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鷲見麿個展 新・聖なるファティア 京都・KUNST ARTS

新・聖なるファティア「神秘の子羊の礼拝」(部分)

鷲見麿個展 新・聖なるファティア 京都・KUNST ARTS

 鷲見麿さんの最後の個展が、京都のKUNST ARTSで、2020年8月21〜30日、開かれています。

 今後、美術館や画廊などで収蔵作品、コレクター作品などによって、まとまった展示が企画されるかもしれませんが、新作を作家の意思で発表することはないとのことです。

鷲見魔
新・聖なるファティア「神秘の子羊の礼拝」

 思えば、鷲見麿さんとの付き合いは長く、25年ほどになります。ここ10年ほどは音信不通だったにせよ、15年ほどの付き合いはあったということです。そのあたりのことは、別の記事「画家・鷲見麿さんについて」に書きましたので、そちらを参照してください。

鷲見麿
新・聖なるファティア「神秘の子羊の礼拝」

鷲見麿さんがユーニークな画家であることは、間違いありません。名古屋の画廊・白土舎(今は、もうありません)の土崎正彦さんとともに、鷲見麿さんを世に出すべく、筆者は、美術記者等をしていた新聞に書きまくっていた時期もあります。その頃も、一部の美術関係者は鷲見麿さんのことを高く評価していましたが、爆発的な評価には至らず、地域の特異な画家という位置付けだったと思います。

鷲見麿
新・聖なるファティアNo.2

 土崎さんや筆者は、それを変え、鷲見さんを「最終兵器」として有名にすることを人生の楽しみとして共有していたのです。

鷲見麿
鷲見麿
新・聖なるファティア 「神秘の子羊の礼拝」による習作

 ただ、筆者は、鷲見麿さんの作品、超絶技巧、その存在の「信者」ではありませんでした。単純に「すごい」ではなく、鷲見麿さんの分からなさを解明しようとしました。技術や大胆さ、繊細さはもちろん、思想というのか背後の考え、正義感、反骨精神、過激性、子供じみたところなどを含めて、まあ好きだったわけですが、それらをいかに客観的に記述するか、分析するかを考えました。

鷲見麿
新・聖なるファティア「アルノルフィーニ夫婦像」

それが十分にできていないないことはわかっています。今でも、鷲見さんがよく口にした「私と公」「世界は模様」「写し」「日常」「めだかの学校」などの言葉と、鷲見さんの謎めいた、パラノイア的な作品群を、どう現代世界、社会、美術史へと接続するかは、大変興味深い課題です。

鷲見麿
新・聖なるファティア「アルノルフィーニ夫婦像」による習作

 昔、ある名の知られた美術評論家の人が、「社会正義を訴えたいなら、美術でなく、市民活動をすればいい」という主旨のことを私に言ったことがありますが、鷲見さんの作品を見ると、美術と社会正義(世界の見方、社会意識を含めて)の両方があると思えるのです。

 社会や世界と全く関係なく、芸術としては行儀良くもない作品なのに、社会や世界、芸術に対する鷲見さんの問題意識、正義のようなものがある。

鷲見麿
新・聖なるファティアNo.1

  さて、鷲見麿さんの今回の個展も面白い内容なので、間に合う人は、ぜひ見てほしいと思います。

 今回の個展に合わせてまとめられたカタログの岡本光博さんの文章「『戦友』として」によると、「新・聖なるファティア」の連作は、15世紀の北欧の画家、ファン・エイク兄弟の作品の超絶的な「写し」と、三重県四日市市の「フリースクールめだかの学校」時代から協働しているリツコさんの描いた部分、付箋かカラーチャートのような箇所、立体の頭像、モザイク、ガラス片などから構成されています。作品には、ドイツ人女性ファティアさんの肖像もあるといいます。

新・聖なるファティア No.3

 作品は、ぜひ細部を見てほしいと思います。「画家・鷲見麿さんについて」も参照してください。それから可能なら、カタログにある鷲見さんの文章「スミマロの最後の絵」を読んでください。これまで聞いた内容もありますが、改めて気になる部分もありました。

 私は、静かに今後を見守りたいと思います。

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