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ボイス+パレルモ 豊田市美術館 会場リポート 4月3日〜6月20日

ヨーゼフ・ボイス《そして我々の中で…我々の下で…大地は下に》1965年のアクション 
bpk | Sprengel Museum Hannover, Archiv Heinrich Riebesehl, Leihgabe Land Niedersachsen / Heinrich Riebesehl / distributed by AMF

VG Bild-Kunst, Bonn & JASPAR, Tokyo, 2021 E4044

ボイス+パレルモ 豊田市美術館

 愛知・豊田市美術館で2021年4月3日〜6月20日、第二次世界大戦以降の最も重要な芸術家の1人、ヨーゼフ・ボイス(1921-1986)と、教え子でボイスが後に自身に最も近い表現者と認めたブリンキー・パレルモ(1943-1977)を紹介する展覧会「ボイス+パレルモ」が開催されている。

 約130点(ボイス約80点、パレルモ約50点)を展示する(会期中、展示替えを予定)。

埼玉県立近代美術館、国立国際美術館(大阪)へ巡回

 他館への巡回は、埼玉県立近代美術館が2021年7月10日〜9月5日、国立国際美術館が2021年10月12日〜2022年1月16日。

右:ヨーゼフ・ボイス《直接民主制の為のバラ》1973年 左:ブリンキー・パレルモ《無題》1974年 gigei10蔵

VG Bild-Kunst, Bonn & JASPAR, Tokyo, 2021 E4044

内容

 ヨーゼフ・ボイスは、は「本当の資本とは人の持つ創造性である」と語り、広く社会を彫刻ととらえて社会全体の変革を企てた。

 本展では、60年代の最重要作品である《ユーラシアの杖》をはじめ、脂肪やフェルトを用いた作品、「アクション」の映像やドローイングなど、ボイス作品の造形的な力と芸術的実践に改めて着目する。

 ブリンキー・パレルモは、教育者として多くの芸術家を育成したボイスの教え子の1人。早世の画家ながら、60年代半ばからの短い活動期間に残したささやかな抽象的な作品は、絵画の構成要素を再構築しながら、色彩や形の体験を通して、私たちの認識や社会的な制度に静かな揺らぎをもたらそうとした。

 一見対照的な2人のドイツ人作家の作品は、芸術を生の営みへと取り戻そうと試みた点で共通していた。

ヨーゼフ・ボイス《ユーラシアの杖》1968/69年 クンストパラスト美術館、デュッセルドルフ © Kunstpalast – Manos Meisen ‒ ARTOTHEK

VG Bild-Kunst, Bonn & JASPAR, Tokyo, 2021 E4044

 両者の1960-70年代の作品を中心に構成される本展は、約10年ぶりとなる日本でのボイス展であると同時に、公立美術館としては初めてのパレルモ展となる。

 もともと、2020年10月に開幕する予定だったが、コロナ禍で延期となっていた。ドイツからも、8つの所蔵館・コレクターから作品が来ているが、コロナで人の渡航が難しい中、信頼関係によって、クーリエなしで作品を運ぶことができた。

 また、海外の物故作家の大型展では通常、海外のコーディネーターによって展覧会が構成されることが多いが、この展覧会は、3館の学芸員が主体的に企画した点でも特筆される。

 大部のカタログも貴重である。ドキュメンテーションの写真が多く収められている。担当学芸員によると、ストックホルム近代美術館での「アクショナー・アクション」展(1971年)の高松次郎撮影の写真なども含まれている。

 また、ボイスがパレルモについて語っている重要なインタビュー「ブリンキー・パレルモについて ラースロー・グロザーとヨーゼフ・ボイスの対話」を収録。この中で、ボイスは、パレルモの絵画について、「息のように感じ取って欲しい」と述べている。

 

