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須貝旭個展 ギャラリーヴァルール

ギャラリーヴァルール(名古屋) 2019年11月26日〜12月21日 

 須貝さんは、兵庫県生まれ。現在は、愛知県立芸大大学院の博士後期課程に在籍している。芸術が、創作した作品の永遠性を希求するものだとしたら、須貝さんの作品はむしろ、時間とともに変化していくものである。個展のタイトルは、「これから来る過去、通り過ぎた未来、おぼろげな今」。森山大道の著書「過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい」なども思い起こさせる、逆説的なものである。

須貝旭

 須貝さんは、キャンバス、あるいは一部はパネルに和紙を貼った支持体に銀箔を貼って地とし、シルクスクリーンで写真を基にしたイメージを定着させている。昨年、制作した額縁をモチーフにした「frame」シリーズと、今年に入って新たに始めた狩猟鳥獣を題材にした「still-life」シリーズがある。額縁は、絵画を保護し、描かれたものを作品として成立させる構造体であるとともに、絵画空間を窓として外の世界から区分けするフレームで、近代以降は批評の対象ともなってきた形式である。他方、狩猟の獲物である鳥獣や食材を描いた静物画が17世紀のオランダでよく描かれ、須貝さんもそこからイメージを借用した。

須貝旭

 シルクスクリーンによるイメージは、粒子の細かい工業用のアルミナホワイト、透明なアクリルメディウムを使い、マットな白色を定着。一部は、油を吸って半透明になって下層が見える部分も作っている。水に溶ける肥料用の尿素もスプレーで吹きかける。地の銀箔は時間とともに錆び、描画用の乾性油も黄変するなど変化。とりわけ尿素は結晶化し、繊細に毛羽立ったようになっているが、湿気の度合いによって変化していく。乾性油の硬化に伴って、一部は定着するが、一部は消えていく。こうした変化によって、時間とともに見えなかったイメージが立ち現れてくる。

 昨年制作した額縁の作品は、自分で用意した額縁を写真に撮って製版した。1年を経過し、既に黄色がかっていて、当初と比べると、かなり変化していることが分かる。今後の変化も、予測できないそうだ。画面が真っ黒になってくる可能性もあるらしい。銀箔や油が変色し、時間の経過とともにイリュージョンとしての額縁の形が現れる。絵画空間と外の世界との境界領域としての額縁が幻影の中にうつろい、額縁の中に浮かび上がるもの、外に連なる世界、額縁そのものが溶け合うように変化していく。

 一方、狩猟画の作品は、ほんの少し前までは生きていたであろう、台所や食料庫などに逆さに吊された17世紀オランダ 絵画の鳥獣のイメージが題材。額縁と同様、イメージがうつろい、そして立ち現れてくる。狩猟画に描かれた鳥獣は、須貝さんにとって、野生の生きた鳥獣と食肉とのあわいにある存在である。死の直後、息絶えても、リアルに毛並みを描かれた鳥獣は、まだ生命の名残を感じさせ、「動物」ではないにしても「静物」にもなり切っていない。

須貝旭

 こうしてみると、須貝さんの作品のモチーフは、「境界」であることに気づく。昨年、描いた額縁は、絵と外の世界を分ける境界であって、宙吊りにされた鳥獣は、生と死の境界を漂っている存在だ。時間とともに老い、死に、腐食する現実から隔てられ、永遠を約束されているはずのイメージが変化し、「今」という境界であり続ける。

 あいまいなイメージは常にうつろい、その瞬間性において、未来が到来しては過去になっていき、あるいは、過去が現れ、未来を押し流していく。つまり、そこでは、内側と外側、生と死の境界で静止することがない。今という固着した永遠性はなく、瞬間性が更新され続ける限りにおいて、永遠である。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

須貝旭
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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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