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小澤香織展 身体の海 海底の庭 L gallery(名古屋)で2025年8月23日-9月7日に開催

小澤香織

 小澤香織さんは1981年、静岡県浜松市生まれ。2004年、名古屋芸術大学卒業。最近では、2023年と2019年にL gallery2024年と2020年に岐阜市のなうふ現代で個展を開いている。

 現在の制作地は、砂浜が近いという知多半島の愛知県常滑市。身近な生活環境から発想しながら、超越的な想像力を見せてくれる作家である。

 砂浜に流れ着いたゴミ、植物や昆虫の死骸、人から譲り受けた物や、経済性を喪失した不要物など、偶然の遭遇による存在物を集めて作品にするのが、1つの方法である。

 そこには、作家という主体が自分の思考を形にするというより、世界から素材を借りる、素材が向こうからやってくる感覚がある。

 たとえば、昨年のなうふ現代の個展では、海苔養殖の支柱に付けて、フジツボ付着を防ぐ青いリング、あるいは、昔の鉛筆キャップが素材になっていた。それらも、小澤さんが予期せず出会ったものである。

 それらを集積させることで、形態が生まれてくる。なんでもないもの、ある種のカオスから形が生まれる、形や画面がやってくる、ということが基本姿勢である。

 だからだろう、自分に縁があった生物、無生物、身近な何気ない空間と深遠な宇宙の感覚が結びつくのである。

身体の海 海底の庭 2025年

 今回の個展では、平面が多く展示された。昨年のなうふ現代の個展でも出された作品である。ガラス絵と同じ要領で、アクリル絵具とメディウムを混ぜ、透明なアクリル板の裏から描いていく。

 描くと言っても、絵具を垂らすようにして、流動性に任せる。形象が生まれるような予兆をはらみながらも、基本的にカオスのような世界である。

 多くの作品は裏面から描いているが、黄の地に対して、表面に雫のように絵具を垂らしている作品もあった。そこには、昆虫やカニなどの生き物の死骸が貼られている。

 今回の個展には「身体の海 海底の庭」という題が付されている。自分の身体の中という身近な宇宙と、広大無辺の海の世界とのアナロジーが主題になっている。

 自分の身体と海、近いものと遠いものが、触れ合うような感性で世界を見ていくこと。それは、分け隔てなく、この世界を感じることだ。遠くにある、見えないものを忘れないことでもある。

 海に落ちていたペットボトルを円環状にした作品や、中に入っていた砂をそのまま使って砂時計にした作品、積み上げて立体にした作品が展示されている。

 それらのペットボトルは、ミラースプレーで着色されたものもあるが、全て形態は、砂浜などに落ちていたときのままである。また、落ちていたときに中に飲料水が残っていたものは、それもそのままである(便宜的に別の素材に入れ替えているが)。

 こうした海岸にある物を「そのまま」展示する作品は、2023年のL galleryでも多く出品されていた。

 器官や内臓につながる足裏の末梢神経の集中箇所を指す反射区の数と同じ数の石を床面に並べた作品もある。石は全て、海岸から拾ってきたもので、観客は石の上に乗って、足裏をマッサージできる。

 小澤さんは、生き物そのものは当然のこととして、海で拾った自然物、人間による、いわゆる人工物など全てを、それらとの出会いを大切に採取し、構成することで、世界の新たな姿、生命の形のようなものをつくっている。

 大地も、生物も、無生物も、それらは借り物であり、自分の元に来てくれたもの、それによって関わることができたものとして同等に見ている。

 人間だけが理性によって世界を客体視して、人間社会のルールに当てはめるという支配、思い上がりから離れることに意識的である。

 今回、筆者が最も「いいなあ」と思った作品は、石のような小さなオブジェ。小澤さんが海岸で見つけ、拾ってきた物そのものだ。

 発泡スチロールと木と貝殻が、自然の中で結合して、波打ち際で抱き合うように、一緒になっていた物体である。

 いわば自然の造形物である。それは、はるか遠くから別々にやってきて、不思議な物体になったものである。

 小澤さんは、偶然入手できたもの、捨てられたもの、死んでしまったもの、流れ着いたものに神秘を感じ、遠くにあるものの存在、はるかなるつながり、大きな生命、力を想起する。

 そうして、近くと遠くを行き来しながら、刻々と変化する世界、森羅万象のささやきに耳を澄ます。

 身の回りの大地や、石ころ、水の流れ、小さな虫、人間が使い終えたゴミ、役に立たなくなったものに、見えない力、存在することの喜び、つながりを感じ、そこから世界の悲しみ、傷つき、痛みに思いを寄せるように優しい感性で世界を引き受けていく。

 思いがえず、彼女に訪れたもの、世界から受け取ったものに声を掛け、そこから遠くの小さな声を聞こうとする。自分を超えたもの、見えないものへの優しさ、共にある感覚が作品になっている。

 最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

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