展覧会 岡本太郎 愛知県美術館(名古屋)で2023年1月14日-3月14日に開催  

岡本太郎 《燃える人》 1955年 東京国立近代美術館蔵
画像はすべて、Ⓒ岡本太郎記念現代芸術振興財団

展覧会 岡本太郎

 1970年に開催された日本万国博覧会( 大阪万博)のテーマ館《太陽の塔》で知られる芸術家、岡本太郎(1911~1996年)の芸術人生を振り返る大回顧展「展覧会 岡本太郎」が2023年1月14日~3月14日、名古屋・栄の愛知県美術館で開催される。その生涯とともに全貌が紹介される。

 1929年に渡仏した岡本太郎は、抽象表現に影響を受けながら画家としてのアイデンティティを確立。帰国後、自らの芸術理念の核となる「対極主義」を提唱し、制作のみならず『今日の芸術』『日本の伝統』などの著作において文化・芸術論を展開した。

岡本太郎

 《太陽の塔》を頂点にパブリックな空間に展開された巨大な彫刻や壁画など、生活の中で生きる作品群は、「芸術は大衆のものである」という岡本太郎の信念そのものを象徴。没後も多くの人々をひきつけている。

 表現活動が多岐にわたることから「何が本職なのか?」と問われることも多かった太郎の答えは「人間― 全存在として猛烈に生きる人間」だった。

 未知なるものへの不安、怖れに常に果敢に孤独に切り込む表現活動によって、世界に対して「己全体を賭ける」こと、すなわち、人間としての根源的な営みの豊かさを人々に喚起することを目指した。

 太郎の思想、生きざまが込められた作品を体感することで、不安定な状況が続く現代を力強く生き抜くヒントを見つけられるかもしれない。

展覧会概要

会  期:2023年1月14日(土)~3月14日(火)
会  場:愛知県美術館(愛知芸術文化センター10階)
開館時間:10:00-18:00 金曜日は20:00まで(入館は閉館の30分前まで)
休 館 日:1月16日(月)、2月6日(月)、2月20日(月)、3月6日(月)
観 覧 料:一般1,800(1,600)円 高校・大学生1,400(1,200)円 中学生以下無料
※( )内は前売券および20名以上の団体料金。
※上記料金で本展会期中に限りコレクション展も見ることができる。
※身体障害者手帳、精神障害者保健福祉手帳、療育手帳(愛護手帳)、特定医療費受給者証(指定難病)のいずれかがある人は、各券種の半額で見ることができる。付き添いの人は、各種手帳(「第1種」もしくは「1級」)または特定医療費受給者証(指定難病)のある場合、いずれも1名まで各券種の半額で見ることができる。ローソンチケットなどで購入し、当日、会場で各種手帳(ミライロID可)または特定医療費受給者証(指定難病)を提示する。付き添いの人は申し出る。
※学生は当日会場で学生証を提示。

見どころ

1 最初期から晩年までの代表作・重要作を網羅

 岡本作品のほぼすべてを所蔵する川崎市岡本太郎美術館と岡本太郎記念館が主催者として参画。両館の全面協力のもと、主要な代表作・重要作が勢ぞろいするほか、国内各地の美術館からの出品作を加え、岡本芸術の全容に迫る。

2 最大規模のスケールで大阪、東京、愛知を巡回

 大阪、愛知では初めての回顧展となるだけでなく、没後に開催された回顧展の中で最大規模となる。

3 岡本芸術と人間・岡本太郎を体感

 岡本芸術の特質と本質、さらにはその底流にある人間・岡本太郎を、展覧会場の空間体験を通して、一人ひとりが感知する体感型の展覧会である。

構成

第1章 “岡本太郎”誕生 ーパリ時代ー

 1929年、18歳の冬に家族とともにヨーロッパに渡った岡本太郎は、単身パリに残り、芸術家を目指し始めた。

 ピカソの作品との衝撃的な出会いを経て、独自の表現を模索する中、前衛芸術家や思想家たちと深く交わり、最先端の芸術運動に身を投じていった。

 パリ大学で哲学や社会学を学び、マルセル・モースに師事して民族学も吸収。その後の岡本芸術を生み出す土台となる思想を深めた。

 代表作《傷ましき腕》や《空間》など、パリ時代の作品を通し、“ 岡本太郎”誕生の背景を探る。

岡本太郎

岡本太郎 《空間》 1934/54年 川崎市岡本太郎美術館蔵

岡本太郎

岡本太郎 《傷ましき腕》 1936/49年 川崎市岡本太郎美術館蔵

第2章 創造の孤独 ー日本の文化を挑発するー

 第二次世界大戦の勃発によって、約10年間滞在したパリから帰国した太郎は、中国戦線へ出征。捕虜生活を経て、1946年に復員した。

 戦後、旧態依然とした日本の美術界に接した太郎は、変革を目指して、「夜の会」を結成。抽象と具象、愛憎、美醜など対立する要素が生み出す軋轢のエネルギーを提示する「対極主義」を掲げ、前衛芸術運動を開始した。

