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平田あすか個展 大地の音

AIN SOPH DISPATCH(名古屋) 2020年3月28日〜4月11日

平田さんは1978年、愛知県生まれ。名古屋芸術大・同大学院で油絵、版画を学んだ作家である。
この画廊の個展を中心に何度も見てきたが、これまで記事を書く機会は持たなかった。絵画、刺繍、立体、ドローイング、絵本などさまざまな技法を用いる。作品の形式への思考を巡らす、手法自体を突き詰めるというよりは、イメージそのものに特徴があって、表現の仕方も恬淡とした感じがあるため、するりと通り抜けてしまったのかもしれない。

 今回の展示は、100号サイズのキャンバス3点を横に連ねたパノラミックな大作が中心。他に、絵本の原画ともいえるドローイング類がある。
 横長のアクリル絵画は、2012年に制作してから、一度、手が止まった作品で、2019年になって制作を再開した。キリンやサイ、ワニ、ラクダなど野生の動物が描かれ、その全てが右方向を向いて、たたずんでいる。画面の右端には、裸の女性が同じく右方向を向いて立っている。
 もちろん、これだけの動物が整列するように並ぶことも、そこに裸の女性が一緒にいることも現実にはありえないので、これは空想上の情景。そして、2007年に平田さんはアフリカ・ケニヤのナイロビで1カ月ほど、滞在制作をしているので、そのときの体験が反映していることが推測される。

平田あすか

誰の目にもとまるのは、これらの動物がまるで、人間が着ぐるみを着たように四肢の下から、人間の手足が出ていることだろう。このように異なるイメージが不意につながっていくのが、平田さんの作品の特徴の1つである。それは、顔など人間の身体の一部または全身、昆虫、獣、魚、雲、鳥、山や海、植物などで、シームレスな、意外なつながりがある。シュールでありながら、どこかコミカルで飄逸な感じもある。
今回の作品で、筆者が注目したのは、人間を含む全ての動物が同じ方向を見ていることである。同じ空間を共有し、互いに共存しながら、相対せずに1つの方向、すなわち裸の女性と同じ方向を見ている。向き合うという対決の姿勢でなく、同じ方向を見て、包み込みあうように互いを受け入れている。

この光景をあえて図式化すれば、生き物の多様性の光景、そして、人間を含め、この地球上に生きている動物たちが仲間であるという、ある種、牧歌的な光景ではないだろうか。裸の女性は人類を含意するし、動物たちは生きとし生けるものを象徴する。動物の中に人間がいるような擬人法的な姿は、動物の中に人間のような気持ちをみてとる、動物と人間を同じ次元でシームレスにつなげるという解釈であながち間違っていないだろう。

平田あすか

ここが肝心なのだが、裸の女性もまた人間の着ぐるみを着ているように、手足のところから別の手足(本当の手足と言ってもいい)が出ていることだ。動物の中にある「本当の気持ち」を動物の四肢から現れている人間の手足が表しているとすれば、人間から出ている手足も、「本当の気持ち」「本当の自分」を表しているとは言えないだろうか。
つまり、このサバンナで同じ方向を見ている多様な動物(人間も含む)は、気持ちを持っている、「本当の自分」に還っている、そして戦いのない世界で思いを共有している。そんな光景だと、筆者は受け止めた。

平田さんは大学で油絵を学んだ後、版画を中心に制作。その後、多様なメディアへと移行した。刺繍に見られるように線で表現するタイプの作家で、絵画も塗りは抑え、ドローイングに近い味わいがある。今回の絵画も、ペインタリーな作品ではなく、アクリル絵の具で淡く、ドローイング的に線を重ね、背景も塗りの物質感やマチエールの印象はほとんどない。線でイメージを紡ぐ作家なのである。

平田さんによると、こうした異質なイメージの出合いと結合は、ほとんど無意識に湧き上がってくるようである。それでいて、彼女の作品は、自ずと見る者の中に、ある種の物語性を生む。言葉より先にイメージがある一方で、イメージが見る者の中で言葉に結びつく。
今回、平田さんが絵本「いきものの小景」を制作したのは、この流れを逆回転させる、つまり、言葉をつづることで自分のイメージの源泉を探ることを狙いとしたようである。絵本は、瞳の中にある風景をモチーフにした詩的な断章の連なりのような作品である。
平田さんが紡ぐイメージと結びつく、内奥に沈潜している思いとはなんなのだろうか。絵本がヒントになる。

「縄文人はシミができやすい」「ネアンデルタール人は胴が長く足の短い因子を持っている」。絵本にある言葉は、平田さんの紡ぐイメージのとても大切なものを示唆している。
シミや短足など、人間や日本人が持っているどちらかと言えばネガティブな部分も、縄文時代や化石人類の時代まで長い歴史を遡るように想像力を羽ばたかせていけば、嫌な気持ちにならず受け入れられる。世界全体を愛し、現在のみならず過去、未来へと、眼差しを飛翔させて俯瞰すると、世界を見る目も、自分を見る目も優しくなる。
土の中のヒメミミズや、センチュウ、土 を ほぐし て 肥沃 にする フンコロガシ、菌類、細菌類、人間の中の遺伝子や細胞‥。小さな世界、見えない世界、見ていない世界を思うと、やはり優しい自分になれる。平田さんはミクロ、マクロ、小さな生き物から大きな宇宙まで自在に思いを巡らし、人間の身体と自然界の多様なものをつなげて、ネガな思いをポジに変換させる。瞳に映る世界を私たちは選べるということ。

身体を形作っている細胞、遺伝子に目を向ければ、同じように、見えていなかったいろいろなものがつながり、世界を俯瞰できる。
大きく世界を眺めることで、あるいは小さな存在に目を向けることで、ネガティブなものがそうでなくなり、心が軽くなって、幸せな気持ちになる。《私》が囚われていた《私》から離れ、「本当の自分」「本当の気持ち」になる。着ぐるみのような人間や動物の中にいる「本当の自分」へ還っていける。

平田あすか

身体と自然、動植物、日常や過去の経験、人生の断片、感じたこと、記憶など、さまざまなイメージがシームレスにつながっていく平田さんの作品は、空想力が時空を巡った結果。それによって、目に見える世界から離れ、囚われていた自分から「本当の自分」に還っていく過程である。平田さんにとって、気持ちが楽になる何かを見つけていくプロセスであると言ってもいい。

 見えない生態系、進化や歴史の断片のつながりの恩恵の中で生きていることを知ること。それは必ずしも美しいもの、心地よいものばかりではない。グロテスクなもの、汚れ、短所、不快と思えるものがあっても、それらを含めた上での時間と空間を超えたつながりである。
 平田さんの作品が、身体と花、魚、動物、植物、山や海などが一緒になった異形、キマイラのようであるのはそのためだろう。時空を超えた見えないつながり、遠くのものと結びあうことによって、世界を俯瞰し、「本当の自分」に還っていく、そんな作品である。

平田あすか
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