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あいちトリエンナーレ 田中功起が作品を再設定

2019年8月24日の朝日新聞、中日新聞などによると、「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれた問題で、参加アーティストの1人、田中功起さんが展示の変更である「再設定」を申し出た。9月3日から展示室の入り口を半分閉鎖し、中に入れなくする一方、9月7日からの土曜日に、田中さんの出展作品のテーマである差別や排除の問題について、展示室内で来場者らと対話する集会(アッセンブリー)を開く。
トリエンナーレの公式webサイトによると、田中さんは8月18日、12日に海外のアーティストが発表したステートメントに署名し、出展作品「抽象・家族」の再設定を申し出た。再設定の内容は、展示室の扉を半分閉じ、展示室内に入場できなくする▽展示室入り口で来場者への手紙(展示室で上映されていた映像閲覧リンクを含む)と作品の一部であるアーティストノートを配布▽予定されていた9月7日、21日のアッセンブリー以外に、土曜日(9月14、28日、10月5、12日)午後2〜6時にアッセンブリーを開く。
問題を受け、既に複数のアーティストが展示の一時中止・変更を行なっている。日本人アーティストでは展示の中止・変更は初めてで、田中さんも、連名の書簡を発表して展示の一時中止・変更を申し出たアーティストに賛同している。「美術手帖」(web)が掲載した田中さんの声明によると、「表現の不自由展・その後」中止を巡る状況は、当初のリスク管理上の問題から自己検閲に移行し、展示再開の遅延が起きている。その上で、田中さんは、多くのことが覆い隠されたこの状況を追認できないとして抗議。この問題におけるさまざまな選択と行動が未来に影響を与える自分たちの問題であると認識し、行動に移した。展示の一時中止でなく、展示をパフォーマティブにするのが狙いだとし、フィクショナルな単一民族としての「日本人」像を解体、複雑なルーツをもつ出演者たちが晒されてきた差別について対話するためのアッセンブリーを拡張する。つまり、「展示」を「集会化」する再設定だ。
田中さんの作品「抽象・家族」は、トリエンナーレの愛知芸術文化センター会場で最大の展示スペースを占め、「移民」「在住外国人」「家族」「民族」「差別」などをテーマに、家族という単位から、人々の来歴を見つめ直す新作。外国から移り住むなど多様な文化的背景をもつ4人が民家で偶然の「家族」として暮らし、現実とフィクションのあわいで会話や行為を積み上げ、そこにインタビュアーでアドバイザーの社会学者、下地ローレンス吉孝さんや、全体を統括する田中さんが加わる。アドバイザーとして、東京国立近代美術館の蔵屋美香さんも参加。元々の展示では、大空間に映像3点を中心に、撮影に使ったテーブルや、映像に登場する4人のスチール写真、4人が制作した抽象絵画を大掛かりなインスタレーションとして展開した。
社会学者の下地さんは、第二次世界大戦後、既に海外にルーツをもつ日本人は日本社会に存在し、日本国籍も持っていたのに、外見やルーツで「外国人」とされ、見えなくされてきたと指摘する。移民やルーツに多様な背景をもつ人々を主題とする芸術の創作は、そうした不可視の姿をよみがえらせる。

会場には、「家族1」とするステートメントも貼られ、そこでは、東浩紀の著書の引用を踏まえ、今、自分がいる家族は、偶然の出会いの連なりの中で成り立つ家族史、人類史の到達点であり、それぞれの家族には、簡単に入退出ができない強制性、子供が偶然に生まれる偶然性、血縁関係でなくても同じ釜の飯を食うことで家族になれる拡張性があるとしている。つまり、私的な情愛で結ばれる家族には誤配があること、言い換えると、家族概念の拡張、つながりの生成が、この作品のテーマの一つだろう。
また、「ルーツ」と書かれた会場内の文章では、日本では、海外にツールを持つ人を、ひとまとめに「ハーフ」などと言い、「外国人」とするが、実際には、外国籍でなく日本に国籍がある場合、あるいは日本で育った場合でも、多少、外見の違いがあるだけで「外国人」と分類し、差別、排除の対象になると問題提起。パリやロンドン、ロサンゼルスなどでの生活経験のある人からすると、ルーツにいろいろな背景があるのは当たり前で、「日本人」「外国人」という日本のような二分法は不思議な感覚であるとしている。

