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塔本シスコ展 岐阜県美術館で4月23日-6月26日

塔本シスコ展 シスコ・パラダイス かかずにはいられない! 人生絵日記

 岐阜市の岐阜県美術館で2022年4月23日〜6月26日、「塔本シスコ展 シスコ・パラダイス かかずにはいられない! 人生絵日記」が開催される。

 塔本シスコさんは、1913(大正 2)年、熊本県郡築村(現・八代市)生まれ。養父の傳八は、自身のサンフランシスコ行きの夢を託し、シスコと命名した。

塔本シスコ
塔本シスコ《もらったラン、もらったシクラメン》1996年 個人蔵

 シスコさんが 9歳の頃、家業が傾き、小学校を中退。その後、奉公を重ね、20 歳で結婚した。一 男一女を得たが、46歳のときに夫が急逝。心身ともに不調の日々から立ち直る中で、 子どもの頃から憧れていた絵に夢中になっていった。

 53歳のある日、大きなキャンバスに油絵具で描いた絵画世界は、何ものにもとらわれない喜びや夢で満たされていた。

 作品の主題は、身近な草花や動物から、時間も場所も自由自在に超えて子どもの頃の思い出にまで広がった。

塔本シスコ
1992年《山田池公園の春》の頃

 生涯にわたって、少女のような純粋さを保って描き続け、2005年に91歳の人生を閉じた。

 本展では、これまで広く紹介される機会が少なかったシスコさんの作品200点以上集め、ほとばしるように展示室に満ちあふれるシスコ・パラダイスを楽しんでもらう。  

塔本シスコ《オノダチの大運動会》2001年 個人蔵

展覧会概要

会 場:岐阜県美術館 展示室2、3 (岐阜市宇佐4-1-22)
会 期:令和4年4月23日(土)~6月26日(日) 10:00~18:00
※休館日:毎週月曜日 ※夜間開館:5月20日(金)、6月17日(金)は20:00まで開館 ※展示室の入場は閉館の30分前まで
観覧料:一 般 800(700)円 大学生 600(500)円 高校生以下無料 ( )内は20名以上の団体料金
※身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳、難病に関する医療費受 給者証の交付を受けている方およびその付き添いの方(1名まで)は無料

展覧会構成

第 1 章 「私も大きな絵ば描きたかった」 -パラダイスへの第一歩-

 シスコさんが本格的に制作を始めた1960年代の作品を中心に紹介する。

 熊本県の干拓地に生まれたシスコさんは、1933年、20歳で塔本末藏さんと結婚。家事や子育てをしながら、戦後は熊本市内で食堂を開いた末藏さんを支えつつ、自宅では鈴虫や金魚、チャボ などの小さな生き物を飼い、子どもたちと一緒に出かけてはスケッチを楽しむ生活を送った。

塔本シスコ《夕食後》1967年 個人蔵

 1959年、末藏さんが事故で突然亡くなる。深く悲しみ、心労が重なったシスコさんは、1961年に軽い脳溢血で倒れるが、石を彫って作品をつくるなど、リハビリテーションに励み、次第に体調を回復させた。

 1966年、画家を目指していた息子の賢一さんが家を出て働き始めると、賢一さんが家に残した作品の油絵具を包丁で削り落とし、その上に自分の作品を描き始めた。

 こうして、53歳にして、心の内に広がるパラダイスを描き出す最初の一歩を踏みだした。

第 2 章 「どがんねぇ、よかでしょうが」 -熊本から大阪へ-

 1970年の夏、シスコさんは、息子の賢一さんと同居するため、京都と大阪の中間地点、大阪府枚方市の一軒家に引っ越した。

 庭の周りにひまわりを育て、自ら作り出した景色に故郷の田植え風景を重ね、異なる時間と空間が一つの画面に溶け合った《長尾の田植風景》が公募展で入賞。絵を描く自信を得た。

塔本シスコ《長尾の田植風景》1971年 個人蔵

 シスコさんの絵に惹きつけられた人々との出会いから、次第に発表の機会が広がった。80 歳代に入って、さらに旺盛な制作を重ねた。このセクションでは、枚方市に移り住んでからの風景作品を中心に紹介する。

