り上げて以来、リクリエーションする中で、自分たちの問題なのに、私たちが憲法に基づいた生活のパフォーマンスをしていないことを感じた」と述懐。日本人の生活を規定している憲法=演劇的テキストとした時の欠落感に触れた。

 相馬さんは、今回の愛知公演が、県の劇場が主催に入る形で実現できたことにも注目。「多くの公共劇場が商業演劇の行われる場になっていることが、ドイツなどでは信じられないケース。劇場は、そこで演じられる舞台が面白い、面白くないということではなく、共同体の人たちが集まって議論する都市のミニチュアである」と強調した。相馬さんによると、古代ギリシャの時代から連綿と続いてきたこうした取り組みが、演劇と社会、市民との関係性を更新してきたのに、今、この当たり前の関係が見えなくなっている、と指摘した。

日本国憲法を踊る

 4月21日には、同じ愛知県芸術劇場小ホールで、舞踏家笠井叡さんの「日本国憲法を踊る」も上演された。明治22年の大日本帝国憲法告文に始まり、笠井さんがドイツ留学時に研究した人智学のルドルフ・シュタイナーの母親のための祈りや幼児の祈り、古事記神代の七代、君が代、昭和天皇玉音放送などをへて、日本国憲法に至る12章で構成される。時に観客席に下り、洞爺丸事故(昭和29年)で亡くなった父親の判事、笠井寅雄さんに触れるなど自分史も重ね、「この作品を始めてから父が私の中で踊っていることに気づいた」などと語る場面もあった。

笠井叡「日本国憲法を踊る」

 終演後のトークでは、かもめマシーンの萩原さんと笠井さんが対談。笠井さんは「『俺が代』を見て、動かされるものがあった。その第二部をやろうと思った」と話し、二人の作品には共通している部分があったと発言。共に憲法について舞台をするなら、一人芝居でしかできないと述べた。笠井さんはそれを「パーソナリティ」でなく、全体性を凌駕する「インディビジュアリティ」だとも強調。主語が俺という個体になった時に身体化されたものがでてきて、劇場空間の質が高まり、観客と共に空間を作るという時間が訪れる、との考えだった。

 戦争真っ只中の昭和18年に生まれた笠井さんは、自分に日本国憲法をダブらせ、主観的に受け止めしまうという。ダンスをやっている人の中には言葉の領域を信じない人が多いとした上で、それでも萩原さんの作品で俳優の清水さんが舞台上で言い切る「俺はこの国を背負う」というような言葉にショックを受け、リアリティを感じたと話した。

 観客席から、新憲法公布のとき、新制中学校1年だったという女性が発言。萩原さんの作品の中で日本国憲法の理念(前文)が読まれる場面で当時の感動が呼び覚まされ、また、笠井さんの作品に「怒り、嘆き、祈りのようなものを感じた」と言い、当時、「新憲法の理念を高いものだと思い、ワクワクと受け取った」と振り返って会場を静かな共感で包んだ。私たち、否、「俺」はその憲法に今、どう向き合っているのだろうかと感じざるを得なかった。

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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