ガレリア フィナルテ(名古屋) 2025年4月15日〜5月3日
早矢仕清貴
早矢仕清貴さんは1959年、岐阜県生まれ。愛知県立芸術大学卒業、同大学院修了。ガレリアフィナルテでの2021年の個展では、人物や人を含めた情景、扇風機、オープンラック、2023年の個展では身体の一部あるいは観葉植物、積み上げられた本などがモチーフだった。
何を描くかは、そのときの関心による。早矢仕さんにとって内容が決定的なわけではない。いずれも自分で撮影した写真や、ネット上の写真をもとに描いている。

絵画において多くのことがやり尽くされた中で、それでもなお自分にとって大事な「描くこと」と「何ができるか」をしっかり意識している。筆者の印象はそうである。
先鋭的なわけではない。もとより、今現在、先鋭的な絵画は可能なのだろうか。新しいことはその人の感性によって小さく生まれてくる。
早矢仕さんは、絵画の形式面にスタンダードに注力しているように思える。ゆえに個性が突出するわけではない。すでに過去の作家によってされていることかもしれないが、自分の立ち位置でしっかり試行錯誤している。それがかえって魅力である。
2025年 個展

早矢仕さんは、限界まで手数を減らして、いかに写真のリアリズムに近づけるかを考えているように、筆者には思える。その切り結ぶような駆け引きである。たぶん、モチーフの選択もそこに関わっている。
筆のタッチを減らす。さらっと、淡白に、さりげない色面を描く。それでいて、立体感や奥行き、明暗、存在感を出そうとする。
この描くことの抑制と、写真と、絵画的なるものーー3つの変数が、どう絶妙なバランスで関係を結び合うかを試す実験をしているのだ。

実物の作品を見るとわかるが、手数はとても少なく、のっぺり塗られている。それなのに絵画を感じる。そして、写真的でもある。
モチーフ選びは、こうした問題意識と緊密な関係を持っている。例えば、今回の場合は、靴が描かれた作品が多いが、この革靴の膨らみ(足らしさ)、光と影をどれだけ「描かずに」、「写真っぽく」、「絵画として」見せるかが大事なように思える。
形態を構築せず、ただの絵具の塗りのばしが、リアルに絵画として成り立ち、写真にあった空気感を出せるか、である。

今回は、さらに支持体を変形させたシェイプト・キャンバスに描いている。早矢仕さんによると、余白をつくらないようにすることを実験したようである。
それによって、絵画の物体性が強まり、いくらか写真的な要素や、空間性が減じられる。キャンバスの形が新たな変数となった。
描くことの意思。その上で、手数の抑制と、写真イメージ、絵画的なるもの、そして物体性という4つの変数によって、何が生まれるかを自分らしく問い直している。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)