ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント 2021-2022年 東京、名古屋、福岡で開催

ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント

 フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890年)の作品を中心にオランダのクレラー=ミュラー美術館などの作品を紹介する 「ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」が、2021年9月から2022年4月にかけ、東京、福岡、名古屋を巡回する。

 東京都美術館(2021年9月18日~12月12日)、 福岡市美術館(12月23日~2022年2月13日) に続き、 名古屋市美術館では2月23日~4月10日に催される。

 クレラー=ミュラー美術館とともに、ファン・ゴッホ美術館からも出品。ファン・ゴッホの油彩画、素描、版画、計52点が一堂に集まる。

 ファン・ゴッホの世界最大の個人収集家となり、 1938年にクレラー=ミュラー美術館を開館したヘレーネ・クレラー=ミュラー(1869-1939年)にも焦点を当てる。

 ヘレーネは、ファン・ゴッホがまだ評価の途上にあった1908年からの約20年間で、実業家の夫アントンとともに90点以上の油彩画と約180点の素描・版画を収集した。

 ファン・ゴッホの芸術に深い精神性を見出したヘレーネは、その感動を多くの人々と分かち合いたいと、生涯にわたって、美術館設立に情熱を注いだ。

 本展では、クレラー=ミュラー美術館から、ファン・ゴッホの絵画28点と素描・版画20点を展示。

 新印象派の影響を色濃く見せるパリ時代の《レストランの内部》、黄と紫の対照がまばゆいアルル時代の《種まく人》、糸杉を描いたサン=レミ時代の傑作《夜のプロヴァンスの田舎道》などで、画業をたどる。

 ミレー、ルノワール、スーラ、ルドン、モンドリアンなどの絵画20点も加え、近代絵画の展開をも振り返る。

 ファン・ゴッホ美術館からも、《黄色い家(通り)》を含む4点が出品される。

みどころ

〈糸杉〉の傑作、16年ぶりの来日!

 ファン・ゴッホがサン=レミで本格的に取り組み始めた糸杉。まばゆい色彩の中で異彩を放つ糸杉の濃い緑の色調に心を奪われながらも、弟テオに宛てた手紙では、それを表現する難しさが吐露されている。そのプロヴァンスの集大成ともいえる作品が16年ぶりに来日する。

ゴッホを「ゴッホ」たらしめた立役者の一人 ヘレーネ・クレラー=ミュラー

 ヘレーネは早くから美術館の設立を考えたため、質の高い作品を選び、初期から晩年までの画業がたどれるよう体系的に収集した。本展では、ファン・ゴッホの作品を世に広め、評価が確立される土壌を育んだヘレーネ・コレクションを堪能できる。

《黄色い家(通り)》も! ゴッホ作品52点を紹介!

 ヘレーネのコレクションに加え、ファン・ゴッホの没後、弟テオ、その妻ヨー、息子フィンセント・ウィレムへと引き継がれたファン・ゴッホ家のコレクションから、《黄色い家(通り)》を含む4点の絵画も特別出品される。

巡回

東京都美術館

2021年9月18日(土)~12月12日(日)

福岡市美術館

2021年12月23日(木)~2022年2月13日(日)

名古屋市美術館

2022年2月23日(水・祝)~4月10日(日)

展示構成

芸術に魅せられて:ヘレーネ・クレラー=ミュラー、収集家、クレラー=ミュラー美術館の創立者

 ヘレーネ・クレラー=ミュラーは、1907年から近代絵画の収集を始め、夫アントンの支えの下、1万1,000点を超える作品を手に入れた。

 ファン・ゴッホの作品に精神性や人間性を感じ取り、多くの作品を購入。世界最大のファン・ゴッホ作品の収集家となり、1938年にクレラー=ミュラー美術館を開館。初代館長に就任した。長年の夢を実現した翌年、ヘレーネは70歳で、この世を去った。

ヘレーネの愛した芸術家たち:写実主義からキュビスムまで

 ヘレーネ・クレラー=ミュラーは自らの楽しみのためだけにコレクションを築いたのではなかった。早くから、その公開と後世への継承を意識し、西欧美術の流れに目を配りながら作品を収集した。

ファン・ゴッホを収集する

 ヘレーネ・クレラ―=ミュラーは積極的にファン・ゴッホの作品を集めた世界最大の収集家。そのコレクションは、ファン・ゴッホの画業をほぼ網羅している。

素描家ファン・ゴッホ、オランダ時代

 ファン・ゴッホが画家となる決意をしたのは1880年8月 。画家になるため、まずジャン=フランソワ・ミレーなどの版画作品や教本の素描見本の模写を始めた。

 人物画家を目指し、1881年4月にエッテンに移ると、農作業や手仕事をする人物を描き始めた。

 同年12月から暮らしたハーグでは、都市風景のほか、生活を共にしたシーン・ホールニクや近くの療養院の男女をモデルに人物素描に注力した。

画家ファン・ゴッホ、オランダ時代

 1883年12月に移り住んだニューネンでは、本格的に油彩画に着手。バルビゾン派やハーグ派の画家に倣って、暗い色調を用いて制作した。

画家ファン・ゴッホ、フランス時代

パリ》

 1886年2月28日頃、パリに到着。画商として働く弟テオと暮らし始めた。若い前衛芸術家たちと付き合うようになり、印象派や新印象派の作品、浮世絵版画、アドルフ・モンティセリの絵画などと出会った。

 自分の描き方が時代遅れであると気づき、新しい表現を試みて約2年で刷新。独自の様式を発展させ、仲間内で前衛画家として認められるようになった。

アルル

 自信を深めたファン・ゴッホは南仏に赴き、1888年2月20日、アルルに居を定めた。

 卓越した色彩画家でありたいと、南仏の明るい空の青と、燃えるように鮮やかな太陽の色彩である黄色の組み合わせに熱心に取り組んだ。

 10月には、ポール・ゴーガンが合流。影響を与え合いながら制作した。だが、2人の関係はこじれ、共同生活は2カ月で終わりを迎えた。

サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズ

 1888年12月、最初の病気の発作に襲われた後、さらなる治療が必要と判断。1889年5月にアルルを離れる決意をし、サン=レミ郊外にある療養院に自ら入院した。

 体調が許せば、花が咲き誇る療養院の庭や周囲の田園風景を前に制作。色調はアルルの頃より抑えられ、糸杉やオリーヴ園などプロヴァンスの典型的なモチーフに取り組んだ。

 1890年5月16日、療養院を後にし、北仏のオーヴェール=シュル=オワーズに移り住んだ。サン=レミ時代よりも強い色彩、より自由な筆遣いを選んだ。

 7月27日に自らを撃ち、2日後、弟テオに看取られながら、この世を去った。

ファン・ゴッホ美術館のファン・ゴッホ家コレクション:オランダにあるもう一つの素晴らしいコレクション

 ヘレーネがコレクションを築いた当時も、今日も、ファン・ゴッホ家のコレクションが圧倒的に世界最大である。

 ファン・ゴッホの没後、生前に販売あるいは譲渡された一部の作品を除き、数多くの作品は弟テオが相続。

 テオの没後は、その妻ヨーと息子フィンセント・ウィレムが継承した。

 200点超の油彩画、約500点の素描、膨大な手紙、ほかの芸術家の作品群を含むコレクションは、1973年にアムステルダムに開館したファン・ゴッホ美術館に永久貸与されている。

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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