生誕100年 松澤宥(Matsuzawa Yutaka) 長野県立美術館で2月2日-3月21日に開催  

  • 2022年1月8日
  • 2022年3月14日
  • 美術

《実のプサイの部屋》1964年

The 100th anniversary of birth, MATSUZAWA YUTAKA

 日本を代表するコンセプチュアル・アー ティスト、松澤宥まつざわゆたか(1922-2006年)の生誕100年(2022年2月2日)に合わせ、大規模な回顧展「生誕100年 松澤宥」が2022年2月2日〜3月21日、長野県立美術館(長野市)で開催される。 故郷の長野県下諏訪町でも関連展示がある。

 松澤宥は1922年、長野県諏訪郡下諏訪町生まれで、同地を拠点に国内外に芸術を発信し続けた。

松澤宥
松澤宥《人類よ消滅しよう行こう行こう》1966年、印刷・紙、個人蔵

 本展では、原点である建築や詩、美術文化協会展や読売アンデパンダン展などに出品した絵画やオブジェ、1964年に「オブジェを消せ」という啓示を受ける前後から発表した言語による作品やパフォーマンスなど、多彩な作品と活動を同時代の資 料や写真を交えて紹介する。

 伝説のアトリエ「プサイの部屋」の一部を再現するとともに、VRでその空間を体験できるようにもする。

 松澤宥の生涯にわたる作品、活動を一堂に集め、作家が追い求めた世界を考えてもらうのが狙いである。

松澤宥
松澤宥《プサイの座敷》1963年、印刷・紙、個人蔵

展覧会概要

会   期:2022年2月2日(水)~3月21日(月・祝)
休 館 日:毎週水曜日(ただし、2月2、23日は開館)、2月24日(木)
会   場:長野県立美術館 展示室 1・2・3
主   催:長野県、長野県立美術館
共   催:長野県教育委員会
特 別 協 力 :一般財団法人松澤宥プサイの部屋、信州大学工学部建築学科寺内研究室
観 覧 料:一般800(700)円、大学生及び75歳以上600(500)円、高校生以下または18 歳未満無料
※( )内は 20人以上の団体料金
※東山魁夷館及び長野県立美術館名品選との共通料金は、一般1,300円、大学生及び75歳以上900円
※身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳のある人と付き添いの1人は無料

松澤宥
松澤宥《プサイの死体遺体》1964年、印刷・紙、個人蔵

見どころ

①知られざる初期絵画やオブジェ作品を紹介

②「オブジェを消せ」以降の言語による作品やパフォーマンスなど多彩な活動を概観

③伝説のアトリエ「プサイの部屋」を一部再現、VR体験も

松澤宥
松澤宥《この一枚の白き和紙の中に》1976年、シルクスクリーン・紙、個人蔵

展示構成

第1章 建築、詩から絵画へ

 松澤宥は1922年2月2日、長野県諏訪郡下諏訪町の製糸業を家業とする旧家に生まれた。

 10代の頃から詩作にふけり、早稲田大学理工学部建築学科に進学。「私は鉄とコンクリートの固さを信じない。魂の建築、無形の建築、見えない建築をしたい」という言葉と共に卒業した。

 1950年代前半は、読売アンデパンダン展や美術文化協会展に絵画作品を出品。

 1954年に自身が発起人となり「アルファ芸術陣」を結成するが、その後、すぐに「美の客観的科学的測定法について」を研究テーマに掲げ、フルブライト交換教授として渡米する。

松澤宥
松澤宥《鳥》(『RATI』2号)1951年、個人蔵

第2章 1964「オブジェを消せ」――観念美術に向かって

 1957年に留学を終え、帰国した松澤は、読売アンデパンダン展を中心に絵画やオブジェ作品を出品。

松澤宥
松澤宥《プサイの鳥4》1959年、パステル・クレヨン・蝋・かまどのスミ・紙、個人蔵

 1961年の第13回展からは、言葉を用いた作品を同時に発表。1964年、夢で聞いた「オブジェを消せ」という啓示のもと、《プサイの死体遺体》という「非感覚絵画」を生み出し、「アンデパンダン’64」展に出品した 。マンダラ構造の中に言葉が書かれたチラシのみを会場で配布するものだった。

松澤宥
松澤宥《のぞけプサイ亀を翼ある密軌を》1962年、木・紙・ガラス・金属・写真・デッサン、個人蔵

 この作品を契機に、松澤は芸術の非物質化を目指し、誌面の広告として発表された《荒野に おけるアンデパンダン’64 展》など、「観念」を展示する実験的な試みを重ねる。

松澤宥
松澤宥《世界改造に関するプサイ本の周辺》1963年、木・本・紙・布・綿・鉛線・写真、個人蔵

第 3 章 共同体幻想

 1960年代末から70年代にかけて、松澤は集団による表現活動を展開。

 1969年に長野県信濃美術館(現・長野県立美術館)で開催された「美術という幻想の終焉」展を皮切りに、松澤の周辺に集まった「ニ ルヴァーナ・グループ」と呼ばれる人々と共に各地で展覧会を催すなど精力的な活動を繰り広げた。

