名古屋のカルチャーWEBマガジン「アウターモーストナゴヤ」では、レビュー、リポート、トピックスなどを掲載します

吉田葵 こちらがわは むこうがわ ギャラリー・ノイボイ

Gallery noivoi(名古屋) 2019年12月3〜15日

吉田さんは1979年、三重県生まれ。名古屋造形芸術大(現・名古屋造形大)の大学院を修了し、絵画などを制作する女性作家である。吉田さんの平面作品は、和紙にアクリル絵の具で描いた画面の少し上に、絹地に描いた画面を重ねて張った二層構造になっている。描いているモチーフは、抽象的なグリッドなどもあるが、多くは、カーテンと、細いリボンである。
色彩が淡いパステルカラーであるのに加え、作品自体が小さく、白い壁面に余裕を持って掛けられているため、全体に心地よい。層状をなした地が和紙とシルクで、描かれたカーテンや、細く曲線的なリボンに軽やかな動感があることから、優しく、穏やかな印象である。画面の二層構造によって、反復する形象に繊細なズレがあり、モアレのような揺らぎを生んでいるのも興味深い。

昨年、出産のために2カ月ほど入院し、カーテンで仕切られた空間で一人長い時間を過ごした。その緩やかな境界である薄いカーテン地と向き合ったときの心象からインスパイアされたようである。半透明ともいえるカーテンのような布は、視覚的には向こう側を遮るものの、空気の流れや、音、匂い、温度、湿度、物体の存在感を遮断するわけではなく、半ば交通し、半ば接近を妨げる薄い膜である。今回、会場の窓に引いた薄いカーテンのインスタレーションも、被膜のように柔らかく空間を包んでいた。

吉田さんの体験に戻ると、病室のカーテンに仕切られたベッドにいるときは、一定の安堵感を得るとともに、閉鎖されている空間で緊張感も味わった。この安堵感と緊張感をはじめとする両義性こそが「半透明」のカーテンの特徴なのだろう。透明でなければ不透明でもない。見えるようで見えない。気配はあるけれども、分からない。
この緩やかで融通無碍とした極薄のヴェールの境界は、個展のタイトル通り、こちらとあちらが相互につながりながら、分離され断層ももつ。今、自分がいるところと、その向こう側が通気性をもつ一方で、空間が仕切られ、まさに両義的、曖昧な媒介物である。薄い布で分けられた向こう側はこちら側とつながっているけど不明なところ、日常からはみ出た非日常、平穏な自分に突如振りかかる危うい出来事のメタファーでもある。人は、半透明の媒介物を通じて、そうした気配を感じながら生きている。

描かれたカーテンやリボンのイメージもまた、自由に形を変える揺らぎと曖昧さを象徴する。会場には、カーテン地を袋状にして、中にリボンを入れた小立体も展示している。中のリボンも、外から覆う半透明の袋状のカーテン地もやはり、自由に形を変える。軽やかで心地よい一方で、どっちつかずで、揺らぎ、不安定でもある。絵画か還元されていった平面性と不透明性を拒否し、ヴェールのように柔らかく、曖昧に隔てながら、安堵感と緊張感の両義性がある吉田さんの作品は、岡田温司さん(西洋美術史、思想史)が「半透明の美学」(岩波書店)で、デュシャンのアンフラマンス等々、アリストテレスの「ディアファネース」に端を発する半透明の系譜を次々と展開していったものに通じるのかもしれない。

カーテン地で包み込んだリボン以外にも、リボンそのもの、やじろべい、モビールなどが一緒に、さりげなく展示してある。軽やかな自在性のメタファーであると同時に揺らぎ、制御を欠き、安定していない。やはり、半透明のように両義的である。

吉田葵
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