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加藤豪展 “ルーレット”

 愛知芸術文化センター・アートスペースX(名古屋) 2020年3月31日〜4月5日

 加藤豪さんは1964年生まれの名古屋市在住の美術家。かつて筆者が新聞記者時代に何度か取材したアーティストの1人である。1990年代は、名古屋のGallery HAMで個展を開き、1997年に世田谷美術館の開館10周年記念展「デ・ジェンダリズム~回帰する身体〜」に、マシュー・バーニー、レベッカ・ホーン、マリーナ・アブラモヴィッチ、ヴィト・アコンチなどとともに出品した。

加藤豪

 30代前半だった筆者は当時、HAMでの個展とともに、このデ・ジェンダリズム展にとても刺激を受けた。その後、2002、2003年頃、加藤さんは、名古屋の大須と矢場町の中間地点あたりにアーティストランスペース「Culture Medium」を開設。制作は続けていたが、2004年の「六本木クロッシング」(森美術館)、2008年の釜山ビエンナーレ(釜山市立美術館)に作品を出して以後、展覧会には参加しておらず、今回は12年ぶりの作品展示となる。本人いわく、「消えた作家だと思われていただろうが、ずっと制作していた」。

加藤豪

 1990年代に見た加藤さんの作品は、例えば、古代ギリシャ・ローマを彷彿とさせる大理石で作られた西洋的な男性のトルソが床に仰向けに倒れ、日本刀が突き立てられた彫刻。展覧会のタイトルは、ミッシェル・セールの著書「STATUE」から取られ、作品には、男性と女性、日本と西洋などの概念対比が屈折をはらんでねじれた態様が示されていた。

 あるいは、大理石で作られた肉感的な巨大な唇‥。加藤さんは「彫刻」を作り、そこに性や政治、歴史、日本という問題意識をこめてきたように思う。そして、ミッシェル・セールの「STATUE」が最初の彫像をスフィンクスやミイラ、死体へと遡ったように、加藤さんもまた自身の作品を美術史の中へ、そしてその初期、基礎へと遡った。

加藤豪

 今回も、初期へ遡及するという姿勢は変わらないものの、展示したのは、絵画のシリーズと、写真である。加藤さん=彫刻家のイメージがあるが、もともとは東京芸術大の油画専攻の出身で、会田誠さんと同級である。6年ほど前から絵画に取り組むようになったと聞いた。

加藤豪

 油絵作品のタイトルは、全て「Initial」。サイズはいずれも、803×803ミリで統一されている。何が描いてあるのかは分からない。シュールレアリスム、無意識と関係がある作品であると、加藤さんは説明する。その一方で、色の数は限定。マスキングをして、混色しないように描かれ、版画に近い印象も受ける。「Initial」というタイトルからもわかるように、エジプトやギリシャなど、初期の芸術、基礎となる美術を思い起こせ、との考えが込められている。そして、芸術とは「抑制」だという。

 一方、写真は、ラムダプリントの連作。街並みを写した2点が「A Galloping Horse」(奔馬)で、他の作品は「Komaki Airport」である。加藤さんによると、ジョルジュ・バタイユらが1929年4月から2年間発行したフランスの雑誌「ドキュマン(Documents)」に、Galloping Horseという言葉がある。バタイユは、「狂奔する馬」の意味で使ったが、加藤さんはこれを「奔馬」=正統な馬に置き換え、正統な馬を思い起こせ、美術の土台、正統性を思えというメッセージを込めたとしている。

加藤豪

 写真は、航空自衛隊小牧基地で、加藤さんが撮影した最新鋭戦闘機F35や輸送機が中心。戦闘機と言えば、加藤さんは1990年代、大理石のケーキに戦闘機が突っ込む作品を制作したことがある。5、6年前、名古屋市内の自宅から自転車で小牧基地に向かい、撮影するようになった。日常の中の非日常の光景である。自転車をこいで進む普段の街並みの上空の爆音と機影。300〜500ミリの望遠レンズで捉えた戦闘機は、どこか玩具のようにも見える。人間の文明の最先端であって、そこに人間の感覚を超えた非日常感がある。

 加藤さんは、Facebookに「たとえ、一万回生まれ変わったとしても美術をやりたいと、最近家族に言っています。それぐらい足りない意識が強いのですね。『天才』意識の反対です」「私にとってメープルソープとマイク・ケリーは特別な対象であり、それは関心対象ということを超えて、『あなた』と呼ぶ対象になっています」「真の美術家とは、歴史を総覧的に網羅し、その先っぽに後追い・お追従をすることではなく、歴史を駆け巡るのです」などと書いている。現在、加藤さんは、noteで、「加藤豪と矢田滋の、美術展を見ての往復書簡」を継続している。
   

加藤豪
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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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