リポート

 展示室内での撮影は禁止されている。リポートの会場写真は、報道用に特別の許可を得て撮影している。

 展覧会は、プロローグ及び、1〜8のセクション、そしてエピローグで構成されている。

 芸術を社会に拡張した先駆者とされるボイスだが、本展では、その作品に改めて光を当てるとともに、日本で見る機会が少ないパレルモも十分な展示空間でしっかり紹介している。

 2人の作品を単に対比的に展示するのでなく、共通点や対応する視座、現代に通じる問題意識を提供するなど、見ることで2人の魅力や関わり、先見性を再発見させてくれるような示唆に富んだ展示になっている。

 作品キャプションで作家名が強調されていない効果もあって、先入観が排除される。テーマによって、2人の作品を併置したセクションでは、ときに、饒舌なボイスと寡黙なパレルモというイメージが反転するなど、意外性に驚かされることもある。

プロローグ ヨーゼフ・ボイスとブリンキー・パレルモ

 ボイスとパレルモが写る1枚の写真から、この展覧会は始まっている。1976-77年、フランクフルトのクンストフェラインで開催された展覧会で撮影されたものである。

1 ヨーゼフ・ボイス:拡張する彫刻

 日本初公開となる代表作《ユーラシアの杖》など、人間のあらゆる行為、日々の活動のすべてを彫刻的営為とみなしたボイスの作品の数々。

2 パレルモ:絵画と物体のあわい 

 幾何学的な抽象から、サイズ、形、フレーム、水平・垂直性、支持体のキャンバス、その木枠、設置の仕方など、絵画の構成要素を再検討する作品へと展開させている。

 絵画そのものの形式への関心から、さらに周囲の環境、空間に眼差し、想像力を開いていく作品へと制作を進めている。

 支持体のキャンバス、木枠の役割を入れ替えるなど、絵画の既存の枠組みをずらす、読み替える、組み替えるなど、流動化させるところに、絶えざる変化の過程を提示しようとしたボイスとの接点を見ることもできる。

3 フェルトと布

 このセクションでは、ボイスにとって重要な素材であるフェルトの作品と、パレルモの「布絵画」が展示されている。パレルモは、百貨店で買った既製品の布地を縫い合わせ、アメリカの抽象絵画のように見せている。

 動物性の繊維がカオスのように絡まっているボイスの無彩色のフェルトと、パレルモの布の色彩が対照的である。

4 循環と再生

 オリジナルと複製、作品と日用品、作品同士の関係を循環的な過程によって揺るがしつつ、芸術とそうでないものの境界を探求した2人のアプローチの違いが浮かび上がるセクション。

5 霊媒的:ボイスのアクション

 アクションの映像や関連資料が出品されている。映像をすべて見ると、4時間を要するという。

6 再生するイメージ:ボイスのドローイング

 ボイスは、1万とも2万ともいわれる膨大なドローイングを残している。特に1940、1950年代のドローイング群は、その後の制作に向けた「貯蔵庫」となった。日本では、見る機会が少ないものだという。

