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伏木啓 エビスアートラボで9月30日-10月30日 伏木啓+井垣理史 長者町コットンビルで10月9,10,14-16日

YEBISU ART LABO (名古屋)  2022年9月30日〜10月30日
長者町コットンビル (名古屋) 2022年10月9、10、14〜16日

伏木啓

 演出家・映像作家の伏木啓さんの展覧会が名古屋・長者町の2カ所で開かれている(長者町コットンビルでの展示は、井垣理史さんが空間構成・装置で参加)。

 伏木さんは1976年生まれ。2001年、武蔵野美術大学大学院造形研究科修士課程修了。2006年、DAAD(ドイツ学術交流会)奨学金を受け、ドイツに滞在。2008年、バウハウス大学ワイマールMFA課程修了。2017年、京都市立芸術大学大学院美術研究科博士後期課程満期退学。

 身体と映像、音響など、さまざまなメディアを複合的に扱ったパフォーマンス、舞台作品や、特定の場所の空間やオブジェクトにアプローチした映像インスタレーションを制作している。

 主な作品パフォーマンス/ 舞台作品に、愛知県芸術劇場「サウンドパフォーマンス・プラットフォーム」における『The Other Side – Feb.2022』、おおがきビエンナーレ(2004年)での『 in 』、アートポート(2003年)の『skin- real』などがある。

伏木 啓

 ほかにも、名古屋、京都やドイツで映像インスタレーションを発表している。

The Other Side – Installation 2022 伏木 啓+井垣理史(長者町コットンビル)

 「The Other Side」は、2019年から、伏木さんが愛知県芸術劇場小ホール、京都芸術センター、旧・名古屋ボストン美術館などで、アップデートさせながら展開してきた、映像と俳優によるパフォーマンス作品である。

 これまでの舞台においては、生身の俳優が現前性を表す一方、映像が「過去」を表象した。今回は初めて、俳優のいないインスタレーション・バージョンとして作品化した。

 井垣理史さんは、2003年から伏木さんとの協働制作に参加している。 

 今回の映像では、2人の女性がマイクを前に、鴨長明による鎌倉時代の随筆「方丈記」からの引用や、1970年の大阪万博の記憶を語っている。

伏木 啓

 作品は、空間、映像、身体と語り、集団的あるいは個人的記憶が入れ子構造となりながら構成され、現在と過去のレイヤーがリニア、あるいはノンリニアに重なっていく。

 「過去」は、事前に撮影されたパフォーマンス映像で表象されるが、展示会場に生身の俳優は存在せず、「現在」は、鑑賞者がリアルタイムで映像に映り込むことで表される。「過去」と「現在」の映像はオーバーラップしながら入れ替わり、そして反復する。

 展示空間には、大スクリーンと向かい合う位置に、小さなスクリーンがあって、そこにわずかに遅延された映像が鏡像のように映っている。

 鑑賞者は、展示空間に現実に存在しつつ、映像の中にも立ち現れては消え、同時に映像としての「過去」にも出会う。その過去のパフォーマンスには、鎌倉時代と万博の集団的あるいは個人的記憶、イメージが折り込まれる。

 展示空間と鑑賞者自身の身体感覚、回転する水平の棒のオブジェが、入り組んだ時空間にいる自分を「現在」に呼び戻す。

 つまり、鑑賞者は、現実の空間と、入れ子構造になった映像の中の空間がひと続きになった展示の中にあって、現在と過去、此岸と彼岸の時間的、空間的な隔たりと接近を体感する。

Breathe in / Breathe out 息を吸う /  息を吐く(YEBISU ART LABO)

伏木 啓

 エビスアートラボでは、自分が撮影した映像を再撮影する手法によって制作した2つの映像インスタレーションが展示されている。

 ある現実を撮影した映像をもう一度撮影するという方法で、対象を記録して表象する映像というメディアにおいて、見る主体と見られる対象との「あいだ」を広げ、鑑賞者が表象の裂け目を感じるような展示を目論んでいる。

 例えば、深山を覆う霧の映像がある。一見、ストレートに撮影した映像であるが、静かに異様な雰囲気に包まれていく。

 実は、霧が漂う山の映像を撮影した後、その映像の前に人工的につくった霧を漂わせたうえで再撮影しているのだ。

伏木 啓

 もう1つの作品では、壁に竹が映され、床面には、その影が投影されている。つまり、ここでは、垂直に立つ竹と地面の影が映像によって仮構されている。

 竹も影も風に揺らぎ、「地面」には竹の葉が落ちている。だが、違和感がある。ここでも影の映像が再撮影され、そこに竹の葉が落とされる映像を重ねている。

 どちらの作品も、発想はシンプルであるが、撮影した時間と場所の異なる映像が重ねられることで、映像と表象、時間と空間、見ることの関係を問いかける。

伏木 啓

 世界中に映像があふれ、現在の表象は映像抜きに考えられない状況になった。映像が加工・操作されたものなのか、ありのままの現実を記録したものなのかが、問題なのではない。

 私たちが普段の生活の中で映像を見たとき、何を見ているのか、あるいは見ていないのを意識することは、ほとんどない。現実を見ているようで、現実を見ていないのではないか。では、現実とは何か。

 ここでも、伏木さんは、見ている主体と見えている対象との隔たりの感覚を立ち上げる。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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