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ふるかはひでたか展 なうふ現代(岐阜)

なうふ現代(岐阜市) 2020年9月5〜27日

ふるかはひでたか展 なうふ現代(岐阜)

 ふるかはさんは1968年、愛知県刈谷市生まれ。美術作家でありながら、活動範囲は多岐にわたり、とても幅広い。

 近年は、土地の歴史を掘り下げ、近世の絵図、文献資料などを収集。現地を歩き、現代的な視点と重ねながら知的に作品化している。

 出来合いの歴史でなく、文献などによる調査、現地のフィールドワークを丹念に重ねるのが要諦である。

ふるかはひでたか

 1992年に東京藝術大学油画専攻を卒業し、1994年に同大学院美術研究科壁画専攻修士課程を修了した。

 繊細で精緻な表現、博物学的、社会学的、歴史学的な姿勢と美術を結びつけた取り組みは独特である。歴史と美術、近世の絵画史料、文献と美術表現が交差し、現代と過去が対話するような世界が分析的に展開している。

ふるかはひでたか

 以前には、名古屋市内の空き地近隣に関する文献史料と現地で採取した雑草の押し花標本の展示、離島の浜辺で集めた陶器の金継ぎ(呼び継ぎ)、江戸時代後期に漂流した船頭の「船長日記」をモチーフにした展示、安藤広重の江戸の名所絵を同じ場所の現在の東京と重ねて描いた連作など、いずれも興味深い作品を発表していた。

 「あいちトリエンナーレ2019」の会期中にヤマザキ マザック美術館(名古屋市)で開かれた「情の深みと浅さ」展では、名古屋の近世史に焦点を当て、幕末から明治にかけての本草学の大家、植物学の先駆者である名古屋出身の伊藤圭介に関する書物や古文書、地図などを博物館のように展示した。

ふるかはひでたか

 土地の歴史を掘り起こし、現代の美術としての視点で構成していくスタイルは近年において、一貫している。

 2005年の愛知万博「愛・地球博」に際して、若手建築家グループが取り組んだ空き地の発見・活用のための「どんぐりひろばプロジェクト」に参加したのをきっかけに、歴史の掘り起こしである「CULTIVATEシリーズ」を始めた。

 地域のアイデンティティーにもう一度向き合うための作品である。忘れられた歴史、文化、食、娯楽、環境、世界観が召喚され、ふるかはさんという観察者/美術家による創作を通して、新たな価値を与えられる。

 今回の展示では、明治13(1880)年に出版された「美濃奇観」(上下巻)など、明治初期の文献が展示されていることから、ここにヒントがありそうである。

 この古い書物の中を開くと、岐阜らしく、鵜飼の絵など、地域に根ざした見聞の記録が丁寧に描かれ、説明されている。

ふるかはひでたか

 メーンと言っていい作品は、「朽椿図」と題された9枚組みの作品である。3セットが高さを変えて展示されている。

 15センチ×62センチの細長い支持体に描かれた朽ちてゆく椿の絵が、台に載せられ、壁に立て掛けられた。花が生気を失い、乾いて変形していく姿が精妙に描かれ、不思議な感覚に誘う。

 細密な描写もさることながら、宙に浮いたように抽象化された花の死の過程が静謐に、リズミカルに上下に位置を変えて配され、枯れゆく花を通して、時間そのもの、無常なるものに向き合っている感覚に導かれる。

 椿は、美しい半面、花の落ちるさまが死を連想させ、見舞いの際には好まれない。落ちてしまえば、見向きもされず、捨てられる。その花に目を向け、空間の中に配置することで、時間の静かな流れ、それ自体が定着されている。

ふるかはひでたか

 川面の水の流れや川床の石、河原の草花が空間に高低を違えて配されているのも今回の展示の特徴である。

 川の流れも川床も草花も、そして朽ちていく椿も、とても繊細に描かれ、リアルである。それらは、白い背景の中で宙に浮くように描かれている。あるいは、描かれた矩形のフレームが画面の一部に配され、大きな余白を生んでいる。

 そうした作品がギャラリーの空間に、壁面や高さ、配置の仕方を変えながら、配されることによって、空間の余白が意識される。

ふるかはひでたか
ふるかはひでたか

 花を拡大して、細密に、しかもある種、フィクショナルに描いた作品もあった。

 それらは、画面を矩形に切り分け、微妙にずらしながら再構成するなど、さまざまな実験的な試みがされている。リアルすぎて逆に虚構に見え、錯視的な雰囲気もある作品である。

 地域への眼差し、空間への配置と、余白へのイマジネーション、イメージへの分析的な実験など、作家の問題意識が展示に現れた知的な絵画のインスタレーションである。

ふるかはひでたか
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