7 蝶番的:パレルモの壁画

 パレルモが60、70年代に手がけた壁画のドキュメンテーション。壁画は1つも現存しないが、写真や設計図、記録図などが残っている。とても興味深いセクションである。

 ボイスのアクションと対応関係にあるともいえる。その後の現代美術のさまざまな実験の先行例でもある取り組み。

8 流転するイメージ:パレルモの金属絵画

パレルモは1973年、活動の拠点を米国ニューヨークに移す。このセクションの作品は、アルミニウムを支持体としたメタルピクチャーである。とても、美しい作品である。

 「ヨーゼフ・ボイスのために」(未完)と題された作品は、円盤のような小さな変形絵画と、鏡、メタルピクチャーが並び、パレルモの制作の歩みが1つにまとめられている。

ブリンキー・パレルモ《無題》1977年 個人蔵

VG Bild-Kunst, Bonn & JASPAR, Tokyo, 2021 E4044

エピローグ 声と息

 ボイスに「声」、パレルモに「息」という言葉を添えて、この展覧会を締めくくっている。

 ここで展示してあるのは、ボイスが1984年に来日した際、ナムジュン・パイクと東京・草月ホールで行ったアクションのときの黒板である。

 この黒板を囲むように、セクション8のパレルモの美しく静謐な金属絵画が展示してある。

 ボイスがパレルモの絵画について語った「息のように感じ取って欲しい」(カタログ所収のインタビューより)が、ここで再び思い起こされる。

 パレルモの絵画のうつろいやすさ、繰り返し色彩と形態が現れ、息のように消えてしまう感覚、透過性、脆弱さ・・・。

日程・観覧料など

◎日程: 2021年4月3日[土]―6月20日[日]
◎休館日: 月曜日[5月3日は開館]
◎開館時間: 午前10:00-午後5:30(入場は午後5:00まで)
◎観覧料: 一般1,200円[1,000円]、高校・大学生700円[500円]、中学生以下無料

展覧会のみどころ

①ボイスとパレルモ、対照的な作家の組み合わせによる2人展

 かたや雄弁で政治活動も盛んな彫刻家。かたや寡黙に絵画の可能性を探究した画家。
 対照的な2人だが、造形的な特徴や制作姿勢において、共通する部分を探ることも可能である。
 本展では、ボイス、パレルモの作品を概観しながら、「フェルトと布」「循環と再生」といったキーワードで両者を併置することで、よく知られた作家であるボイスについては新しい視点を、日本でなじみのないパレルモについては作品に近づきやすい視点の提示を試みる。

②ボイスの「作品」に着目

 20世紀を代表する芸術家、ボイスは、「社会彫塑」の思想が特に影響力が強いが、本展では、改めて「作品」や造形行為に着目する。
  2021年はボイス生誕100周年。ドイツをはじめ各地でボイス展が開催される。ボイス作品の確保が難しい中、本展では、ドイツと日本の複数の美術館の協力のもと、日本でこれまで十分に紹介されてこなかった50-60年代の初期ドローイングや大型作品《ユーラシアの杖》、国立国際美術館が新収蔵することになった《小さな発電所》(1984年)など、代表作を含めた約80点でボイス作品の本質に迫る。
 1984年の作家来日以来の大型作品を含めたボイス展となる。

③ヨーゼフ・ボイスの代表作《ユーラシアの杖》を日本で初めて公開

 ボイスの1968-69年のアクション「ユーラシアの杖」(ヘンニク・クリスティアンゼンとの共演)は、東西冷戦下のヨーロッパにあって、ユーラシア大陸を再接続しようと試みるボイスの終生にわたるユーラシア概念を示す代表的なパフォーマンスだった。
 そこで用いられた作品《ユーラシアの杖》は、4mを超える4本の柱と金属の長い棒で構成されたスケール感のある大作で、60年代のボイスの最重要作品の1つである。
 ユーラシア大陸の東端で開催される本展では、欧米以外では初めてこの作品を展示する。

④ボイスのパフォーマンス「アクション」の映像を計7本上映

 「ユーラシアの杖」をはじめ、ボイスの芸術実践においては、アクションと呼ばれるパフォーマンスは核となるものだった。
 多くのボイス作品は、これらのアクションで用いられた素材や道具に由来している。
 これまで、ボイスのアクションの映像をまとめて見られるのは、日本では、ごく限られた機会に限られていた。
 本展では、1984年の来日時のナム・ジュン・パイクとの共演「コヨーテIII」を含めた7本のアクションの映像をボイス作品とともに紹介する。

