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STANDING PINE(名古屋)でグループ展「Our Bodies」2023年11月25日-12月16日に開催

STANDING PINE(名古屋) 2023年11月25日〜12月16日

身体をテーマにした1970年代の表現

 コレクターの作品をもとに、バス・ヤン・アデル、ヴィト・アコンチ、岡崎和郎、榎倉康二、榎忠、藤井博、高木修による身体を表現媒体とした写真作品やパフォーマンスの記録写真を展示している。

 アーティストの身体そのものを作品化することで、さまざまなアプローチで表現の可能性を広げ、身体への認識や、個人と社会、精神と肉体の繋がりを問いかけている。

バス・ヤン・アデル

 バス・ヤン・アデル(1942-1975年、消息不明)はオランダに生まれ。アムステルダムのリートフェルト・アカデミーを経て、米国移住後、オーティス美術デザイン大学とクレアモント大学院を修了。

 1970年から「落下」を主題としたパフォーマンス映像を発表。パフォーマンスアーティスト、写真家、映像作家として活躍したことで知られている。

 1975年に、米国から英国への大西洋横断史上、最小ボートでの航海を試みた際、海上で行方不明になった。その後、漂着した彼のボートからは彼の運命を知る手がかりはほとんどなかったとされる。

 彼の最期は謎に包まれているが、彼の失踪から40年以上経った今もなお、その影響力は高まっている。今回は、MoMAにも収蔵されている代表作「I’m Too Sad to Tell You」の写真作品を展示している。

 彼が泣いている3分間のサイレントモノクロ映画、数枚の写真、そして「I’m too sad to tell you」と書かれた友人宛てのポストカードで構成されている。

ヴィト・アコンチ

 ヴィト・アコンチ(1940-2017年)は米国ニューヨーク生まれ。アイオワ大学大学院で文学・詩学を専攻し、60年代初頭は詩人として活動した。60年代後半から、自らの身体を使い、公私の境を曖昧にするパフォーマンスを中心に映像や写真作品を発表。

 代表作《シードベッド》(1972年)は、1972年1月にニューヨークのゾンアーベント・ギャラリーで3週間にわたって上演したパフォーマンス作品。上げ底にしたギャラリーの床下に寝そべったアコンチが、毎日8時間、床の上を歩き回る鑑賞者たちを性的妄想の対象にマスターベーションをし続け、見る側と見られる側の逆転を提示した。

 パフォーマンスやビデオアートの先駆的な存在として国際的に知られ、同世代だけでなく後続世代の多くのアーティストにも影響を与えた。

岡崎和郎

 岡崎和郎(1930-2022年)は岡山県生まれ。身の回りにある事物やイメージ、自然物を引用し、それらの内実を反転させる手法によって、様々なオブジェを制作し、従来の思想では見落とされてきたものを補うという御物補遺の思想に到達した。

 岡崎の代表作「HISASHI」は庇から着想を得て制作され、1977年頃から様々な素材、形状へと発展を続け、「補遺」の概念を的確に表す岡崎の代表的なシリーズとして知られている。

 「手びさし/セルフポートレート」(1978年) では、手で庇を作っている岡崎自身の姿が撮影されている。岡崎は「手はつねに自分と物の間に介在し、あらゆる事物の前にあらわれる」と語っている。

榎倉康二

 榎倉康二(1942-1995年)は東京都生まれ。「もの派」の作家の一人とされている。物と物、物と身体を取り巻く空間といかに関係を築いていくかを、作品を通して問い続けた。

 榎倉は「肉体と物との緊張感こそ私が探りたい事であり、そしてこの緊張感が自身の存在を自覚し得る証しだと思う」と語っている。

 パリで撮影された写真作品「P.W.-No.51 予兆−床・手」では、静止した時の中で永遠に触れ合うことのない手と床の間が、シリーズ名の予兆の示す、兆し、前ぶれ、何かが起こるかもしれないという可能性と緊張感を生み出している。

榎忠

 榎忠(1944年-)は香川県生まれ。現在は神戸を中心に活動している。60年代後半から関西を中心に活動し、前衛グループ「JAPAN KOBE ZERO」での活動を経た後、数々の型破りなパフォーマンスを発表してきた。

 「JAPAN KOBE ZERO」脱退後、髪の毛を使った表現をしたいと考え、全ての体毛を半分剃り落とした状態で生活することを思いつき、その姿のまま会社に出勤し、日常生活を送った。

 その後、知人の紹介でハンガリーに行くことになり、代表作「ハンガリー国へハンガリ(半刈り)で行く」を発表した。

藤井博

 藤井博(1942年-)は岐阜県生まれ。70年より作家活動を始め、生肉と鉛を用いたインスターレション作品《「波動」1(肉・鉛・地)》や、榎倉康二、高山登、羽生真とともにパフォーマンスを含めたイベントである「スペース戸塚’70」を開催した。

 写真作品「石・人・塀」(1975年)では、身体は特別な価値を持つものとして扱われておらず、石・人・塀はすべて等価の物質として並列されている。

髙木修

 髙木修(1944年-)は栃木県生まれ。立体造形を中心とした制作で知られる一方、「グループ361゜」としてパフォーマンス活動も数多く行っていた。1970年代以降、高松次郎の主宰した「塾」に学ぶと同時に、哲学者の市川浩にも師事。

 本展では、自ら川に横たわり流れを変えるパフォーマンスの記録写真『流れを変える(奥多摩)』(1974年)を展示。

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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