松澤宥
「ひらかれている」展(長野県信濃美術館)ポスター、1972年、個人蔵

 1971年には霧ケ峰高原の御射山に樹上の小屋「泉水入瞑想台せんすいいりめいそうだい」を完成させ、「音会」「山式」などフリー・コミューンによる催しを開催した。

 この頃から、アムステルダムのアート・アンド・プロジェクト画廊などを通して、海外作家との交流が増えた松澤は、国境を越えたコレクティヴ活動も呼びかけた。

 共同体を目指した松澤の芸術は、1977年のサンパウロ・ビエンナーレにおける《九想の室》 の展示へと向かう。本章では、サンパウロ・ビエンナーレ開催当時の様子を参照し再現する。

松澤宥
パフォーマンス〈九想の室〉1977年、ブラジル・サンパウロ

第4章 言語と行為

 松澤が生涯を通して、一貫して主張してきたのが「消滅」という観念だった。

 「人類よ消滅しよう行こう行こう(ギャテイギャテイ) 反文明委員会」と墨書きされた《消滅の幟のぼり》は、1960年代後半から晩年に到るまで繰り返し、国内外の各地に翻った。

 1970年の東京ビエンナーレ「人間と物質」展に出品された《私の死(時間の中にのみ存在する絵画)》は、展示室の空間そのものを出品。入り口に掲げられたパネルを鑑賞することによって呼び起こされるものを「絵画」とした作品である。

松澤宥
パフォーマンス〈消滅の幟〉1984年、スイス・フルカ峠、撮影:大住建

 本章では、言葉を媒介とした作品やパフォーマンスを通して、松澤が目指した「観念美術」から「量子芸術」までの流れをたどる。

第5章 再考「プサイの部屋」

 諏訪大社下社秋宮付近に位置する松澤の自宅にあるアトリエは、親交の深かった美術評論家、瀧口修造によって「プサイの部屋」と命名された。

 自作のオブジェや、松澤によって収集された奇妙なものにあふ れた空間は、時に「虚空間状況探知センター」と呼ばれ、地元の定時制高校で数学教師を務めていた松澤の芸術家としての創造の場であり続けた。

松澤宥
《実のプサイの部屋》1964年

 本章では、この伝説の「プサイの部屋」の一部を再現。VRで体験できるコーナーも設ける。

 1969年に青木画廊で開催され、「虚空間状況探知センター」の再現を試みた松澤宥個展も検証。「プサイの部屋」を多角的に紹介する。

関連イベント

※予約が必要な場合は、美術館WEBサイトの申込フォームで受け付ける。
※参加費は全て無料。
※新型コロナウイルス感染症等、諸般の事情により、会期等に変更が生じる場合がある。

松澤宥
〈プサイの部屋〉2018年11月16日撮影「文化庁平成30年度我が国の現代美術の海外発信事業」の一環として撮影

(1)記念講演会:見えないものを観るために―松澤宥の過去・現在・未来

日時:2月5日(土)午後2時2分~
講師:富井玲子(美術史家、「ポンジャ現懇」主宰)
会場:B1Fホール
定員:50人、要申し込み(1月5日から受け付け)

(2)クロストーク:「オブジェを消せ」前夜―松澤宥の初期ドローイングとオブジェ

日時:2月11日(金・祝)午後2時2分~
講師:千葉成夫(美術評論家)×梅津庸一(美術家、美術共同体「パープルーム」主宰)
会場:B1Fホール
定員:50人、要申し込み(1月11日から受け付け)

(3)鼎談:松澤宥の共同体幻想―〈ニルヴァーナ〉のころ

日時:2月12日(土)午後2時2分~
講師:田中孝道(美術家)×春原敏之(美術家)
聞き手:木内真由美(長野県立美術館学芸員)
会場:B1F ホール
定員:50人、要申し込み(1月12日から受け付け)

(4)松澤宥パフォーマンス映像上映会

日時:2月22日(火)午後2時22分~
会場:B1Fホール
定員:50人、当日先着順(受け付けは午後2時から)

(5)担当学芸員によるスライドトーク

日時:2月27日(日)、3月13日(日)午後2時2分~
会場:3Fレセプションルーム
定員:30人、当日先着順(受け付けは午後1時30分から)

下諏訪町での松澤宥生誕100年祭

 松澤が生まれ、人生のほとんどを過ごした下諏訪町で、貴重な作品や資料を展示・公開。トークショーやイベントもある。最新情報は公式サイトや各種SNSで確認を。

会期:2022年1月29日(土)~3月21日(月・祝)、ただし、諏訪湖博物館以外の施設は、2月13日(日)まで
会場:諏訪湖博物館・赤彦記念館、下諏訪町内各施設
主催:Suwa-Animism(スワニミズム)美術部

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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