作品の映像に登場する4人はそれぞれ、バングラディシュ、ボリビア、朝鮮半島、ブラジルにツールがあるが、日本で生まれたり、幼い時に来日したりし、母語は日本語だ。プロジェクトは、「撮影する、演じる、絵を描く、感情を表す、手紙を書く、料理をする、会話をする、穴を掘る、食べるなど」と形式を設定。具体的には、庭付きの一軒家で、4人が家族のように共同性をもって暮らし、この家を中心にした地域で、教会へ行く、映画について話す、調理や食事、穴掘り、雑草取りをするなど、さまざまな行為に関わり、それにインタビューや抽象絵画制作と作品の画像が加わる。4人の会話は、スタジオ風の暗い部屋でのインタビューや、一軒家の居間でのインタビュー、日常的なコミュニケーションなど、いくつかのレイヤーをもつ。途中、4人の名前のイニシャルである「C」「K」「N」「A」のアルファベットが画面に入り、4人がテーブルを回って位置を変えるなど、フィクショナルな構造性のある映像でもある。
メーンと見られる最大の映像は、民家で4人が話す場面で始まる。4人は家族のように話し、食事をする、穴を掘るシークエンスなどが続き、時々、彼らが描いたであろう抽象絵画やその制作のシーンが挿入される。4人の会話にインタビュアーの下地さんが加わることも。ボリビアにルーツをもつ女性と朝鮮半島にルーツがある男性が一緒に教会に行く場面に続き、ブラジル出身の男性からは、周囲が気になり「チラ見大魔神」だといじめられたこと、家族が話すポルトガル語を自分は話せないことが告白される。朝鮮半島がルーツの男性は、中学2年の時、突然、母に呼ばれ、離婚した父が韓国系で、「差別を受けるかもしれない」と言われた経験を話す。この男性も韓国語があまり話せず、日本語以外に自分のルーツの言葉を話せることはいい、と言う。

もう一つの映像は、抽象絵画を背景に「抽象/家族」のタイトルが映し出されたあと、「和菓子は何が好き?」という会話がスタート。餃子づくりの場面が続き、4人でご飯を食べながら、東日本大震災のあと、同調圧力のようなものが強くなった変化を感じたとボリビアがルーツの女性が言う。バングラディシュ出身の女性が自分のルーツについて打ち明け、人と違うと思われるのが嫌だったなどと語る。ブラジルがルーツの男性は外見の違いからか「エイリアン」と言われ、イジメられた。ボリビアの女性は、ボロい家に住み、父親は自動車工場の下請けで働いた。教師にもイジメられ、無理やり特別支援学級に連れて行かれた。子供からのイジメもあったが、子供の保護者からも差別を受けた。自分はボリビア(のアイデンティティ)をアピールしたかったし、「負けてたまるか」と思って頑張ったという。
別の映像も、基本構造は同じ。4人の会話や抽象絵画の映像が映し出される。田中功起さんがインタビューを始めるといい、インタビュアーで社会学者の下地さんが登場。4人に質問をしていく。4歳までボリビアにいた女性は、自分の土台はボリビアで、日本は完全に外側の世界だと言う。「今は日本バージョンの私で、リセットするとボリビアバージョンの私」になれるとも。
一方、韓国がルーツの男性は、自分は「日本人でも韓国人でもない」と、日本、韓国のどちらにも属せない感覚について話す。ブラジルがルーツの男性は、自分が幼稚園の時、ペルー人の女の子を差別してしまった経験を打ち明け、「今でも謝りたい」と言う。電車で外国人の集団を「同じ車両に乗りたくない」と差別してしまうとも。小さい時に親がお金のために日本に出稼ぎに来て、離婚した父親やブラジルの記憶はないという。

メーンと思われる映像の最後に流れるエンドロールからは、外国にルーツを持つ複数の出演者だけでなく、自らも出演する田中さん自身やスタッフ(スペシャルサンクスには複数の知人、友人が含まれていた)など、撮影のための仮構の組織共同体の全ての成員が、制作、作品、それぞれの過去や未来を共有できるかを巡り、作品化されたことがわかる。こうしたことから、この作品は、単に出演した外国にルーツをもつ日本在住者の姿、本音を見せるというだけでなく、むしろ、それを超えて、それぞれの会話、制作上の考察、ずれ、失敗、フィクション、異化作用などを通じて社会や制度、歴史、集団と排除、国家、人類と民族、人種の概念、グローバル経済や、権威主義、国家間の権力関係、あるいは、アーティストや現代アート、そしていわゆる国際展や、「表現の不自由展・その後」の中止に揺れる「あいちトリエンナーレ2019」をも俎上に載せ、検証・批評していくプロセスとして機能するだろう。
9月7日と21日に予定されるエクステンションの特集上映・アッセンブリーや、再設定された展示、拡張されたアッセンブリーでの開かれた観客との議論などが注視される。

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