大府市歴史民俗資料館 2026年4月7〜19日
小川淳さんは1960年、愛知県大府市生まれ。2025年に亡くなった。
大府中学校で、恩師の版画家、森岡完介さんと出会い、刈谷北高校を経て、東京芸術大学油画科に進んだ。

筆者は、1990年代から、森岡さんをはじめ、小川さんの個展をした名古屋の画廊・白土舎の土崎正彦さん、あるいは小川さんのパートナーで画家の久米亮子さん、東京芸大時代に交友を深めた北川智昭さん、小西信之さんらから、小川さんの話を伺い、小川さん自身からも展示の案内をいただくようになった。
今回の展示は、森岡さんらが、才能あふれた小川さんの作品を若い頃のものを中心に知ってもらおうと企画した。

筆者は、亡くなるまで知らなかったが、がんの告知を受けた後、小川さん自身が2024年に「小川淳初期作品集 1974-1994」という冊子をまとめていて、それを受付で入手することができた。
会場では、その冊子にも収録された中学校時代の銅版画などから、作品が展示されている。
高校、東京芸大の頃、ドイツ時代⋯と展開するが、それは、森岡さんに宛てた手紙でも吐露されているとおり、現代美術という隘路の中でいかに作品を制作するかという葛藤、いかに生きるかという命の軌跡そのものであった。

そのことは、「小川淳初期作品集 1974-1994」を読むと、より一層、明らかになる。
絵画に行き詰まっていた頃に制作し、第1回日本オブジェ展で大賞を獲得した銅板オブジェの作品、写真と手描きを合成した「天竺塔」のシリーズも展示されている。
いただいた「小川淳初期作品集 1974-1994」に、今回の展示に合わせて書かれた森岡さんと北川さんの追悼文が挟み込まれていた。
森岡さんが大府中に赴任した1974年、小川さんは中2だった。森岡さんは、中学生とは思えない小川さんの表現力に驚嘆した。

森岡さんの文章には、中学校の美術教師と教え子という関係以来、変わることのなかった互いの尊敬と信頼、2人だけの濃密な思い出が綴られている。
2025年3月、小川さんは、森岡さんから毎年、出品の依頼を受けていた大府市民美術展に大作を持ち込み、車椅子で姿を見せた。
「ボクは、芸術を追い求めて生きてきた」。亡くなる1年ほど前、森岡さんの元に小川さんから長文の手紙が届いていた。
森岡さんの文章は、そこで終わっている。

北川さんは、高校3年の冬、愛知県立芸大の試験会場で、小川さんと出会ったのが最初だったという。
その後、小川さん、北川さんは共に東京芸大に進み、再会した。北川さんの文章では、奈良美智さんを含め、芸大寮を通じて広がった交友が青春の煌めきのように紹介されている。
北川さんは、この文章の最後を、「友人として誇りに思うのは、彼が最後まで生きる意味を問いながら制作を進めていたことです。作品をご覧になれば、それを感じて頂けると思います。本展の開催を機に、小川淳の作品が多くの人の目に留まり、彼の評価が高まることを切に願っています」と締め括っている。