記事内に商品プロモーションを含む場合があります

三田村光土里「グリーン・オン・ザ・マウンテン」愛知県美術館で2023年6月30日-9月17日に展示 2023年度第2期コレクション展の一環

三田村光土里

  三田村光土里さんの作品「グリーン・オン・ザ・マウンテン」が愛知県美術館2023年度第2期コレクション展(2023年6月30日-9月17日)の一環で、同美術館展示室6に展示されている。

 偶然手に入れたネガフィルムに記録されていた見知らぬ家族の写真を起点に展開したインスタレーション作品である。

 三田村光土里さんは1964年、愛知県生まれ、東京都在住。 「あいちトリエンナーレ2016」に参加し、近年では、名古屋港〜築地口エリア一帯で開かれた「アッセンブリッジ・ナゴヤ2020」(2020年10月24日-12月13日)にも出品した。

 写真や映像、日用品や小物、衣服、音楽や言葉などを巧妙に組み合わせたインスタレーションで知られる。

 空間に配される写真は、その中の人にしろ、出来事にしろ、それぞれが来歴と記憶を帯びているが、鑑賞者と関係があるわけではない。

三田村光土里

 三田村さんは、そうした自分自身や、あるいは三田村さん自身も知らない第三者の存在、出来事を素っ気なく鑑賞者と交わらせる。

 場所や文化的境界を超えた世界の断片が、三田村さんを介して、鑑賞者のところへ不意に、偶然にやってくる感じである。

 鑑賞者が、実際には出会ったこともない人の人生、出来事を共有し、その挿話をたどることで、現実とも虚構とも判然としない時間と空間の断片に触れたとき、過ぎ去った時間への慈しみ、ユーモア、小さな幸福感、哀切などが立ち現れ、自身と共振する。

 見る者は、自分の中に浸潤してくる、誰か知らない人の極私的な追憶、感傷のような世界が内面に投影されることで、自分の生、記憶、世界との関係や他者性を捉え直すように向き合うーーそんな作品である。

グリーン・オン・ザ・マウンテン

 この作品が最初に展示されたのは、2003年に東京都写真美術館の《日本の新進作家展Vol.2》である。その後、ヨーロッパ各国を18年にわたり、巡回展示され、2021年に北アイルランドから帰国した後、愛知県美術館に収蔵された。つまり、日本では20年ぶりの公開である。

三田村光土里

 「グリーン・オン・ザ・マウンテン」の展示室は、緑一色の光に包まれている。本やウォールキャビネット、時計、レコードプレーヤーなど、生活空間にある物に、何気ないヨーロッパの家族写真が転写されている。

 ネガフィルムは70年以上昔のものと思われ、普通の人たちの日常が記録されている。説明は何もない。どこか無愛想な、さりげない展示である。

 いずれも、誰の写真か、どこで撮影したものかも分からない。平凡といえば平凡であるし、それでも映画の一場面を想起させるところもある。具体的でありながら、個性、固有性を薄めた、ある種普遍的な、誰にとっても、自分の過去の何かを想起させる家族のイメージの連なりなのである。

 つまり、どの写真の場面も、写真が転写された家具や物なども、誰もが自分の記憶、思い出につながるものばかりである。

 深い谷に向かってカメラを向けて撮られた、山の斜面に寛ぐ家族写真も、その1つである。あるいは、家族で小舟に乗っている写真、公園と思われる場所での家族写真、庭で花を摘んでいる女性の写真もある。

三田村光土里

 この空間に佇むうちに、そうした効果によって、不思議と、誰かも知らないヨーロッパの家族が生きていた刹那が、自分の記憶とも触れ合う大切な物語の断片のように感じられていくーー。

 三田村さんは、そうした歴史、記憶の刹那をすくいあげながら、事実と虚構、個と普遍、自分と他者、過去と現在の往還の迷宮に、鑑賞者を誘い込む。見る側の姿勢も問われる。自分の内面、自分の家族を覗き込むことが求められるからだ。

 緑の光に包まれた、異化された空間。そこに身を置いたときの、事実と虚構、個と普遍、自分と他者、過去と現在の往還の中で、全く異国の、どこなのか、誰なのかさえ分からない家族の記憶、その人たちの命の一瞬の輝きと、鑑賞者のそれとが混じり始める。

 それは、自分自身が、緑の空間に溶け込むようでもあるし、緑の空間が自分の中に染み込んでくるようでもある。

 そうして思うのは、これらの写真が「死」を想起させるように、物がいとおしい過去の時間を表すように、生のはかなさと、それゆえの尊厳が、とても繊細なものとして、この作品にまとわりついていることだ。

三田村光土里

 言い換えると、功績だとか、肩書きだとか、名誉だとか、そういうものではないものが、ここにある。つまり、この作品は、無名の家族の、刹那の生そのものしかないからこそ、その刹那によって、鑑賞者に入り込んでくる。

 この緑の空間にいることは、自分の人生を振り返ることに近い。夢のような、自分が子供だったころ、亡くなった両親や、きょうだいと過ごしたころ、祖父母や、友達とのこと、故郷の古い街並みーーそんな刹那が訪れては去っていく。

 人生は夢のようである。既に多くのことを忘れてしまった・・・自分が園児だった頃、小学生、中学生、高校生だった頃、大学に入った頃、そして就職、それからの日々。

 そして、もう間も無く還暦である。うつろい続ける人生の中で、日常のほとんどのこと、気持ち、感情が消えていった。その都度、大切なことであったような気がするが。

 懐かしさや感傷を超えて、この緑の空間は、そうした刹那に、人が生きていること、そして死ぬことをむき出しにする。それゆえ、すべての人の生きる刹那の時間、自分が今、生きていることの感覚を呼び覚ましてくれるのである。

 最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)                                                                                                 

最新情報をチェックしよう!
>文化とメディア—書くこと、伝えることについて

文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

CTR IMG