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名古屋の登龍亭一門 落語家が5人に

名古屋の登龍亭一門 落語家が5人に

 2021年9月24日の読売新聞(東海)の愛知版によると、名古屋の落語家、登龍亭獅篭さんに2人目の弟子が加わり、登龍亭一門は総勢5人となった。名古屋の落語家は昭和時代の初め以来、最多という。今後への期待がかかる。

  5人は、獅篭さんのほか、幸福さん、福三さんと、獅篭さんの弟子の獅鉄さん、今回入門した新弟子。

 読売新聞によると、新弟子は篭二さんで、2021年3月に弟子入りを志願。見習い期間に続き、弟子になった。

 獅篭さんは 2003年 、前座時代に立川流を破門され、同じ境遇の幸福さんと大須演芸場を目指して、当時の雷門小福門下に移籍した。

 その後、福三さんが小福さんに弟子入り。2012年に小福さんは亡くなったが、2018年に獅鉄さんが獅篭さんに弟子入りした。 2020年4月には一門の亭号を雷門から登龍亭に改めた。

 この間、大須演芸場が経営危機に見舞われ、1年7カ月間、閉鎖。2015年9月に復活したが、今度はコロナが襲いかかった。

名古屋の落語家 雷門獅篭さんら一門4人 4月から「登龍亭」へ亭号を変更

 名古屋を拠点とする落語家、雷門獅篭さんのツイッター、2020年1月29日の読売新聞などによると、名古屋の雷門一門の4人が2020年4月1日から、亭号を「雷門」から「登龍亭」へと改める。読売新聞によると「登龍亭」は、明治時代に東京の落語家が名乗ったのが最後。大須演芸場のwebサイトによると、「登龍亭」のお披露目興行が4月1、2日の定席寄席で催され、チケットが2月1日から先行販売される。
 読売新聞などによると、雷門獅篭さんと雷門幸福さんは、立川談志に破門され、2003年、名古屋の雷門小福師匠のところへ転がり込み、その後、雷門福三さんも加わった。2018年には、獅篭さんが初の弟子をとり、獅鉄さんと名乗っている。

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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