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『長崎の郵便配達』伏見ミリオン座(名古屋)などで8月5日公開

『長崎の郵便配達』(2021年/日本/日本語・英語・仏語/97分/4K/カラー/2.0ch)
監督・撮影:川瀬美香
出演:イザベル・タウンゼンド、谷口稜曄、ピーター・タウンゼンド
日本語字幕:小川政弘
フランス語翻訳:松本卓也
配給:ロングライド
© The Postman from Nagasaki Film Partners

平和の尊さを訴える

 長崎で郵便配達中に被爆し、2017年に88歳で亡くなるまで世界に核兵器廃絶を訴え続けた谷口稜曄すみてるさんと、 『ローマの休日』のモチーフになったといわれる英国人作家、ピーター・タウンゼンドさん(1914~95年)の交流を通じ、平和の尊さを訴える『長崎の郵便配達』が2022年8月5日、名古屋・伏見ミリオン座などで全国公開される。

 タウンゼンドさんは、英国マーガレット王女との世紀の悲恋で知られる元英空軍大佐。

 後に、作家として、長崎の被爆者運動の中心的存在であった谷口さんを取材し、1984年、その半生をノンフィクション小説『THE POSTMAN OF NAGASAKI』(『ナガサキの郵便配達』)にまとめた。

 映画は、タウンゼンドさんの娘で女優のイザベル・タウンゼンドさんが、『THE POSTMAN OF NAGASAKI』とボイスメモを頼りに、父親の長崎での取材の足跡をたどり、2人の平和への思いを追想する珠玉のドキュメンタリーである。

内容

 はじまりは1冊の本だった。著者はピーター・タウンゼンドさん。

 戦時中、英空軍のパイロットとして英雄となり、退官後は英国王室に仕えた。マーガレット王女と恋に落ちるも周囲の猛反対で破局。世紀の悲恋は世界中で話題となり、映画『ローマの休日』のモチーフになったともいわれる。

 その後、世界を回り、ジャーナリスト、作家となった タウンゼンドさんが、長崎で出会ったのが、16歳で郵便配達の途中に被爆した谷口稜曄(スミテル)さんだった。

 生涯をかけて核廃絶を世界に訴え続けた谷口さんをタウンゼンドさんは取材。1984年にノンフィクション小説「THE POSTMAN OF NAGASAKI」を出版した。

 映画『長崎の郵便配達』は、タウンゼンドさんの娘である女優、イザベル・タウンゼンドさんが、父親の著書を頼りに長崎でその足跡をたどる。

 2018年8月、女優のイザベル・タウンゼンドさんは長崎に降り立った。

 父親の著書をなぞり、 時にそのボイスメモに耳を傾けながら、スミテル少年が毎日歩いた階段や神社、被爆した周辺などを訪ね歩く。

 長崎のお盆の伝統行事、精霊流しでは、谷口さんの家族と一緒に船を曳いた。旅の終わりに彼女が見る景色とは――。

監督・撮影 川瀬美香

 広告制作会社、米ブロードキャストを経て独立。仲間とART TRUE FILMを立ち上げる。長編映画に『紫』(12)、『あめつちの日々』(16)など。

キャスト

イザベル・タウンゼンド

 1961年6月16日、フランスで、ピーター・タウンゼンドの娘として生まれる。

 80年代、ブルース・ウェーバーやピーター・リンドバーグといった写真家のもとで世界的なモデルとして活躍した後、ラルフ・ローレンと5年間の専属契約を結ぶ。

 1991年にカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したジョエル&イーサン・コーエン監督作品『バートン・フィンク』で女優としてのキャリアをスタート。

 2002年、長女の誕生後、フランスの学校で、英語によるインタラクティブな演劇プロジェクトをスタート。ワークショップや演劇の演出を通じて、若者たちと舞台芸術への情熱を分かち合う活動がライフワークとなる。

 現在は、夫と2人の娘とパリ近郊に在住。

谷口稜曄

 1929年、福岡県生まれ。14歳で長崎市の本博多郵便局に就職し、郵便局員として働く。

 1945年8月9日、自転車に乗って郵便物を配達中に被爆。背中一面に大火傷を負い、長崎県の大村市などの病院で手当を受ける。

 1年9カ月にわたって、うつぶせのままで過ごし、退院できたのは被爆から約3年7カ月後の1949年3月。翌4月に郵便局へ復職した。

 その後、約60年にわたり被爆者運動をけん引。「赤い背中」の写真とともに被爆の悲惨さを国内外で語り継いだ。

 訪問したのは10カ国以上。2015年、核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議に合わせて渡米し、NYの国連本部でスピーチを行う。

 同年8月9日に開かれた「平和祈念式典」では、2度目となる「平和への誓い」を読み上げた。

 1955年に結婚、一女一男の父である。2017年8月没。享年88。

ピーター・タウンゼンド

 1914年11月22日、英領インド・ビルマのラングーン(現ミャンマー・ヤンゴン)生まれ。

 1940年、英空軍の飛行隊長として、第二次世界大戦中の激戦「バトル・オブ・ブリテン」で英雄的活躍をする。

 1944年、退官後、国王ジョージ6世の侍従武官に任命される。その娘のマーガレット王女とのロマンスが世界中で報道され、物議を醸した。

 1956年、ランドローバーで世界一周の旅に出た後に、最初の著書「Earth my Friend」を執筆。2冊目の著書「Battle of Britain」はベストセラーとなり、現在でも歴史の参考書として使用されている。

 後年、作家として、戦争被害にあった子どもたちへ特別な関心を抱くようになる。

 来日して長崎を訪れた際に、谷口稜曄さんと出会い、取材。1984年にノンフィクション小説「THE POSTMAN OF NAGASAKI」を出版する。

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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