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平川祐樹個展 Years Later

STANDING PINE (名古屋) 2019年9月14日〜10月14日

 9分でループされる新作の映像が展示された。映画を考古学的に探求し、緻密な創作過程を経て作品化された、見所の多く知的な展示である。名古屋周辺にいる現代美術の関係者、特に映像作品に注目する向きには、平川の新シリーズの最初の作品として見逃せないだろう。

 平川は1983年、名古屋市生まれ。2011〜16年はドイツに活動の場を移し、現在は愛知県が制作拠点。ロッテルダム国際映画祭、オーバーハウゼン国際短編映画祭で招待上映されるなど、評価を受けている。

 世界中の失われた映画のタイトルを集めて列記し、そのリストを並べ替えて繋げ、詩が語りかけてくるようにしたシリーズ「Lost Films」の制作に絡み、失われた映画をリサーチする中で発展的に始まったのが、新しいシリーズ「Years Later」である。

 サイレント作品をはじめ、初期の日本映画はフィルムが現存しないものが多い。理由の一つは、1940年代ごろまで使われていた映画用フィルム(ナイトレート・フィルム)が、セルロイド(セルロース、樟脳〈しょうのう〉などが原料)を使っていて、非常に燃えやすく、腐食もしやすかったこと。

 このため、世界的に火災による歴史的な映画フィルムの焼失が発生し、大きな火災では命も奪われた。映画「ニュー・シネマ・パラダイス」(1988年)で、主人公トトが愛した故郷の劇場が燃えてしまう場面があったが、その時の原因もこれである。

 同時に、平川が着目したのは、フィルムが現存しないにもかかわらず、映画に関わるスチール写真やブロマイドなどの周辺資料が多く存在するという事実だった。

 つまり、オリジナルのムービーが失われたのに、複製されたスチール(イメージ)が流通し、存在するという逆説的な状況である。

 ここで、平川が考えたのが、静的なイメージから運動であるムービーへと創作過程を遡るようにクリエイションすることだ。

 俳優を使って、映画を再現するというようなことを平川はしない。遺されたスチールの場面写真を詳細に分析し、当時の大道具、小道具と同じ、あるいは近い物などを探し回った上で、ある場面のセットを自分のスタジオに精巧に再現するのである。

 しかも、俳優は使わず、映画セットの大道具、小道具に〈演技〉をさせ、これまた緻密なカメラワークによって、いわば、〈もの〉による新たな物語を創出させるのだ。

 それは、ポルターガイスト現象のような映像であるのだが、ただの遊びにしないのが、平川のメディア考古学的な視点である。

 平川は、映画史や元の映画の成り立ちを入念に研究した上で、登場人物たちが立ち去った後のセットに残骸として残る大道具、小道具たちの映画、いわば〈もの〉による語り、換言すると、謎めいた「物/語」を生成させるのだ。

 では、具体的に見てみよう。平川が今回、選んだ元ネタの映画は、「新召集令」(1918年、小口忠監督)。日本の帝国主義における国威発揚を内容とした作品である。

 平川が見つけた写真資料のイメージ(ギャラリーに展示されている)は、召集令状が来てシベリアに出征することになった若い男と、妻となる女、そして、親らしい計4人の和装姿の男女が、和室で結婚の宴を上げている場面なのだが、どことなく重苦しい。

 平川は、火鉢や徳利、布切れなどの配置、ボロボロの部屋の襖障子の破れ、掛け軸の書やその虫食いに至るまで、残っていた場面写真にしたがって映画セットを忠実に再現していく。

 それだけでなく、写真に散らばるようにあった劣化の汚れを、あえて、香料、殺虫剤などになる樟脳(しょうのう)の破片に読み解くのが、ミソである。

 樟脳は、前述した通り、セルロイドの原料で、それはまた初期の映画用フィルムにもなる。こうして、平川が作り上げた、失われた映画のセットには、初期の映画フィルムの原料である白い樟脳の破片が散りばめられるのだ。

平川祐樹

 さて、映画セットが整ったところで、映像のスタートである。俳優がいない映画セットで、〈もの〉が勝手に動きだすことはない。

 精緻に動くのは、この映像の俳優ともいえる〈もの〉を撮っていくカメラだ。

 倒れた徳利、こぼれたお酒、火鉢のかすかな火、燈明皿の炎や、床の間の掛け軸、生け花などが、固定、パン、ティルト、ズーム・イン、ズーム・アウト、フォーカス・インなどの繊細なカメラワークによって、わざとらしく〈もの〉を動かすこともなく、あたかもこれらの〈もの〉に命が宿っているように見せるのである。

 この映画のセットには、燈明皿や火鉢など、火にまつわる小道具と、映画史の考古学的分析から配置した燃えやすいナイトレート・フィルムの原料の樟脳がある。

 一方、出征直前に若い男女が結婚するという元の映画には、火事によって借金と障害を負った父親が自殺をするという悲劇的なオチがついている。平川は、こうしたことから、このセットによって、火にまつわる新たな物語を創作するのである。

 初期映画のナイトレート・フィルムと原料の樟脳、火災で当時のフィルムの多くが失われたという映画史、元の作品のあらすじにある軍国主義と火事という災厄、周辺資料のスチール写真の傷などが結ばれ、新たな物語として、セット内に散りばめられた樟脳から、小さな炎が上がる。

 全体に青みがかかった静謐な映像の、和の空間で、小さな炎が次々と上がる、その神秘的なまでに美しい映像。

 これは映画史を分析しながら生成された、〈もの〉の演じる映画である。もう見ることができない映画、失われた映画から転生した、もう一つの映像は、不気味な静けさを宿しながら、軍国主義時代の悲劇性を霊気とともに立ち上がらせていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

平川祐樹
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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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