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ドキュメンタリー映画「岡本太郎の沖縄(完全版)」名古屋シネマテークで3月4-10日アンコール上映決定

監督・製作・編集 葛山喜久/語り 井浦新/企画 杞憂ティダ/原案 タゴシ逍遥/企画・構成 葛山喜久/撮影 山崎裕・中村夏葉/プロデューサー 新里一樹/配給・企画・製作 シンプルモンク 2022年作品 日本 DCP ©2022シンプルモンク・岡本太郎の沖縄製作委員会

「岡本太郎の沖縄(完全版)」と「展覧会 岡本太郎」

 芸術家、岡本太郎にまつわるドキュメンタリー「岡本太郎の沖縄(完全版)」が2023年3月4〜10日、名古屋・今池の名古屋シネマテークでアンコール上映される。

 1月21~27日にも上映された。愛知県美術館(名古屋)では、2023年1月14日~3月14日の日程で「展覧会 岡本太郎」が開催されている。

 フランス・パリで美術、哲学、民俗学を学び、帰国後は日本国内を旅し、歴史、宗教への考察を深め、精力的に創作した。中でも、沖縄は2度訪れ、写真集『岡本太郎の沖縄』、名著『沖縄文化論─忘れられた日本』を出版した。

  葛山喜久監督は、その写真集の中の神事、イザイホーの神女・久高ノロに魅了され、太郎と同じ場所で撮影をした。過去と現在を重ね合わせ、失われたものと変わらないものを行きつ戻りつして、沖縄で自分自身を再発見した太郎と観客を対峙させる。

 観客をも自身の再発見へと誘う作品である。2018年作を再構成、再編集した完全版。125分。

 芸術家・岡本太郎が沖縄を旅したのは、1959年と1966年。彼が究めようとしたのは、「日本人とはなにか?」「自分自身とは何か」の答えを求めることだった。

 旅の一番最後にたどりついたのが、沖縄であった。

 岡本太郎は、「沖縄とは、私にとって一つの恋のようなものだった」と言うほど、全身、全存在をこの対象にぶつけた。自ら沖縄に溶け込み、自分自身と出逢ったのだ。

 岡本太郎の沖縄は、今の私たちに何を投げかけ、今の私たちとどうつながるのか? それを確かめようするドキュメンタリー映画である。

岡本太郎

 芸術家。1911年生まれ。1929年に渡仏し、「アブストラクシオン・クレアシオン(抽象・創造)協会」に参加するなど、1930年代のパリで前衛芸術運動に参画した。

 パリ大学でマルセル・モースに民族学を学び、ジョルジュ・バタイユらと活動をともにした。40年に帰国。戦後、日本で前衛芸術運動を展開し、問題作を次々と社会に送り出す。1951年に縄文土器と遭遇し、翌年、「縄文土器論」を発表した。

 1950年代後半には日本各地を取材し、数多くの写真と論考を残した。1970年、大阪万博のテーマプロデューサーに就任。太陽の塔を制作し、国民的存在になる。1996年に没した後も、若い世代に大きな影響を与え続けている。

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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