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豊田市美術館 光について/光をともして 9月22日まで延長

 愛知・豊田市美術館で、2020年3月20日、開館25周年記念コレクション展 VISION part1「光について/光をともして」が始まった。途中、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で中断し、5月19日に再開。会期は9月22日まで延長された(ただし、6月22日~7月17日は展示替えのため休館)。詳細は、豊田市美術館のWEBサイトで。
 4回シリーズで開かれる開館25周年記念のコレクション展「VISION」の1回目。「VISION」というタイトルのコレクション展は、5周年、10周年の際も企画された。今回の展示は、豊田市美術館のコレクション展として充実しているだけでなく、名古屋の現代美術史とも重なる興味深い展示となっている。

奈良美智

 今回のテーマは「光」で、宇宙の光から街中など身の回りの光、あるいは、人間の内なる光まで、幅広く光を捉えている。同時開催の企画展「久門剛史 らせんの練習」とも関連付けられ、光を作品の重要な要素にしている久門さんの作品をも含めて「光」の展覧会として鑑賞できる。
 豊田市美術館が収蔵してきた過去の作品や近作、あるいは、ゲスト・アーティストとして出品した新鋭、玉山拓郎さんの作品などを通じて、「光」について思い巡らすことのできる見所の多い展示となっている。
 豊田市美術館は、作品の収集と展示を密接にリンクさせ、作家数を絞る一方、一人一人の作家を立体的に見せることを重視してきた。今回の展示でも、そうした展示方法が意識され、一人の作家の世界観が複数の作品によって構成されている。

奈良美智

 オープニング時のプレスツアーで解説した担当学芸員、鈴木俊晴さんによると、豊田市美術館が重点的に紹介してきた作家の1人、野村仁さんが展示全体のキーパーソンに据えられているが、同時開催の企画展の久門さんはまさにその野村さんの教え子である。
 会場で配られる鈴木さんの執筆・編集による解説用小冊子「光について/光をともして」では、ヨーゼフ・ボイスの言葉を引用しながら、未来を照らす美術作品の可能性について言及。ボイスの言葉とも結びつけ、美術が「ともしび」であることが強調されている。
 未来を指し示す美術の「ともしび」の価値は、作家から発せられるにしても、作家だけで成り立つものではなく、多くの人によって守られ、未来に伝えられるものである、と。美術の「ともしび」が人間存在を指し示し、過去と現在、未来を照らすためには、それを見る人が自分と向き合い、想像力を存分に発揮してほしいと。冊子には、ギャラリストや作品の元所有者からの作品や制作現場、展示への素直な言葉があって、とてもいいので、ぜひ読んでほしい。

奈良美智

 展示は、奈良美智さんと村瀬恭子さんの絵画から始まる。奈良さんは著名美術家だが、1990年代半ばごろまでは、まだまだ知る人ぞ知る存在で、名古屋市内の画廊・白土舎でインタビューできた。今回は、1980年代の作品もあって、学生だった頃の制作を見られるのが楽しい。
 奈良さんの《Dream Time》は、1988年の作品なのでドイツ・デュッセルドルフに渡った頃の作品。冊子には、豊田市美術館に収蔵される前に長く、この作品を所有・展示していたという「自家焙煎珈琲店木曜日」の坂口信郎さんの思い出があって興味深く読んだ。「木曜日」があった富が丘という名古屋の藤が丘に近い場所は、筆者の妻の実家に近く、このカフェには2005年ごろに筆者も行ったことがある。その当時も、この奈良さんの作品はあったのだろうか、思い出せないのでいる。坂口さんは、いわゆるコレクターでなく、美術はわからなくてもいいと思っている人。「いいな」と思う作品は、おのずと作品の方から来てくれるもの、と書く。そこがいい。

奈良美智

 これらの奈良さんの作品は、小さなともしびがモチーフになっていて、展覧会全体の最初に掲げるのにふさわしい。まだ一般には無名だった頃、渡独する頃の不安と未来への期待がないまぜになっている雰囲気が出ている作品である。

村瀬恭子

 村瀬恭子さんは1963年岐阜市生まれ。愛知県立芸術大学(大学院)、国立デュッセルドルフ芸術アカデミーと、奈良さんと重なる経歴がある。2010年に、豊田市美術館で「村瀬恭子 Fluttering far away / 遠くの羽音」を開いている。担当学芸員の鈴木さんによると、村瀬さんも奈良さん同様、油絵だけでなく、ドローイングに取り組む。今回の展示では、2019年、2020年制作の最新作も含めた構成。

