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杉山健司・浅田泰子  2月14日まで スタンディングパイン(名古屋)

STANDING PINE(名古屋) 2021年2月6〜14日

「ウチの犬の言うことには」

 夫婦である杉山健司さんと浅田泰子さんの2人展である。単におのおのが好きに作品を展示したわけではなく、フィクションの枠組みを設定した上で出品している。

 杉山さんと浅田さんは、2008年を皮切りに継続して、こうした2人展を開いている。今回は6回目である。

 共同制作というわけではない。最も近い存在のパートナーでありながら独立したアーティストでもある2人が、自律と協働によって、異なる素材、コンセプトの作品を空間に配置。2人だからこそのフィクショナルな空間をつくるのである。

 実際のところ、それぞれが自身の作品世界を深めつつ、決して1人ではできない展示空間ができあがっている。

杉山

 杉山健司さんは1962年、名古屋市生まれ。 愛知県在住。1989年、愛知県立芸術大大学院修了。筆者は、1990年代半ばから、作品を見ている。

 当時は美術作品の内側、外側をテーマにした東京・板橋区立美術館の「美術の内がわ・外がわ-何故、眼差しは交わったのか-」展に出品するなど、大型のインスタレーションを展開。

 その後、現在まで、空き箱や立体を使った仮想の美術館を制作するが、そこには、空間の内側/外側と眼差し、内界(精神界)と外界、公と私、あるいは記憶や情報のアーカイブなどのテーマが畳み込まれている。

 一方、浅田泰子さんは1989年 愛知県立芸術大大学院研修科修了。人形やアンティーク瓶など、日常の生活空間や旅先などで感情が動いたささやかなものをモチーフに選び、お菓子の箱や紙切れ、布地など、チープな既製品に描いている。

 近年は、陶の立体も制作。モチーフとイメージ、平面と立体、素材や支持体を自由に行き来しながら、温かな空間をつくっている。2020年11月から2021年1月末までの3カ月間は、信楽で滞在制作。本格的な陶のオブジェに挑戦した。

 今回は、2人が、「空想の入り口」「犬の眼」「うちの犬の冒険」「見えない敵と戦う」「鏡」という5つの共通のタイトル(テーマ)で制作し、それらを緩やかな対応関係で展示するというスタイルを取った。

 テーマを決めた上で、2人が異なる方向へと空想を広げ、物語を展開させる。コロナ禍で、誰もがひきこもる時間が増える閉塞感の中、想像力は自由であると言わんばかりである。

 浅田さんが信楽で滞在制作をしていたため、展示全体に関わるすり合わせはリモートで進めた。

 面白いのは、「ウチの犬の言うことには」という展覧会全体のタイトルが示すとおり、2人の愛犬である茶色のフレンチブルドッグがイマジネーションの導き手(媒体)になって、物語世界を展開していることだ。

 彫刻家の若林奮さんが、自然界と人間界の間にある存在として、犬の視点を作品に取り入れたとすれば、ここでは、犬の思いを妄想することで、空想が広がっている。

空想の入り口

 杉山健司 茶色のフレンチブルドッグが外から家の中を覗き込んでいる。中からは、以前飼っていた黒色のフレンチブルドッグが見返している。

 鑑賞者がミニチュア化された美術館の中を覗き込む杉山さんのこれまでの作品と同様、視点の移動、細部をまさぐるまなざしが新たな空間の感覚や空想、記憶へと導く。思わず覗き込む、回り込むという空間が誘う身体性は、初期の杉山さんの作品から一貫している。

 浅田泰子 床に置かれたウォールミラーの上に焼き物で作られた犬の頭部が載って、虚空を見つめている。

 犬は、角をはやし、異形化している。鑑賞者は、上から見下ろすことで、その犬と対面しながら、背後の鏡に映った自分とも向き合う。まさに見る人を空想へ導く装置である。犬の顔は恐ろしい半面、どこか滑稽で笑える。

犬の眼

 杉山健司 ガラスで制作した犬の瞳である。注意深く見ると、瞳の奥に犬がいる。犬が自分の映った鏡を見ているときの眼を再現した。「鏡」という作品の、犬が鏡を見ている場面のインスタレーションと連動した作品である。

 

 浅田泰子 同様に犬の眼を作っているが、素材が陶なのが面白い。すぐ横に杉山さんのガラスの眼があるので、質感と表現の違いが印象付けられる。

うちの犬の冒険

 このコーナーは、浅田泰子さんが陶のオブジェ、絵付けをした陶板、ドローイングで構成した。杉山健司さんは、ドローイング2点を展示した。いずれも、犬をモチーフに、自由な発想で制作されている。

見えない敵と戦う

 杉山健司 見えない敵といって、誰もが想起するのが新型コロナウイルスである。台座の上で、息子の彫刻が足を大きく開いて立つ。見えない敵と格闘しているのだろうか。

 視線は下に向いている。台座の中は部屋の空間になっていて、ディテールまで作り込んである。もう1人の息子が反転したように立ち、床面(台座上部)を境界にパラレルワールドがあることが分かる。どちらが現実でどちらが虚構なのか。杉山さんらしい作品である。

 浅田泰子 台座に載った胸像をはじめ、いくつかのオブジェで構成されたインスタレーションである。

 胸像の頭部が割れて別の人物がいるなど、いずれも異様なオブジェである。ユーモア、アイロニー、オブセッションがにじむ奇想の世界と言ってもいい。

 杉山健司浅田泰子 杉山さんの作品では、息子と犬の立体が鏡を見つめ、鏡の内部にはその写像ともいうべき立体が作ってある。台座を上から覗き込むと、立体内部に図書館の空間があった。

 浅田さんの作品も、鏡を見る、そこに映る自分という構造を焼き物で表現している。

犬の宝石・犬小屋

 5つのテーマとは別に、浅田泰子さんによるコーナーが設けられた。犬に関わる空想が自由に展開し、陶のオブジェが数多く展示されている。壁にはドローイングも。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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