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空間に線を引く 彫刻とデッサン展 碧南市藤井達吉現代美術館

「空間に線を引く 彫刻とデッサン展 橋本平八から現代の彫刻家まで」が2019年8月10日から9月23日まで、愛知・碧南市藤井達吉現代美術館で開かれている。今春から、平塚市美術館(神奈川)などを会場に開かれてきた巡回展。彫刻とデッサンを作家ごとに対置させ、タイトルでは「彫刻/と/デッサン」と彫刻とデッサンを対等に表記しているが、主眼はデッサンにある。画家が描くデッサンと、彫刻家が描くデッサンはどう違うのか。彫刻家にとって、デッサンとは何なのか。作品そのものを楽しませてくれる中で、そんなテーマを深掘りし、展示の中身はものすごく濃い。
 三次元を二次元にする画家と、二次元から三次元を目指す彫刻家との違いに留意すると、彫刻家が描くデッサンは、二次元から三次元を立ち上げる時の認知と思考、意識、精神の流れや、思索の過程そのもので、そこには展示のタイトルになっているように、「空間に線を引く」感性がある。学生時代から、竹やぶで竹に触れないように紐を張るなどしていた戸谷成雄は、空間への線を引く感性を明確なほど作品に反映させている。戸谷に限らず、彫刻家にとって決定的に重要なのが、空間から対象物に触れ、それを別の物質に移し替えるような触覚性を基に存在感や、空間との関係を探求することである。展覧会では、その彫刻家ごとの違いが生き生きと展開していく。

 カタログテキストで、土方明司さんが書いているように、彫刻では、絵画における線と色のごとく、統一的視覚性と触覚性とが歴史的に対比されてきた中で(例えば、ハーバート・リードは触覚性を重視、クレメント・グリンバーグは視覚性というように)、本展は、多視点性と触覚性に重きを置いた作家を取り上げている。
 例えば、膨大な素描を描き、彫刻を「触覚空間の芸術」と考えた柳原義達がその一人であるように、それぞれの空間認識の特質をデッサンを通して深める趣旨だ。そこにあるのは、絵画を描く上でその諸要素を考える画家の世界ではなく、世界把握の道筋という彫刻家の世界観である。彫刻家のデッサンはまさに、この可視/不可視の世界をどう表現するかという、制作の裏側を開示してくれる。こうした世界の把握は、彫刻家によって実に多様であり、展示会場では、世界をどう捉えているかという作家の言葉が大いに鑑賞の助けとなる。
 展示は、プロローグ(橋本平八から現代へ)、具象Part1(戦後の具象彫刻—柳原義達・舟越保武・佐藤忠良)、抽象Part1(素材の多様化と抽象化の円熟)、抽象Part2(実体のないものをかたちに)、具象Part2(新たな具象彫刻の展開)の5つのセクションからなる。
 作家も、西欧の文脈でない独自の彫刻論を展開したという橋本平八から、筆者が個人的に取材したことがある飯田善國、若林奮、戸谷成雄、青木野枝、地元の原裕治など幅広く、大変興味深い。
 戦後の具象彫刻は、従来の写実表現によらず、戦争体験に基づく不条理性を経た新たな人間像の模索と、戦後の物質文明の発展の中での人間疎外をいかに捉えるかを探求。内面性が強く押し出されるが、その捉え方が三人三様で興味深い。柳原義達の作品は、情動的で生命力が溢れるが、決して表現性を無軌道に表出したわけではなく、しっかりコントロールが行き届いている。佐藤忠良のドローイングにはどことなく素朴で等身大の内面が現れ、舟越保武の人物像は顔立ちそのものが整っていて上品である。

 抽象Part1では、個人的によく取材し話を聞く機会も多かった若林奮が興味深かった。若林の作品には、深い自然観と独自の世界の見方があり、筆者には難解であったが、引き込まれるものがあった。若林は、1970年代にラスコー、アルタミラなどの旧石器時代の洞窟絵画を見た経験から、絵画を平面としてでなく、地形や地質、植物、動物、気象など自分を含む周辺の自然全体として見る必要があると考えた。そうした中で、今回の会場に数多く展示された犬の動きやまなざしは重要である。原裕治も懇意にしてもらった作家であった。水をテーマにした絵画や彫刻は、流れるような動きを孕みながら、決して見えている世界だけでなく、作家自身の内なる水のイメージとの往還の中で制作されていた。美学美術史、油彩を学び、後に彫刻に転じた飯田善國は、詩的な言語世界と造形世界との融合を目指し、ドローイングにもユーモアがある。

 抽象Part2では、多和圭三に引き寄せられた。多和のドローイングは一見、彫刻と同様、シンプルである。地に対して、白い六角形あるいは直方体が浮かんでいる作品や、黒色で塗りつぶした作品にしても、強く主張しない中に作家の物質への関わりの集積が繊細に現れ、ドローイングと彫刻がひとつなぎのもののように存在する。かすかな物質への作用とそれを静かに受け止める物質性が凪のような落ち着きの中にあり、大変美しい。鉄を素材とした彫刻で知られる青木野枝は、軽やかな作品そのものが空間に描いたドローイングにも思える。彫刻のプランであるドローイングが、うって変わってカラフルなのがユニークで、見ていて楽しい。

 具象Part2の舟越桂のドローイングは、何度も描いたり消したりしながら1本の線を見つけ、輪郭を強い意識で決定してから彫刻へと移行するというだけあって、彫刻作品と直結した確固とした喚起力がある。一方、人間そのもののリアリティーを探究して線を重ねていく高垣勝康のドローイングは、自分の内面に形を与えるように描かれ、自立した存在感を発していた。

 そのほかの作家は、森堯茂、保田春彦、砂澤ビッキ、舟越直木、大森博之、長谷川さち、三沢厚彦、棚田康司。

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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