名古屋のカルチャーWEBマガジン「アウターモーストナゴヤ」では、レビュー、リポート、トピックスなどを掲載します

工藤千紘 ギャラリーヴァルール 影踏みをしなくなった日

ギャラリーヴァルール(名古屋) 2020年9月1〜26日

 工藤千紘さんは、1989年、青森県出身。2014年に名古屋芸術大大学院を修了し、愛知を拠点に制作している。経歴をみると、2014年ごろから個展を開き、グループ展にも参加。「損保ジャパン日本興亜美術賞展」、「シェル美術賞」展に出品するなど、精力的に活動している。

工藤千紘 ギャラリーヴァルール 影踏みをしなくなった日

工藤千紘

 主に人物をモチーフに、水彩にアクリルまたは油彩を重ね、薄く透明感のある色彩が層をなすように描くスタイル。好感をもたれる作風らしく、今回の個展でも、筆者が会期半ばあたりに訪れた際には、既にほとんどが売れていた。

 他のモチーフの作品もあるが、強く印象に残ったのは、顔を題材にした作品である。とにかく、優しい画風である。穏やかさと柔らかさ。これが人気を呼ぶ理由であろう。

工藤千紘

 たおやかな感触。ニュアンス豊かな色彩。シンプルに描かれた線。表情は、情感がとらえがたいように抽象化され、目や鼻、口など顔の部分も極端に単純化されている。

 さらに、穏やかな光と陰影が覆っているようでもある。陰影の濃度はさまざまだが、木漏れ日のような光と陰が色彩と一体になって浸潤し、その女性は、こう言ってよければ、この世ならざる、夢の中にいる印象さえある。

 人間は、小さな死ともいうべき眠りを繰り返し、死へと向かう。でも、死は終わりを意味するのだろうか。死んでも、その人の面影、記憶は生き続ける。

工藤千紘

 会場に置いてあった工藤さんの作品集の中に、名古屋芸大の恩師と思われる画家、中澤英明さんの文章があった。

 工藤さんの作品を「面影」だと言っているが、的を射た言い方だと思う。まさに面影には、部分(目や鼻、口など)がない。面影は、あいまいであると言い換えることもできる。工藤さんの作品の顔は、まさにそうである。

 1996年、三重県立美術館で、 桑名麻理 学芸員(当時)の企画によって開かれた「子どもの情景展―かわいい but とらえがたき」展を思い出す。

 この展覧会のカタログの表紙は、奈良美智さんである。もう24年も前の展覧会だが、奈良さん以外に、中澤さんなど、多くの作家が出品していた。

 中澤さんもまた、テンペラ技法で時間をかけて、子供の顔を描いてきた作家である。筆者は、工藤さんの作品に少し中澤さんの影響を感じる。そして、「子どもの情景展」の表紙になっていた奈良さんも、工藤さんに大きな影響を与えた。

工藤千紘

 WEBサイトに掲載されているタグボートのインタビューで、工藤さんは、11歳のときに初めて奈良さんの絵を見て、(鬱々とした自分も)「生きてていいんだと思った」、(自分も)「絵を描くんだと思った」と答えている。

 水彩で描き始めて、アクリルや油彩を重ねていく。それは、まさしく面影のようにおぼろげである。

 柔らかな光、かすかな記憶が幾重にも降ってきて、重ねられていったようだ。そのひそやかさが癒やしにもなる。

工藤千紘

 大作では、カーテンと影をモチーフにした作品があった。

 また、ゲオルク・バゼリッツのように人間が逆さまになった作品も。

工藤千紘

 工藤さんの作品から、不確かな存在、強い自己ではなく、光や影、記憶と感情、傷つきやすさが積み重なったような弱い人間像を感じる。生と死を、人間の深い場所にある目に見えない存在を感じる。

 肉体的な人間、現実の生のみがリアリティーの全てではない。そう感じさせてくれる作品である。

 ティク・ナット・ハンの本に書かれていた「来ることもなく去ることもなく」という言葉が思い浮かんだ。

 人間の本質は、その身体だけではない。面影、記憶、精神性や思いが、その人の本質として継続する。人間の本質は、来ることもなく去ることもなく、さまざまな形として、現れる。

 工藤さんの描く人物は、肉体を超えた、生と死を超えた、記憶と感情、光と影が、ある条件とともに見えた新たな現れのようである。

工藤千紘
工藤千紘
最新情報をチェックしよう!