 新しい芸術思想を示した著書『今日の芸術』がベストセラーとなり、太郎は、戦後日本の芸術の牽引者というだけでなく、文化全体の挑発者としての存在感を増していった。

 《森の掟》や《重工業》などの代表作を含む1940~50年代の作品とともに、アヴァンギャルドの旗手としての芸術的成果を振り返る。

岡本太郎

岡本太郎 《夜》 1947年 川崎市岡本太郎美術館蔵

岡本太郎

岡本太郎 《森の掟》 1950年 川崎市岡本太郎美術館蔵

第3章 人間の根源 ー呪力の魅惑ー

 前衛芸術運動を推し進める一方、太郎は自らの出自としての日本の文化の在り方にまなざしを向けた。

 太郎に大きな刺激を与え、作風を変える契機にもなった1951年の縄文土器との出会いや、東北、沖縄、韓国、メキシコなどへのフィールドワークに着目。各地で撮影した写真に込められた民族学的洞察と日本文化への視座を提示する。

 書の筆致を思わせる呪術性を秘めた抽象的なモチーフを描いた絵画も含め、エネルギーあふれる作品群からは、《太陽の塔》につながる60年代の呪術的な世界観をのぞくことができる。

岡本太郎

岡本太郎 《愛撫》 1964年 川崎市岡本太郎美術館蔵

第4章 大衆の中の芸術

 芸術とは生活そのものと考える太郎にとって、衣食住を含めた人々の生活のすべてが表現のフィールドだった。

 1952年に絵画の工業生産化の提案として制作したモザイクタイルの作品《太陽の神話》をきっかけに、太郎の表現は画廊や美術館から飛び出し、地下鉄通路や旧都庁舎の壁画、屋外彫刻などのパブリックアート、暮らしに根差した生活用品など、大衆にダイレクトに語りかけるものへと広がった。

 絵画や彫刻といった既成のジャンルを軽々と飛び越え、積極的に社会に飛び出した太郎の好奇心と発想力を紹介する。

岡本太郎

岡本太郎 《日の壁(原画)》 1956年 岡本太郎記念館蔵

第5章 ふたつの太陽 ー《太陽の塔》と《明日の神話》ー

 「人類の進歩と調和」を掲げた1970年の大阪万博。

 その「テーマ館」のプロデュースを依頼された太郎は、人間にとっての真の「進歩と調和」は、科学技術の推進に限るものでも、同調や馴れ合いによるものでもないとし、敢えてテーマとは真逆の価値観ともいえる、人間の太古からの根源的なエネルギーを象徴させた《太陽の塔》を制作した。

 《太陽の塔》と並行して描かれたのが、渋谷駅に設置されている幅30mの巨大壁画《明日の神話》である。原子爆弾を主題に人類の「進歩」に内在する負の側面を見据え、それを乗り越えていく人類の未来への期待が込めている。

 この「ふたつの太陽」について、太郎が残したドローイングや資料とともに、現代的意味を考える。

岡本太郎

【参考図版】岡本太郎 《太陽の塔》 1970年(万博記念公園)

岡本太郎

岡本太郎 《明日の神話》 1968年 川崎市岡本太郎美術館蔵

第6章 黒い眼の深淵 ーつき抜けた孤独ー

 大阪万博を経て、岡本太郎はより広く大衆に受け入れられた。中でも、1953年の放送開始当初から出演していたテレビでは、81年の「芸術は爆発だ!」と叫ぶCMや、数多くの番組に登場。日本で最も顔を知られる芸術家となった。

 絵画制作への意欲が衰えることはなかった。異空間へいざなう入口のような「眼」をモチーフとした作品群のほか、国際展等で発表した過去の作品に大胆に加筆した絵画など、最晩年まで自らの芸術をダイナミックに追求し続けた。

 1996年に太郎はこの世を去るが、その直後から再評価の機運が高まる。その陰には50年にわたって秘書として太郎の活動を支えた岡本敏子の存在があった。

 敏子の尽力により、太郎の芸術や著作、そして力強い言葉は、人々に生きる勇気を与え、世代を超えて受け継がれている。

グッゲンハイム美術館から初期の代表作「露店」が初めて里帰り

岡本太郎

岡本太郎 《露店》 1937/49年 ソロモン・R・グッゲンハイム美術館蔵(ニューヨーク)

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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