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堀江良一展

極小美術館(岐阜県池田町) 2019年10月14日〜12月1日

和歌由花(美濃加茂市民ミュージアム学芸員)

 堀江良一は約40年もの間、《弧のある風景》という色面版画の連作を展開してきた版画家である。画面を大きく横切る伸びやかな円弧と球体がグラデーションの空間に浮かび上がる《弧のある風景》、堀江は彩色にインクではなく油絵具を用い、プレス機で刷る。ローラーで混色することで独特の諧調が生まれ、果てしない広がりと奥行きを持つ空間が生まれる。その多くは深い青色を基調としており、観る者は広大な空あるいは宇宙を想起する。

 しかしながら近年、この《弧のある風景》の新作発表に加えて油彩画の展覧が連続しており、画家としての評価は高まりを見せている。今回、極小美術館では新作を含み、青を基調とする油彩22点が展観された。作家自らが展示したというキャンバスは若干低めに掛けられており、この空間の天井の重厚感と相まって、心を落ち着けて絵に向き合えるよう仕立てられていた。

 画面全体が明るく柔らかな青に満たされている。そこに、抽象的な色の断片が浮かび上がる。あるものは空間の裂け目のようにも見える。ある絵では同系色の様々なトーンの矩形が折り重なっている。平滑な背景の絵具層、時にナイフを滑らせ色を重ねることで生み出される厚塗り、あるいは絵具をそがれて露わになった画布のざらついた表情、多様なマチエールは観る者の目を飽きさせない。キャンバスの地色の白が効果的に形と色を引き立て、朧気な像を青の空間から浮かび上がらせている。茫洋としてまるで物陰のように控えめな形体は建物か、それとも卓上静物か、なにものかを連想させ、心の奥に在る慣れ親しんだ景色を見ているような感覚を抱かせる。そこに赤やピンク、黄色といった明色が見え隠れする。まるで光が明滅するように色は響き合い、止まない。いつまでも眺めていられる絵画である。

 15年ほど前から私は堀江の油彩画を見ているが、その生命力は年々増しているように感じられる。2013年には美濃加茂市民ミュージアムで油彩と版画を共に展覧する堀江良一展を開催した。私は当時、版画と油彩を別物の仕事として捉えていた。版画は木版と紙と油絵具の統制が狂いなく技法として高みに達しており、その存在は厳格で荘厳な空気に満ちていた。一方、油彩は描かれた形が風景や人物といった何かしら馴染の姿かたちを想起させ、白みがかった柔らかい色調と相まって人間の手触りや温もりを感じさせた。両者は別の生き方を目指しているのだと信じていた。

 しかし今回の展覧会を見ながら、最近の堀江良一の版画を思い返したとき、版画と油彩の表現が互いに絡み合っていく気配を感じずにはいられなかった。近年の版画では、これまで使用してきた濃い鮮烈な色よりも、どちらかというと油彩に多用してきたスモーキーカラーを主として使っている。暖色や柔らかな色彩をふんだんに使い、全体としてソフトな印象に仕上げていく方向に向かいつつあることを思い出した。また、今回の展示で南側の壁に掛けられていた油彩画の空間性に《弧のある風景》と同じ密度を感じたのである。

 この意味からして、気にかかる作品があった。マスキングによって無数の透明な弧が描かれた作品群である。その幅とカーブの角度は、版画《弧のある風景》に登場する弧を連想させた。飛び交うように錯綜する弧、スピード感を持って散りばめられた色の欠片、色と線の織りなす混沌が画面の中央から外側へ消えていく様を眺めていたとき、≪弧のある風景≫が解体されていく瞬間を見ているのではないかと思い、胸を突かれた。今を超えて新たな表現を見出そうとする決意の表れとも感じられたからである。

 一見安らぎに満ちた青いキャンバスには、描く自由を謳歌する生命力が宿っている。画業50年を数えるほどの美術家であるが、今も奢ることなく、人の心情とともに在り続ける美術を愛好し、誠実な制作を続けている。美術は人の目を開かせ、精神を清め、力を与えてくれる。堀江良一は、そんな美術の作用を信じさせてくれる美術家である。

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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