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荒井理行|個展 歪む水平線

STANDING PINE(名古屋) 2019年11月23日〜12月15日

 愛知県立芸大を経て、2年前に大阪から茨城へと拠点を移して制作している画家。あいちトリエンナーレ2013や、翌年のVOCA展にも出品している。荒井さんの作品は、インターネット上から、さまざまな写真のイメージを集めるところから始まる。キャンバスの一部に、その写真を貼り、写真のイメージの外側に広がる世界を想像して描く。以前は、元の写真を貼り付けた状態のまま作品にしていたが、現在は、制作プロセスで写真をはがしている。
 また、かつて、貼った写真の世界がそのまま外側に広がるようようにフォトリアリズム的に描いた手法も変え、絵の具を注射器に入れ、そこから押し出した細い紐状の絵の具で描写している。写真を基にした多様なイメージのレイヤーが複雑な入れ子構造になった絵画は、真実を巡るメタイメージ、世界の隠喩になっている。世界とイメージ、現実と現実感、情報と認知、想像力に関わる作者の問題意識が生き生きと伝わる作品である。

荒井理行

 例えば、ある作品では、画布に1枚の小さな写真を貼って、その外側を想像して茶色や灰色による荒涼とした風景が描かれ、その写真をはがした場所は白っぽい地色の矩形の窓になっている。さらに、その矩形の上から、別の大きな写真を貼ってそのイメージの延長で外側を描いたため、2枚目の写真をはがした矩形の外には祭りのような群像的なイメージのレイヤーが立ち現れている。写真を貼った痕跡としての矩形の窓が、このように純然と入れ子になることもあれば、2、3の窓が重なるように配置され、複雑な構造になっている作品もある。また、矩形の窓がはっきりと分かる作品もあれば、窓の枠線をまたぐように絵の具が覆い、よく見ないと窓の存在に気づかない場合もある。

荒井理行

 あたかも、現実とイメージの関係が逆転し、テレビやインターネット上の膨大なイメージが世界を構成しているような錯覚を覚えざるをえない現代。今後、一層、身体性が捨象された仮想現実の世界を生きることになると思われる中で、イメージの奔流にどう向き合えばいいのか。荒井さんは、そうした世界でイメージとそこから得られる視覚情報、画像データと、それに関わる人間の想像力と認知について絵画を通して考えている。

 日常においても、情報には明確な輪郭線と、発信する側と受け手の側でイメージする内容が異なる曖昧な領域、想像によって補完される領野がある。常に「事実」の周辺を回りながら、情報は伝達される。あるいは、そもそも、私たちが目にしたイメージは何なのか、真実を伝えているのか。荒井さんは、それが何を写したものか分からない画像を含め、インターネット上にあふれるイメージに別のイメージや、人間の想像力をつなげて、レイヤーを重層的、かつ入れ子的に、あえて恣意的に広げる操作をすることで、イメージを問い直していく。写真イメージの外側を描くプロセスでは、写真の近くでは元のイメージに連なるように描かれ、周縁にいくほど、元のイメージとの関係が薄れ、自由に描けるようになる。つまり、人間の想像力の入り込む余地が大きくなる。現実を写したであろうインターネット上のイメージと、人間の想像力がコラージュされ、レイヤーを重ねながらメタイメージとしての新たなイメージが生み出されるプロセスがスリリングだ。

フォトショップは言わずもがな、スマホのアプリで素人でも写真をいくらでも加工できる時代である。こうしたイメージの恣意性をソフトウェアによる写真の加工、変換で示す方法でなく、絵画の可能性として応用しているのが興味深いところだ。元のイメージの写真をキャンバスから取り除き、ぽっかりと開いた窓を見せることで、イメージの根拠さえも揺らぐ。その空虚に別の窓から、写真を基にしたもう1つのイメージがやってくる。もはや錯綜しているが、紛れもなく、荒井さんによって紡がれたイメージは、現実から展開していったものである。それは、イメージのモンタージュ、変換、加工、揺らぎ、さらには、人間による想像力や歪曲、思い込み、誤謬とともに生きている私たちが向き合う《現実》そのもののようにも思える。

荒井理行

今回の作品展開では、フォトリアリズム風に描いていた想像の部分を、注射器で絵の具を落とすようにした点でも注目である。デジタルの画像データは、最小単位の点であるピクセルで構成されるが、今回、荒井さんは注射器から出す極細の紐状の絵の具でイメージを構成した。色彩分解によるピクセルのような方法でも、絵筆による写真的な描き方でなく、注射器から絵の具を落とすという間接性を高めることで、ドリッピングやポーリング ほどではないにしても、完全な統制を免れ、細い紐状の絵の具によるイメージが、歪曲、途切れ、脆さ、曖昧さ、もつれ、重なりによって、イメージの不安定さ、虚構性、多重性などのメタファーとなっている。

荒井理行

会場には、具体的なイメージがなく、紐状の絵の具がキャンバスに重層的に塗ってある作品がある。このポロックを思い起こさせもする作品は、荒井さんの制作過程と問題意識を振り返ると、混沌とした現代を表象するようで、意味深である。おびただしいインターネット上の写真は、どれほど確かか、何を意味するのか、だれに向けられたのか。私たちがいくつもの映像情報を集めて脳内で世界を認知する中で、荒井さんの絵画は、イメージが生成される前の原野、この世界が、糸のようなものによって織りなされる多層的なレイヤーが複雑に絡み合ったものではないかという世界観をも示しているように思える。これこそ現実の混沌かもしれないし、いくつものイメージやデータを呼び込みながら、具体的なイメージに結ばれえない、主体内部の混沌かもしれない。

荒井理行
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