⑤ブリンキー・パレルモを日本の美術館で初めてまとめて紹介

 ブリンキー・パレルモは日本ではほとんど知られていないが、2000年以降、彼の作品を振り返る大規模な展覧会がドイツ国内のみならず、欧州各地や米国で開催されてきた。
 それは、絵画の在り方そのものをカンヴァスや木枠といった構成要素から再構築しながら、美術作品と身近な日常とをささやかな方法で接続するパレルモの実践が見直されてきたからといえるだろう。
 本展では、15年に満たない短い活動期間に手掛けられた貴重な作品を、1960年代半ばの初期から、70年代の代表作である金属絵画まで約50点で振り返る。

カタログ

 カタログ『ボイス+パレルモ』は、展覧会企画者による複数のエッセイ、気鋭のボイス研究者であるスヴェン・リントホルム(Sven Lindholm)氏、パレルモ研究の第一人者のひとり、クリストフ・シュライアー(Christoph Schreier)氏による各論、出品作品のカラー図版に加え、ボイスとパレルモのさまざまなドキュメント写真などを収める。

刊行予定日:2021年3月
価格:3,600円+税
A4, 320ページ程度を予定

ヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys, 1921-1986)

ヨーゼフ・ボイス《そして我々の中で…我々の下で…大地は下に》1965年のアクション 
bpk | Sprengel Museum Hannover, Archiv Heinrich Riebesehl, Leihgabe Land Niedersachsen / Heinrich Riebesehl / distributed by AMF

VG Bild-Kunst, Bonn & JASPAR, Tokyo, 2021 E4044

 ドイツのクレーフェルトに生まれ、オランダとの国境近くの町クレーヴェで青年期までを過ごす。
 第二次世界大戦に通信兵として従軍した。ソ連国境付近を飛行中に追撃され瀕死の重傷を負うが、現地のタタール人に脂肪を塗り込まれ、フェルトに包まれることで一命をとりとめる。
 この体験とそこで用いられた脂肪とフェルトが後のボイスの制作における重要な「素材」となる。戦後は、芸術家を志し、デュッセルドルフ芸術アカデミーに学ぶ。
 1961年に同校教授となり、パレルモをはじめ多くの芸術家を育成した。
 「拡張された芸術概念」及び「社会彫塑」を唱えるボイスは、教育活動をはじめ、政治活動や環境問題までをも自らの問題として引き受け、「緑の党」の結党に関わるなど、広く公衆に語りかけ続けた。
 最晩年の1984年には日本に招かれ、展覧会のみならずアクションや学生との討論会を企て、少なからぬ足跡を残した。
 1986年に歿。
 戦争の加害者であり、かつ被害者でもある自身の体験に基づく作品制作と、芸術を社会のあらゆる領域へと拡張しようとした姿勢において、ボイスが今日、最も影響力のある芸術家のひとりであることは間違いない。

ブリンキー・パレルモ(Blinky Palermo, 1943-1977)

ブリンキー・パレルモ、1973年ハンブルクにて bpk | Angelika Platen / distributed by AMF 
VG Bild-Kunst, Bonn & JASPAR, Tokyo, 2021 E4044

 ドイツのライプツィヒに生まれる。本名はペーター・ハイスターカンプ。
 1964年にデュッセルドルフ芸術アカデミーでボイス・クラスに入って早々、マフィアでボクシングのプロモーターのブリンキー・パレルモに由来するあだ名をつけられると、それをそのまま作家名にしてしまった。
 学友にはゲルハルト・リヒターやイミ・クネーベルといった現代ドイツを代表する作家がいた。
 アカデミー在籍時より20世紀初頭のカジミール・マレーヴィチやピート・モンドリアンらの抽象絵画、同時代のミニマリズムの動向に影響を受けながら、カンヴァスや木枠といった絵画の構成要素自体を問い直す作品を手掛けるようになる。
 1977年にモルジブで客死するまで、既製品の布を縫い合わせた〈布絵画〉、建築空間にささやかに介入する壁画、小さなパネルを組み合わせた〈金属絵画〉など独自の制作を展開した。
 絵画制作を通して、色や形、空間などの知覚、認識を問う繊細な作品は近年評価が高まっている。

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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