第 3 章 「ムツゴロウが潮に乗って跳んでさるく」 -ふるさとの思い出日記-

 70歳を過ぎてから、熊本で過ごした子ども時代を振り返って描いた作品を紹介する。

 シスコさんは自身が見て、感じた大正から昭和初期の故郷の 風景や記憶を丹念にたどりながら描いている。

塔本シスコ《五色山の想い出》1988年 個人蔵

 「熊本県宇土ノ花園ノ五色山へ原先生と三人で行き びつくりたまげた絵」(《五色山の想い出》1988年)のように、画面の中に説明を書き込むのはシスコさんの特徴の一つ。

 当時のことが忘れ去られていく中で、状況が少しでも正確に伝わるようにと思ってのことだったのかもしれない。

第 4 章 「私にはこがん見えるったい」 -あふれるシスコ・パラダイス-

 植物や動物など、シスコさんにとって身近な存在を描いた作品を紹介する。

 とりわけ植物を描いた作品では、明るく鮮明な色彩があふれている。《金魚 大和錦の産卵》には、にごりのない鮮明な色彩で画面をこまやかに埋め尽くすシスコさんの特徴がよく表れている。

塔本シスコ《ネコ》1996年 個人蔵

 ネコはシスコさんの家では、大切な家族の一員だった。飼猫だけではなく、近所の野良猫たちも、 シスコさんにとっては、大切な話し相手、親しい隣人だった。

 シスコさんが身近な植物や生き物に心を向け、それぞれが宿す生命感を深く見つめ描きだそうとすることで、シスコ・パラダイスはとめどなくあふれ、広がっていった。

第 5 章 「また新しかキャンバスを持って来てはいよ」 -とまらないシスコ・ワールド-

 家族とのつながりや、日々の楽しい出来事を描いた作品を中心に紹介する。

 シスコさんにとって、家族は重要なモティーフであり続 けた。自分の作品を見に来てくれる人たちとの出会いも大切にし、喜んだ。

 晴れ舞台でもある展覧会など、楽しいこと、にぎやかなことが大好きだった。近所の人たちに囲まれながらテレビの取材を受ける様子を描いた《NHKがやってきた》は「シスコのおまつり」と裏書きされ、シスコさんの高揚感が伝わってくる。

塔本シスコ《NHKがやってきた》1995年 個人蔵

 80代になっても制作意欲は衰えず、家族に「また新しかキャンバスを持って来てはいよ」と言っては作品を描き続けた。

第 6 章 「私は死ぬるまで絵ば描きましょうたい」 -シスコの月-

シスコさんが晩年に描いた作品を紹介する。

 88歳の夏、シスコさんは貧血で倒れ認知症を発症する。それでも創作のエネルギー が衰えることはなく、最晩年、シスコさんは不思議な絵を描いた。

 幼児が発達段階の過程で描く「頭足人」を思わせる、頭と手だけの村人たちが集まった《フレ川綱引き》は、プリミティヴな熱気を放っている。

 ものを見て描くのではなく、心にとどめてきたイメージを表出させたシスコさんの真骨頂を示す一点である。

塔本シスコ《シスコの月》2004年(絶筆) 個人蔵

 絶筆は力強く輝く満月。それは、何ものにもこびずに生きたシスコさんの命のきらめきかもしれない。

第7章 「シスコは絵を描くことしかデキナイのデ困った物です」 -かかずにはいられない!-

 シスコさんの描きたいという衝動がさまざまな表現に広がっていった様子を紹介する。

 シスコさんの表現は油絵に限らず、スケッチや作陶、和装の人形作りなど、とどまるところを知らない。そうめんが収められていた木箱や、竹筒、木製の引き出し、お酒の空き瓶、しゃもじにまで絵を描いた。

塔本シスコ《鳥の精》2002年 個人蔵

 シスコさんは作陶にまで手を広げ、《鳥の精》のような一連の作品を残した。これらの作品には、ある種の神秘性が宿っている。

 自然への崇拝や、鎮魂の想いなど、シンボリックなイメージが託されているようにも感じられる。

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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