L gallery(名古屋) 2025年11月22日〜12月7日
植松ゆりか
植松ゆりかさんは1989年、静岡県富士市生まれ。名古屋造形大学を卒業。愛知県立窯業高等技術専門校(現・愛知県立名古屋高等技術専門校窯業校)卒業。
愛知県瀬戸市の共同スタジオ「タネリスタジオ」に参加。L galleryでの個展は。2021年、2023年に開き、3回目。
あいちトリエンナーレ(国際芸術祭あいち)に合わせて開かれてきた「 瀬戸現代美術展2019」「瀬戸現代美術展2022」「瀬戸現代美術展2025」に参加。愛知・岡崎市美術博物館で2024年4-6月に開催された現代美術のグループ展「ひらいて、むすんで 」にも出品している。

植松さんはいわゆる「宗教2世」である。子供の頃に、キリスト教系のある教団信者として、信仰と神中心の世界観で育ったこと、また、触覚、聴覚、視覚のトランス状態になることがあったことなどが、作品と分かち難く結びついている。
ぬいぐるみを素材にした立体やインスタレーションをはじめ、幅広い素材、手法に挑戦し、今も新たな作品を展開させている。
ぬいぐるみやベッドなどの布など、既製品を引き裂き、別の素材を注入したりするほか、今回出品している巣箱や、小さなやきもののオブジェや真鍮の人形など、一から作るものも多い。本質的に手を動かすことが好きなのだろう。
House spilled

母子の分離不安に対する防衛的、代理的な愛着対象、いわゆる「移行対象」であるぬいぐるみや、布などが引き裂かれ、破壊、反転されるなど、作品には、世界の中心にいた神や両親との関係性、その抑圧の清算、価値観の反転、葛藤や罪悪感からの自己解放が投影されている。
そうした概念化された世界や、生きることに伴うに対する違和感、心の軋轢は、程度の差はあれ、全ての人間に本質的なところもあって、それが彼女の作品の力になっている。
それゆえ、宗教2世という境遇は特殊であっても、作品としては必ずしも個人的ということにとどまらず、普遍性と訴求力を持っているのだ。



ベッドのマットレスの花柄の布を剥いで、イチジクのように造形し、有刺鉄線で吊るした作品もそうした一つだ。旧約聖書・創世記でアダムとイヴが食べた「禁断の果実」は一般にはリンゴとされるが、イチジクとする説もあることに由来している。
花柄模様は楽園のメタファーであり、それは母親がとても好きだったものでもある。美しく、幸せのイメージである同時に、それは宗教的な執着でもある。
誰でも幸せになりたくて生きているが、楽園や花柄のイメージは作家自身にとっては逃れたい対象でもあった。花柄とイチジク、それを制作の過程で引き裂く行為や有刺鉄線にそうした葛藤が現れている。

こうした幸福のイメージが同時に自分自身の苦しかった記憶、痛み、自己嫌悪、未熟さや自己否定と結びつくような経験は多くの人が持っているのではないか。
手作りの巣箱を使った作品が3点展示されている。生贄にされた羊のやきもの、閉じ込められたコアラのぬいぐるみ、はりつけの熊がそれぞれ巣箱に入れられている。
巣箱は、家、家族という本来、安心・安全、自由、サンクチュアリの象徴であるはずだが、ここでは吊るされたり、閉じ込められたり、はりつけになったりしているのだ。
北米先住民族のドリームキャッチャーのイメージを重ね合わせ、蜘蛛の巣に、花嫁のベールを着けた自分自身が捕えられた作品もある。

花嫁のベールは、かつて、親によって「教会と結婚をさせられた自分」を表す。そして、手が切断されたイメージは、「手切れ」、すなわち教会との関係を断ち切る寓意である。
今回はドローイングが数多く出品されているが、これらは旧作のイメージを転写して、解体し、はりつけにしたような体裁になっている。
こうした、身体や動物、作品のイメージをはりつけにした作品には、マタギが狩猟で殺した動物の皮をなめすプロセスも重ねているようである。はりつけという行為は、「自傷行為」のような痛々しさによって、作家自身が過去と向き合い、自分の心の痛みを物理的な痛みのイメージに変換し、内面的な傷を和らげる行為になっている。

会場に幼児の頃の自画像であるコンクリート素材の小さな人形が展示されている。
頭には、ひっくり返したカワウソのぬいぐるみを被っている。カワウソは、ネイティブアメリカンの動物占いで、植松さんが「カワウソ」だったことに基づく。彼女にとって、ひっくり返すこと、すなわち、反転は、葛藤と過去との決別、再出発の象徴なのである。