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竹田大助 オートマティズムの極北60,61

この記事は、白土舎で2006年5月27日〜6月24日に開かれた展示に関するものである。
 竹田大助については、同じ画廊の「戦後美術のメモランダム」シリーズが、これまでも一九五〇年代の初期油彩画やミメオグラフ(謄写版)のモノタイプを紹介しており、『REAR』10号でも、四〇年代末から五〇年代にかけての竹田の作品展開を紹介した。しかし、そのときの記述の中心はミメオグラフで、オートマティズムの作品について十分に言及したわけではなかった。その時点で、これらの作品を見る機会がなかったこともあるが、竹田の「最後の作品」であるこの連作に触れることが躊躇われたせいでもあった。
四八年に絵を描き始め、わずか十二、十三年後の六一年に制作を中止した竹田が、六〇、六一年ごろ、最後に集中して描いたのが、このオートマティズムの連作だ。その数約二十点。画面は暗く、不安定な灰褐色や黄褐色の地に絡み合うように、荒々しくも神経質な線描がランダムに走り、焦点のないオールオーバーな画面にあてどなく色や線が広がっている。
床に置いたキャンバスに、パステルやクレパスによる自動記述を展開するアクションペインティング。ここで特筆すべきは、竹田があらかじめ、キャンバスの表面を木工用ボンドで白く塗ってから、それが渇くまでの時間の中で、即興的に描いていたことだ。極度の集中力を、限られた時間内に傾ける方法によって、竹田は、描くやいなや、白いボンドに埋もれる描線の軌跡や色彩の重なりを確認するまもなく、ただ描くという行為にのみ傾注した。瞬間のイメージがすぐに次のイメージに取って代わられる過程で、かすかな残映が脳裏に生起していくとしても、描かれたものは、即興的に続く不定形の連鎖によって、ほとんど意識化されないまま、ある種のトランス状態での行為のみが続くことになる。
白い液体の中に描き、その痕跡がただちに消失する、すなわち、描きつつあるその対象が見えないという状況下で、ただ描くという行為。それは、盲目のうちに描くという行為に似てはいないだろうか。白いボンドで塗られたキャンバス自体は見えるものの、色も線も形も瞬時に見えなくなる。描く行為と、ボンドが渇いた後に産出されるイメージの、深い断絶。「極北」とは、そうした意味だろう。
デリダが『盲者の記憶』の中で、目の本質を、外界を見て認識する視覚ではなく、涙を流すことに置いているのは示唆的だ。幾何学的抽象やシュルレアリスムに依拠しつつも、それまで外界や社会と切れることなく、いやむしろ、外界に眼差しを向けてきた竹田が、そうした外界や社会を、さらには、自ら描いたものさえも見ることなく、ただ描くという営為にのみ賭したとすれば、それは、抜き差しならない孤絶の悲しみ、言い換えれば、美術界からの撤退をも、既に黙示していたはずである。
見ずして描くという竹田の作品には、視覚が捉える表層の認識や意味から隔絶した、現実への否定性があり、またそこに、かろうじて自己の実存をつなぎ留めようとした姿が見てとれる。マチエールの重厚さを欠き、表面をボンドの皮膜で覆ったこれらの連作は、荒々しい物質性をも透明な檻の中に密閉したようにも見える。半面、暗澹たる色彩の中には、吹っ切れたような清々しさ、静かな叙情のようなものがあって、五〇年代末の、矛盾を極めた現実への反抗や激しさが、もはや和らいでいる。十年余に及ぶそれまでの作品にみられる意思の表明を突然、止めてしまった竹田に何があったのか。このオートマティズムの極北によって制作を中止した竹田は、勤めていた中学校を辞し、美術界からも消える。絶望があまりに深かったのだろう。
 この記事は芸術批評誌「REAR」(2006年15号)に掲載されたものに加筆修正したものです。