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あいちトリエンナーレ 四間道・円頓寺②➕YEBISU ART LABO 弓指寛治

 YEBISU ART LABO(名古屋) 2019年8月24日〜9月28日

 1986年、三重県出身。ゲンロンカオス*ラウンジ新芸術校の第一期生として学んでいた2015年に、交通事故後で心身のバランスを崩していた母親が自死したことで人生観が一変。死者への視点を変容させる絵画に取り組む。今回の「輝けるこども」は、2011年4月に栃木県鹿沼市でクレーン車が児童の列に突っ込み、児童6人が亡くなった事故が題材。併せて、YEBISU ART LABOでは、10年以上前の作品を展示しつつ、この10年に起きたことを友人の視点から捉えたインスタレーションを展開している。

弓指寛治

 会場には、亡くなった児童の遺族への取材を基に、生前の児童らの肖像や様子、好きだったことなどを描いた絵画や、亡くなった子供の書いた詩、好きだった鉱物の絵などを散りばめ、不意の事故で奪われた命の輝きを丁寧に表現している。「生きぬく」「いきる」など、愛斗くんの詩が素晴らしく、花丸がつけてある。写真でなく、描くこと、創作することで見えてくるものがあるとすれば、悲劇によって失われた子供たち、遺族の悲しみに主体的に関わるという「慰霊」のプロセスそのものではないかと思われる。

 併せて、弓指さんの作品では、加害者側にも目を向けていることが注目される。途中、照明を落とした小部屋に事故車のボンネットが積み上げられ、さらに歩みを進めると、タブー化されて、被害者の命とは違う形で世の中から存在が消されていく加害者側の立場、そして、車を運転する以上、誰でも交通事故を起こしうる、言い換えると、あなたが被害者になるかもしれないけど、加害者になる可能性だってあるという視点が大きなウェートを占める。クレーン車の元運転手は、てんかんの持病があった。そのことを運転免許の取得・更新時に申告しなかった上、当日の服薬も怠っていた。加害者の母親は、事故を繰り返す息子に車を買い与え続けていたという。弓指さんは、加害者支援団体を仲介して、元運転手の母親に会い、事故後の贖罪活動などについて聞こうとするが、会えない。

 最奥でUターンし、ビニールカーペットのような支持体に車の絵を描いて、のれんが何枚も連続するように吊り下げた通路に入ると、展示の雰囲気が一変。そのビニールの重みが次々と否が応でも体にぶち当たってくるのを手で避けながら、くぐり抜けていくことになる。すると、先ほど、事故車のボンネットが積み上げられていた裏側に出て、鑑賞者は、事故車の運転席にいるような位置に導かれる。誰もが車のリスクより便利さを優先する。だが、あなたも加害者になりうると言われているようである。

 一方、「友情の炎」と題するYEBISU ART LABOの展示は、過去の作品や、写真を中心に展開したインスタレーション。弓指さんは、10年前の20代前半の頃、絵を描いて展示しては「お前の作品はごみ同然」と言われ捨ててきた。そんな中で、卒業時、上野仁さんという友人が弓指さんの作品を救出しようと軽自動車に詰め込んで持ち帰った。展示したのは、その後、かなりの量が失われた中で上野さんの元に残った一部の作品である。
 弓指さんと青春を過ごし、写真作品を撮影していた上野さんはその後、地元の町役場に就職。写真は撮り続けていたが、発表することはなかった。弓指さんは、学生時代の別の友人と名古屋で始めた映像制作会社を軌道に乗せた後、2013年に代表取締役を辞任し上京、作家活動を開始したが、上野さんは自分の人生と写真が地続きにならないまま、公務員として生き、結婚し、父親にもなった。スマホで撮った妻や子の写真が増える一方、作品としての写真は制作しなくなった。展示は、弓指さんの作品と、制作からフェードアウトした上野さんの写真、弓指さんと上野さんの過去と現在、2人の感情が渦巻く内容である。弓指さんは、自分が主役というより、上野さんのセコンドについて檄を飛ばしている。2人の10年の軌跡の距離と交点をありのままに見せた、清々しい展示である。

弓指寛治
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