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豊田市美術館 ヴォルフガング・ライプの「ミルクストーン」について

2021年度 第I期 コレクション展 

 愛知・豊田市美術館で2021年4月3日〜6月20日に開催されている展覧会「ボイス+パレルモ」に合わせ、「ドイツと日本の現代美術」をテーマに「2021年度 第I期 コレクション展」が開催されている。

 「ボイス+パレルモ」展は、第二次世界大戦以降の最も重要な芸術家の1人、ヨーゼフ・ボイス(1921-1986年)と、教え子でボイスが後に自身に最も近い表現者と認めたブリンキー・パレルモ(1943-1977年)を紹介する。詳細は、「ボイス+パレルモ 豊田市美術館 会場リポート 4月3日〜6月20日」を参照。

 コレクション展は、「ボイス+パレルモ」に合わせ、同館のコレクションから、ドイツの戦後美術と、ボイス、パレルモそれぞれと同世代の日本の作家の作品を紹介している。

 イミ・クネーベル、ウルリヒ・リュックリーム 、A. R. ペンク、ゲオルク・バゼリッツ、クリストなどの作品が展示され、とても美しい空間をつくっている。

ヴォルフガング・ライプ

 中でも筆者が足を止めたのは、懐かしく特別の感慨を呼び覚まされるヴォルフガング・ライプ さんの「ミルクストーン 」という代表作である。豊田市美術館のライプ作品のコレクションについてはこちら

 床に置いた矩形の大理石板の表面に牛乳を注ぎ、表面張力でかすかにもりあがっているのが、とてもきれいで謎めいている。牛乳は毎日、学芸員によって注がれる。

 はかなくも甘美で、純粋さ、寛容さと命を象徴するような牛乳と、堅固で冷たく、永遠と深遠、どこまでも深い白大理石が抱擁し合い、調和し、瞑想的な気持ちにさせる。

 ライプさんは、蜜蝋や花粉、米、牛乳などを素材に作品を制作する。こうした素材と作品はすべて、自然の中での超然とした生活態度や、菜食、円環的時間感覚、インドやイスラム文化への傾斜など、ライプさんの生き方と重なっている。

 矩形や円錐状に置いた花粉、米、牛乳や、家形や舟形にした蜜ろう、大理石など、いずれもシンプルだが、このうえなく美しく、繊細で神秘的である。

ミルクストーン

 筆者は、1996年11〜12月、名古屋のケンジタキギャラリーでのライプさんの個展に際し、当時46歳だった本人に新聞記者としてロングインタビューをする機会を得た。その頃の新聞記事になっているが、筆者の美術記者時代でも、最も豊かな時間をいただいた取材だった。 

 ライプさんは、とても物腰の柔らかい人で、ほっそりとし、丸眼鏡からのぞく目は優しかった。そして、かばんから無窮の光のように美しい三個のガラス瓶を取り上げ、タンポポ、松、ハシバミの花粉だと教えてくれた。

 「なぜ花粉を使うのか」という筆者の質問に対し、ライプさんは、自分の住んでいる場所の周りに野原や森があること、そして、今までだれもしなかったことを理由に挙げ、「私の態度の現れだと思います」と続けた。

 当時、ライプさんは、都会から離れたドイツ南部の小さな村で、自然のサイクルを感じながら暮らしていた。春夏に自宅の周辺で花粉を集め、秋に展覧会を開くという自律した生活の中で創作に集中していた。

 花粉の採集は、ライプさんにとって、アートと生活の営みの両方に属することだった。ライプさんは「(その両方は)分離されないのです」と語っていた。

 ライプさんは大学で医学を学びながら、物質文明や科学的なものの限界を感じていた。肉体だけを扱う20世紀の西洋医学ではなく、全体性や、世界全体を扱う芸術の力を信じ、アーチストの道に進んだのである。

ミスクストーン

 非西洋世界の文化や思想に傾倒。小さいころから両親と一緒にインドやイスラムの国々へ旅行する中で、ペルシャの詩人・神秘家ルーミー(1207-73年)を敬愛した。西洋文化とは異なる世界観とともに、西洋の中世にも関心を向けた。

 もちろん、精神への沈潜や瞑想へといざなうライプさんの静謐な作品は、インド哲学や神秘主義などの文脈のみで語られるべきではない。

 ライプさんは、「自由」と「世界に開かれていること」を芸術の可能性だと信じ、イスラムのスーフィー(神秘家)やインドの文化、哲学と密接な関係はあるものの、特定の分野に縛られないことを重視した。

 当時は、ケンジタキギャラリーが名古屋の旧大和生命ビル(旧名古屋日本徴兵館)にあり、ギャラリー空間は現在よりはるかに広かった。

 このときの個展では、蜜蝋の板を壁のように継ぎ合わせ、中を歩けるようにした部屋「ビーズワックス・ルーム」や、大理石や蜜蝋でつくる「ライス・ハウス(家)」「シップ(舟)」が展示された。

 ライプさんは、家の形を逆さにすると舟の形になること、舟はどこかへ旅をするもので、家はそこに居るためのものだと話し、蜜蝋の部屋は精神的な旅と関係があると語っていた。

ライス・ハウス

 花粉は黄色の顔料ではなく、花粉そのものである。ライプさんにとっては、花粉や蜜蝋や牛乳、米がそのままであることが重要である。

 それは、花粉や蜜蝋や牛乳の絵や彫刻ではなく、そのものであって、ライプさんの作品を見るまで見たことがなかった、開かれた芸術作品である。

 1998年に再度、ケンジタキギャラリーで開かれた個展では、松の黄色い花粉が床に矩形に置かれた作品や、円錐状の米や花粉を盛った真鍮のおわんが床に一列に並ぶ「ライスミールズ」などとともに、「ミルクストーン」が展示された。

 1996年のインタビューで、ライプさんは、同じシリーズの作品を何年、何十年も継続して制作する自身のスタイルについて、「いつも作品が発展していくものだとは考えません。むしろ、循環するようなやりかたで制作しています。発展という考え方をする作家もいますが、私はそういう考え方はしません」と述べている。

 最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

 

 

 

 

 

1998年、

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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