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あいちトリエンナーレ リポート 豊田市美術館・同市駅周辺①

高嶺格

 豊田市美術館・豊田市駅周辺会場の作品群も大変興味深く、全体に充実していた。最初に紹介したいのが、豊田市美術館横の旧豊田東高校跡(建築家・坂茂設計による豊田市博物館の建設予定地、2024年秋開館予定)に展示された高嶺格の作品である。

 彼の作品は従来から政治性、社会性が強く、正義に裏打ちされている。古くは、プレス資料にも掲載されている、朝鮮人労働の痕跡があるマンガン坑道跡で制作・展示した「在日の恋人」(2003年)も京都・丹波地域に見に行った記憶がある。社会の中で見えにくくなっている看過すべきでない問題を、個人的な体験、身体感覚から問いかけてきて、インパクトとともに痛みを伴って見る側の体に入り込んでくる。

 今回は、廃校のプールが会場である。プール底部のコンクリート板を高い壁のように垂直に立ち上げている。ものすごい迫力。実際には、コンクリートを分解して剥がし取り、鉄骨で背後から支えて壁のようにしているのだが、鉄骨の支えは前方から見えないので、巨大な壁が立ちはだかっているように見える。会場ボランティアの方の説明によると、これは、米国のトランプ大統領が不法移民や薬物密輸対策として、メキシコとの国境への建設を主張する壁の高さだといい、とすると高さは9メートルにも及ぶ。薬物対策はともかく、移民を排除する強権的圧力と人間の分断のおぞましさをこれほどまで直截に身体感覚への恐怖感とともに表現した作品が、かってあっただろうか。これは目の前で感じるしかない。

 米国への夢を抱き、自分と家族の幸せを願って、この壁の前にやってきた移民の絶望はいかほどのものか。作品には、「高嶺格作品解説の歌一首 井に短歌 荒木瑞穂(歌人)」と題されたプレートが掲示してある。その中の「反歌」に「見上げたる 空を悲しも その色に 染まり果てにき 我ならぬまで」と書かれていた。筆者が訪れた時は、夏の青空が広がっていた。(高嶺格の作品は、豊田市美術館内にも、米軍普天間基地移設に伴う沖縄県名護市辺野古沖の埋め立て賛否を問う2019年2月の県民投票を題材とした映像インスタレーション「NIMBY (Not in My Back Yard」がある)

ホー・ツーニェン

 次に紹介するのが、豊田市駅・新豊田駅の西方にある日本家屋「喜楽亭」で展示されているホー・ツーニェンの映像インスタレーション作品である。非常に優れた作品だと思う。ツーニェンは、この大正時代に建てられた元料理旅館の1、2階に4点の映像インスタレーションを設置した(一部はマルチスクリーン)。筆者が訪れた日は、そのうちの1点に不具合があったが、残りの3点は上映されていた。いずれも第二次世界大戦と日本、アジアの関係を文化、学問(京都学派)との関わりを中心に書簡形式の映像で追究し、連作として「旅館アポリア」と題されている。それらは玄関の部屋から順に「一ノ間『波』」「二ノ間『風』」「三ノ間『虚無』」「四ノ間『子どもたち』」。1映像12分でループしているが、2面スクリーンの部屋もあり、しっかり鑑賞しようとすると、かなりの時間を要する。

 ツーニェンは、シンガポール出身でシンガポール在住。英国領、日本の軍政統治となったシンガポールの歴史を起点に、歴史や記録、伝承の緻密なリサーチによって、アジア全域にまたがる複雑な近現代史、壮麗でありながら抑圧と悲劇を孕んだ隠された物語を映像で記述していく。歴史の下層に堆積したレイヤーにファーカスするような多角的な視点、儚い物語の展開の中に虚実の境界が溶け合いながら、鋭角的な切り口を突きつけてくる。めくるめく展開を追うのが大変だが、近現代の暗部ともいえるアジアの歴史の断片が亡霊のように現れては消えるのだ。

あいちトリエンナーレ2019の展示風景 ホー・ツーニェン《旅館アポリア》
2019年 Photo: Takeshi Hirabayashi

 映像は、ツーニェンと日本の女性「YOKO」との書簡スタイルのナレーションが付いた映像として展開し、小津映画やニュース映像などからおびただしい映像が引用されている。登場人物の顔が消されているのも特徴。豊田市浄水町に実在した伊保原飛行場から飛び立ち、若い命が亡くなった神風特別攻撃隊草薙隊の歴史、かつて栄えた地元の絹産業、その後の自動車産業、京都学派と戦争との関わりや時の政局、大東亜共栄圏に関する海軍・陸軍の意見の違いと日本のアジア支配、小津安二郎と戦争、「東京物語」「秋刀魚の味」など小津映画に描かれた戦争、戦時中、作品「フクちゃん」が海軍のプロパガンダアニメーションになった漫画家・アニメーション作家の横山隆一など、内容は非常に濃い。

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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