 横山奈美さんは1986年、岐阜県生まれ。愛知県立芸大大学院修了。《LOVE》は、2019年度の収蔵作品で、自身の制作したネオン管のLOVEの文字をあたかもそこで輝くネオン管があるかのようにフォトリアリズム風に描いている。輝いているように見えても、ネオン管は絵なので、もちろん光っていない。ネオンだけでなく、その後ろにある配線や枠組みを描き、光の背後にある電気エネルギーをも示唆することで、光に見えるものが実は何か、ひいては、LOVE(愛)とは何か、愛を支えるものは何かという問いかけを内在させている。そこに、「愛」という言葉が広告看板のように巷間あふれ、内実とかけ離れていることへの疑念も重ねているように思える。

 木炭ドローイングの連作《LOVEと私のメモリーズ》も展示された。少女と愛犬「ラブ」との思い出がモチーフという日記的な設定になっている。ペットとして人間の好みに合うよう品種改良されて生命力を弱められ、短命にならざるをえなかった犬と、横山さんの自画像的な少女との関わりが物語的に描かれ、メランコリックな空気が漂う。画面の中の闇と光が「ラブ」と少女との「愛」の難しさをほのめかしている。ここでも、愛という、ありふれた、だからこそ本質的でとてつもなく困難なテーマを扱っている。

 2020年6、7月のケンジタキギャラリーでの横山奈美展「誰もいない」も、充実した展示である。

横山奈美

 続いて、野村仁さんの作品3点がお目見えする。野村さんは2001年、豊田市美術館で「野村仁展—移行/反照」展を開き、作品もまとまって収蔵されている。この一角では、1日の太陽の軌道を1年間記録し、その動きに無限大記号のような宇宙の秩序の形を見出した「赤道上の太陽」(1989年)、キノコが増殖するイメージで宇宙の膨張を吹きガラスで表現した「宇宙はきのこのように発生したか」([1987年)などを展示。  「‘moon’ score」のシリーズは、一定期間の月を観察し、五線譜に配した月の満ち欠けの秩序を楽譜に見立てることで、天体の運行、光の反射など宇宙の物理法則と人間の感性が生み出した音楽を結びつけた。
 美を感じることを探求する野村さんの作品は、宇宙的な時間と法則が、人間の日常的な時間、生命、理性、感情、記憶とつながっていることを美しい創造的なイメージで開示してくれる。

野村仁

 会場で、ひときわ目を引く作品が村岡三郎さんの作品《熔断—17,500mm×1,380℃》である。鉄道のレールをも想起させる17メートル超もの鉄の棒が緩やかに湾曲しながら床に置かれている。1995年の作品で、ケンジタキギャラリーが、名古屋の広小路本町の大和生命ビルにあった際(ビルは1939年に建設された旧「名古屋日本徴兵館」で、一時、進駐軍に接収されていた。惜しまれながら2005年頃に解体。現在のケンジタキギャラリーより遥かに大きな空間があった)、当時のギャラリー空間で制作された。
 村岡さんもまた、宇宙的な視野で制作していた。筆者は、ギャラリーを通じて懇意にしていただき、村岡さんの生前、大津市の制作現場でのインタビューの際、ミニ天文台のような天体望遠鏡設備を見せていただいたことがある。

 長大な鉄の棒をバーナーを使って熔断し、5時間以上かけ、光と熱を発生させながらゆっくり削ぎ落としていく。冷却して固まったときに縮み、かすかに湾曲する。膨大な熱量はどこへ行ったのか。村岡さんが提示するのは、こうした不可視の熱、エネルギーであり、その宇宙的なイマジネーションである。
 小冊子では、ギャラリーオーナーの滝顕治さんが1995年の制作時のことを文章と写真で振り返っていて、貴重である。
 

村岡三郎

 滝さんによると、村岡さんの個展は約20年間、30回を超え、筆者もその多くを目にしてきた。重厚な鉄や塩、ガスボンベを素材にした作品とは裏腹に、村岡さんはとても優しく、いつも目を細めて作品について説明してくれた。
 1995年1月15日。なぜアトリエでなく、旧ケンジタキギャラリーで制作されたかと言えば、熔断の生々しさをできるだけそのままに展示する意図があったと、小冊子で滝さんが述懐している。材料は、直径10センチ、長さ2.5メートルの鉄棒7本(1本150キロ)、180×90センチの鉄板10枚(1枚150キロ)、酸素ボンベ、アセチレンガスのボンベ。その物量をイメージしただけで、迫力に満ちた制作の場面が思い浮かぶ。
 熔断の状況は「10分で50センチぐらい進む」「激しく飛び散る火花」「赤く透き通って溶けてゆく鉄」などと書かれた滝さんの文章を読んでほしい。冷えてかすかに湾曲した鉄棒のカーブと、鉄板上に残った痕跡の直線との対比。膨大な熱量を浴びて変貌を遂げた鉄の気高い存在がそこにはあった。

