記事内に商品プロモーションを含む場合があります

青木絵理 個展「羊水の垢」 ノダコンテンポラリー(名古屋)で8月26日-9月17日

NODA CONTEMPORARY(名古屋) 2022年8月26日~9月17日

青木絵理

 青木絵理さんは長野県生まれ。2019年、愛知県立芸術大学美術学部油画専攻卒業。2021年、愛知県立芸術大学大学院油画・版画領域を修了。地元の長野県松本市を拠点に制作している。

 初個展となる今回は、愛知県立芸大学在学中から現在までの作品約15点を展示している。
銅版画と木版画、あるいは、それに鉛筆や木炭などの描画を加えた怪異なモノクロームの作品である。

 筆者は初めて見る作家。いびつな異形の生き物、身体の一部などの形象が絡み合って、蠢くようなシュールな世界をうみだしている。色彩はない。線による図像が関係を結びながら紡がれた夢魔的なイメージである。

青木絵理

 青木さんは小学生の頃から、漫画やイラストが好きで、既に中学生の頃から、ヒエロニムス・ボスヤン・ファン・エイクに興味をもった。高校生の頃から、幻想的なイメージを描いていた。

 シュルレアリスム的な世界ではある。だが、その図像には、よりパーソナルな生きづらさ、すなわち劣等感、不安、孤立感、内的葛藤などが濃密に投影されている。

 油彩を描いていた青木さんは大学 4 年生から本格的に版画を始めた。油彩に比べて、版画のほうが、自然体でイメージを紡げたようである。版画の、手順を踏んで制作するプロセスが青木さんには合っていたのだろう。

青木絵理

 何を描くか、どう描くかという多くの画家が直面する課題に向き合ったとき、自らの内発性と、不自由さともいえる制作過程、版に委ねるという間接性の交点から作品が生成するという版画の特長が、青木さんには向いていた。

「羊水の垢」

 改めて、青木さんの作品は、銅版画や木版画に鉛筆、木炭で直接描いた線を加えたモノクロの表現が基本である。頭の中、もっというと、内なる精神と体の中にある蠢く世界がそのまま体外に出てきたようなイメージである。

 具体的に見ると、それらは、増殖した細胞や、身体の一部、昆虫や植物らしき形象、有角人、デフォルメされた奇怪な人物像、異形の生き物などである。

青木絵理

 ある形象が別の形象とつながりながら、判読不能な世界をつくっている。

 それらは、青木さんの葛藤の反映には違いないのだが、感情表出を不定形や色彩によって行うのではなく、線によるグロテスクで奇怪な世界としてアウトプットしているのである。

 抑圧された不安、怖れ、孤立感、苦痛などネガティブな感情が、彼女自身が「ともだち」と呼ぶ異形のアバターに憑依しているような世界。

青木絵理

 それによって、いのちの調和が図られるという意味で、青木さんにとって、描くことは精神の浄化である。

 荒々しい筆触、不定形なイメージ、色彩によって表現性を高めていくのではなく、生々しく混沌とした内面を、版という外部性、間接性を経由させることで、適度な距離をとって眺めることができる。

 不気味なイメージ、鉛筆、木炭の直接的な表現と、自分の自由、コントロールを外れた版画という間接的過程によって、内なる葛藤を抑制しながら澱のような感情を解放する。それこそが、青木さんにとってのカタルシスとなる。

青木絵理

 タイトルにある「羊水」「生理」などの言葉から、女性として体、自分が別の人を産むことへの不安も見てとれる。

 青木さんの中にある負の感情、すなわち、劣等感、存在することの不安、孤独、寄る辺なさ、社会で生きていくことの葛藤は、特殊なものではなく、むしろ、すべての人間がもつ普遍的なものである。

 筆者は、まずは、それが仮託されたものとしての奇怪な世界、そのイメージの明晰さ、豊かさ、強さを堪能した。

 最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

最新情報をチェックしよう!
>文化とメディア—書くこと、伝えることについて

文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

CTR IMG