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荻野良樹写真展 FLOW(名古屋)で7月2-18日

PHOTO GALLERY FLOW NAGOYA(名古屋) 2022年7月2〜18日

荻野良樹

 荻野良樹さんは1987年、三重県鈴鹿市生まれ。現在も、同市を拠点に撮影している写真家である。

 2019年、自主レーベル「fragment records」を設立。三重県いなべ市の岩田商店ギャラリーなど、各地でグループ展、個展を開いている。

 受賞歴は、第23回写真「1_WALL」奨励賞、PITCH GRANT 2021 ファイナリスト選出など。

 荻野さんは、⼭神信仰について興味を持ち、地元の鈴鹿市周辺で、高齢者への聞き取り調査と撮影を続けている。

 山神信仰とは、山に神が宿るという信仰であるが、荻野さんは、その神が春に山から里に下り、秋に再び山に戻るという、四季と農耕を背景とした山の神と田の神(稲作の豊穣をもたらす神)の往還として捉えている。

 神といっても、神社やほこらを撮影するわけではなく、山の神、田の神の伝承がある地域そのものを撮影しているので、実際には風景写真という印象が強い。

荻野良樹

 では、一般的なスナップ写真かというと、明らかに違う。荻野さんの作品は、風景とその変容、自然と民俗、人間の精神と身体への研ぎ澄まされた感性によって、芸術写真と言っていいポジションをとっているのである。

身体の先にあるもの

 荻野さんによると、平野部の⼭神信仰は農耕との結びつきがとても強い。荻野さんが撮影対象とする地域の多くでは、農業の衰退による風景の変貌が著しく、それに伴い、⼭神信仰も薄れている。

 つまり、農地がなくなれば、農耕を軸とした生活、言い換えると、農作業を繰り返してきた人々の身体性と精神世界が変化する。

 風景の変貌は、単に農地がなくなったという事実を超えて、そこに暮らす人たちの身体や心に影響し、逆に言えば、荻野さんの作品は、人々の身体や心の変化が写し出されたもの、山神の薄れゆく存在をテーマとしているともいえるだ。

 そこに、荻野さんの写真の中に、私たちが「見えないもの」を感じる理由がある。見えないものとは、何か。

 荻野さんが撮影するのは、都市でも、郊外でも、山を切り開いた新興住宅地でもない。そこは、人々が古くから住み続け、農耕に携わっていた地域である。今、そこで田んぼや畑が急速に失われ、風景が大きく変わっている。

 稲作が途絶えると、藁や籾殻なども消え、生活が根底から変わる。当然、そこに暮らす人々の内なる世界や体つき、動作、言葉や声、感覚なども影響を受けざるをえない。

荻野良樹

 言い換えると、風景とは、そこに住んでいる人の体の延長である。だから、今回の展示のタイトルは「身体の先にあるもの」なのだ。

 都市の風景も、タワーマンションの風景も、郊外の風景も、すべてそこに暮らす人々の体の感覚とつながっている。

 とすれば、この風景は、荻野さんしか撮ることができない、その体の延長である。ここに何が写っているのか。荒れた農地、住宅横の小さな畑、住宅にほど近い林、溜池沿いの小道、果樹、切り株…。

 それらは、一応写ってはいるものの、明確な被写体といえる存在感やドラマ性がなく、そのことが、鑑賞者に「これは何を撮ったのか」という戸惑いを与えるものである。

 私たちは、たいてい、写真を見るとき、写真家が何を撮ったのかを確認するが、ここにはそれらしいものが何もないのである。

 荻野さん以外の人が同じ場所に来ても、そこでシャッターを押すことはないだろうという写真ばかりである。美しくもなく、ドラマチックでもなく、華やかでも、さりとて、ことさら不穏でも怪しげでもない。

 だが、その写真こそが荻野さんにとっては決定的瞬間なのである。

荻野良樹

 荻野さんは、撮影箇所をどう選んでいるのだろう。いろいろな理由があるだろうが、1つには、次来たときにはなくなっているかもしれない、という風景であろう。 

 荻野さんによると、鈴鹿市周辺では、農地、遊休地、山の斜面などで、ソーラーパネルが設置され、急激に風景が変わっている。

 しかし、荻野さんは、それさえも撮影せず、近い将来、失われるであろう予感とともに、無表情ともいえる風景を、ある種、超然とした目線で撮影している。

 つまり、ここには、わかりやすいイメージ、鑑賞者を惹きつける「絵」は全くと言っていいほどない。

 改めて、見えないものとは何か。筆者は、先に、薄れゆく山神の存在、と書いた。では、神とは何か。人間の力を超えた、人間が自分ではどうすることでもできないもの、支え、支えられているすべての宇宙…。

 ひとまず、そう言ってみる。みなさんは、何を感じるだろうか。 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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