 小冊子に、展示されたマリオ・メルツ《明晰と不分明/不分明と明晰 》(1988年)についての青木正弘さんの文章がある。青木さんは元豊田市美術館副館長で、筆者も長く取材でお世話になった。作品は、エスキモーのイグルーをモチーフにした半球状の構造物である。
 小冊子によると、この作品は、当時、名古屋市北区にあった当時としては画期的だった現代美術センター、ICA,Nagoyaでの個展のために来日したメルツが現地制作した。     ICA,Nagoya(1986〜92年)は、今となっては“伝説”の部類だが、当時、東京の大学に通い、銀座、京橋の画廊や当時の東高現代美術館などで現代美術を見始めた筆者も、帰省した折に出かけ、心躍らせた記憶がある。
 この作品は、板ガラスやネオン管、ガラクタなどがイグルーの形に組み上げられているのだが、そこはかとない詩情があってとても引きつける。青木さんは、この作品が制作・展示された1988年のICAの展覧会でメルツ本人にも会っている。
 青木さんは同年、当時勤めていた岐阜県美術館で李禹煥さんの個展を企画、その後、1992年に移った豊田市美術館の準備室で、豊田のコレクションの核に、もの派を据え、そこからアルテ・ポーヴェラへと作品を広げた。とりわけ、原点に位置付けたのが、ジュゼッペ・ぺノーネとメルツだったという。
 小冊子には、ベネチアで催されたジェームズ・リー・バイヤーズの追悼イベントでのメルツとの再会、豊田市美術館に収蔵されたメルツのもう1つの作品「廃棄される新聞、自然、蝸牛の体のうちに、空間の力として継起する螺旋がある」( 1979年)のエピソードも書かれ、興味深い。

マリオ・メルツ

 イミ・クネーベル《戦闘 No. 1》([1991年)は表面が荒々しく切り込まれ、ラッカーで黒く塗られた硬質繊維板である。絵画のような作品に近寄ると、切り込まれた線が激しい筆触のように見えるが、離れると黒一色に紛れて見えない。世界の色彩を全て吸収し尽くしたかのような深い闇は、そこに、見えない過去の光跡をはらんでいるかのようである。近づいた時の暗闇の圧倒的な物質感は異様なほど。1990年のイラクのクウェート侵攻をきっかけに91年に多国籍軍がイラクを攻撃した湾岸戦争を契機に制作されたというのもうなずける重厚感のある作品である。

 3点が展示された《蛍光サンドイッチ 》 (1992年)は、3枚のベニヤ板が重ねられ、内側に塗られた蓄光塗料がサンドイッチされている。一見、ただの合板だが、美術館が開いている日中に光を浴びた蓄光塗料が光を蓄え、美術館が閉館した夜間、誰もいない展示室で妖しいい光を放つ。そんな光をサンドイッチした作品である。

イミ・クネーベル

 ミシャ・クバル《グラスを通した都市/デュッセルドルフ》(1995年)は、ビデオカメラのレンズにガラスのコップを付けて街中で連鎖的に飛び込んでくる光を撮影した映像。
 《Photobook—視覚のブラウン運動》など、野村仁さんの作品は展示の後半、各所に展示されている。《Photobook》は、野村さんが街中を歩き回りながら見るともなしに撮影した10年分の光景の記録を本にまとめた。世界にあまねく存在する光を物質化した作品である。

 ゲストアーティストとして出品しているのが1990年生まれの若手、玉山拓郎さん。洗練されたインテリアのようなインスタレーションである。
 照明器具などを含め、現代風のデザインがお洒落に見える半面、巨大なテーブルのような台の下から青い光が床面へと漏れ広がるなど、異様な雰囲気も漂う。テーブル上の皿や置物は、見ても分からないほどに超低速で回っている。頭上高くに設置されたモニター画面では、皆既日食の変化の時間を間延びさせたような映像が流れている。
 何気ないスケール感の混乱、知覚できていないものの存在、態様と変化、時間の引き延ばしなどから、日常と非日常の相互陥入、感覚の揺さぶり、時間軸のずれなどを意識させるのだが、それらの気配と意識できないもののきわ、容器としてのインテリア然とした空間との関係が絶妙である。

玉山拓郎

 

 このほか、ピエル・パオロ・カルツォラーリの《ベッド、黒板、ランプ、バラ》(1972年 〈マルチプル 1975年〉)なども。
 最後は、井田照一さんがライフワークとした《Tantra 》(1963-2006年)である。豊田市美術館での2004年の個展を機に収蔵されたといい、今回は、数百点に及ぶ作品の一部が展示された。各32.2×22.2センチメートルという定型の紙を一定比率で円と直線で分割し、多種多様な素材、技法でイメージが創造される。実に多様な表情を見せてくれるシリーズである。

井田照一
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