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内田鋼一 Gallery NAO MASAKI(名古屋)  10月10日まで

Gallery NAO MASAKI(名古屋) 2021年9月24〜10月10日

内田鋼一 / Kouichi Uchida

 内田鋼一さんは1969年、名古屋市生まれ。人気陶芸家であると同時に、陶芸作品にとどまらない立体、平面作品を展開している。

 1990年、愛知県立瀬戸窯業高校陶芸専攻科修了。アジア、アフリカ、ヨーロッパ各地の窯業地での滞在制作を経て、1992年三重県四日市市に工房を構えた。

 古陶磁、古道具の蒐集でも知られ、2015年、四日市萬古焼を紹介する私設美術館「BANKO archive design museum」を開館した。

内田鋼一

 内田さんの作品は、「無国籍性」「素材の質感」に特徴があるといわれることがある。今回の個展でも、陶芸作品や、別の素材を組み合わせた造形作品に、それが印象付けられた。

 さまざまな作品展開の制作ができる人でもある。素材に対するアイデアや即興的な手の動き、空間への配置などに、持ち合わせたセンスの良さを感じる。

 色彩は抑えられ、表面の質感は大切にされつつも、その素材感も強くは押し出さず、シックである。

内田鋼一

 筆者の感覚では、内田さんの作品の人気の理由は、空間にさりげなく存在し、ゆっくり呼吸しているような静謐さ、その洗練されたたたずまい、慎み深さにある。

 今回は、土と鉄を主な素材にしている。内田さんの実家は鉄工所を営んでいて、鉄はなじみのある素材である。土や鉄、あるいは紙など、ほかの素材も、質感を生かしながら、存在のありようは静かである。

 鉄も土も、人類や文明の発展にとって礎となる素材だった。内田さんの作品は、シンプルでプリミティブなものが多いこともあって、存在感がよけいに普遍的なレベルで私たちの意識に共振するところがある。

内田鋼一

 陶芸(工芸)は、お国柄、地域性や風土が出るジャンルだと思うが、内田さんの作品はニュートラルである。

 若い頃にアジア、アフリカ、ヨーロッパなどを放浪し、日本の特定の産地の陶芸から入っていないせいだろうが、素材から制作していきながら、窮屈でなく、寛容というのか、おおらかで、素朴、プレーンである。

 先入観で素材に向き合うのではなく、出会った素材に対して、素の状態で自由に振るまうことのできる構えの大きさがある一方で、力技は微塵も感じさせない。

内田鋼一

 内田さんは、いわゆる《用の美》を広く捉え、器もオブジェも区別なく、ものがそこにあること、その場の空気に静かに働きかけるありようを「用」としているように思える。

 《用の美》は、器など生活の中の工芸品をオブジェなどの純粋美術から峻別するための二項対立が根底にある言葉だが、内田さんの「自由」は、そうした《用の美》の偏狭を超えているのである。

 そうして、私たち鑑賞者が感じる、器やオブジェがその空間にあるたたずまいの感覚は、形や色彩、表面の質感によって具体的であっても、それを超えて抽象的なものでもある。

内田鋼一

 内田さんが、ここでいう《用の美》は、平たく言うと、空間に置かれることの美しさといってもいい。その空間とは、ホワイトキューブでなく、生活空間である。

 もちろん、ギャラリーや美術館でもいいのだが、生活空間にあったとき、それはいっそう静かに息づき、慎み深く、洗練されたたたずまいを見せてくれるからこそ人を惹きつける。

 器を生活空間に置いたときの美しさと、オブジェを置いたときの美しさが、同じ《用の美》として抽象的なたたずまいとして捉えられている。

 内田さんの作品が、過度な装飾をまとわず、抑制を効かせているのも、空間を意識しているからではないか。

 素材をありのままに受けとめ、素材の質感を重視しながらも、自由に、相対的に使っている。形や色彩はシンプルにしつつ、空間との関係が意識されている。

内田鋼一

 つまり、器とオブジェが生活空間にあることのたたずまいを二項対立的に区別せず、工芸的なるものと純粋美術的なものが円環をなすようにつながりながら、具象的であると同時に抽象的であるように存在させている。

 工芸的なものと純粋芸術的なもの、生活空間での具象的なあり方と抽象的な存在感の両立は、どこから来るのだろうか。

 内田さんは、若かりし頃、アジア、アフリカ、ヨーロッパの各地に住み込みながら制作し、素材や、造形、装飾の過程、燃料に至るまで、土質や天候、習俗、歴史などと切り離せないその土地ならではのやきものの必然的な成り立ちを吸収してきた。

内田鋼一

 土地とやきものの密接なつながりを肌身で感じてきたがゆえに、素材1つ1つを自身の体の感覚によって丁寧に受けとめながら、コスモポリタンとしての内田さんは、それを特定の「土地」に安易に結び付けず、人間の記憶の古層に触れるように、生活空間にたたずむ作品として抽出しているのではないか。

だからこそ、内田さんの作品は、世界各地の生活空間とそこに流れる現在と過去の時間に共振する。それが「無国籍」な感覚につながり、心地よく、慎ましく、プリミティブ、静謐なものとして存在する。

 つまり、内田さんの作品は、世界の生活空間と時間をつないでいき、温かく、そして分断することがない。

 内田さんが素材の声を聞いて生み出した美しいフォルムと質感、色彩などの造形要素は、ある土地があるやきものを生み出したがごとく、内田さんと素材との交感によって、「内なる美(内包する力)」を発露させたものになっている。

内田鋼一

 奇抜さ、派手さ、先鋭さはなく、それは素直な形である。回転体や矩形のようなプライマルな形、バイオモルフィックな形と、内側からの膨らみ、素材の表面性、素材感、シックな色彩感覚が意識されている。

礎・素/鉄と土

 今回も、多様な作品が展示された。加彩壺などの陶芸作品や、陶と鉄の組み合わせによるオブジェ、壁に掛けた平面が中心だが、素材は、作品によって、さまざまなものが使われている。

 

内田鋼一

 陶板に見える作品は、「伊勢の土」「滋賀の土」などを平面に仕立てているが、土は焼いていない。燻した籾殻を混ぜて、黒色にしている作品もあった。

 錆びついたフラットな鉄板と、その表面を紙に押し当てドローイングを加えた額入りの作品も独特である。

 多様性と一貫した制作意識、物と生活、人間にかかわる《見方》ともいうべきものの豊かさが空間全体に息づくように構成されている。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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