ケンジタキギャラリー(名古屋) 2025年10月4日〜11月15日
田中信行
田中信行さんは1959年、東京都生まれ。東京芸術大学美術学部工芸科卒業、同大学大学院美術研究科工芸専攻漆芸修了。金沢市在住。
近年の展覧会に、2018-19年の「NOBUYUKI TANAKAーUrformen Primordial Memoriesー:田中信行 原形ー原初の記憶ー」展(カイザースラウテルン美術館 ミュンスター漆美術館/ドイツ)、「GO FOR KOGEI 2021」(那谷寺 / 石川県ほか)、湖北国際漆トリエンナーレ2023(湖北省美術館/中国)などがある。

2025年4月5日-5月25日にギャラリーヴォイス(岐阜県多治見市)で開催された「誘惑するかたち」にも出品している。
田中さんは、漆芸の範疇を超え、生体的ともいえる漆の質感を出発点に、本来、塗料である漆の被膜のみを自立させることで、原初的な形と世界観、日本人の美意識や、深層に関わる精神性を現代的な存在感で切り開いてきた。
触生ー漆黒・呼吸する光ー
今回もギャラリーの1、2階の壁面、空間に身体を凌駕するサイズの作品を展開し、大変見応えがある。2021年に石川県などで開催された「GO FOR KOGEI 2021」において小松市の那谷寺で発表した作品など、黒や朱による《Inner side – Outer side》のシリーズは高さ2メートルを超え、圧巻である。

ヌメリを感じさせるような触覚性と、波打つような微かな表面の起伏が一緒になって、なんとも艶かしく、有機的、生命的な印象である。床に立てられたチューブのような形態は上に向かって窄み、反対側に回ると、裂け目のように開いている。
だから、チューブというよりは、湾曲する皮膜(被膜)であって、向こう側から見ると、鑑賞者を包み込むような大きな器形が屹立しているような形状である。
1 つの独立した器官のような全体性を持ちながら、こちらと向こうを隔てる境界面でもあり、鑑賞者の視点の移動によって、外部空間を意識させたり、逆に内部にいるような感覚にさせたりする、両義的な存在なのだ。
こうした形態と、粘液がまとわりついた皮膚のような生理的なありようから、作品は身体のメタファーにもなっている。

1階の黒漆の《Inner side – Outer side》は、明るい空間に展示され、鏡のように磨かれた作品の漆黒の闇が鑑賞者を映しこむ。他方、2階に展示された朱の《Inner side – Outer side》は、闇に浮かび上がる神秘的な印象である。
とりわけ、この朱の作品は、表側から見た堂々とした姿に対して、裏側の空洞に回ると、繊細な陰影、吸い込まれるような深淵に禍々しいほどの生命感が宿っている。微かな光と陰影によって、漆という素材の本質が現れている。
この触覚的な漆の層が持つ本源的な相のうつろいが、微光と影によってあらわとなって、生きているような内部からのうねり、律動感、肌理、呼吸を感じさせるのだ。

塗り重ねることで変容し、磨くことで遷移する、漆の被膜性の自立によって生まれる、「深い表面」ともいうべき、表面がそのまま深度のある形態になるという作品の力である。
塗料としての漆の被膜は、 陶芸でいえば釉薬のような層である。田中さんの作品では、限定した漆素材と作家が創造的対話をし、漆の被膜をそのまま大きな器のように存在させることで、空間をつくっていく(田中さんは、被膜のみならず、体を残したまま漆を塗り重ねた作品もある)。
器から発展し、漆の被膜によって造形された形態は、胎内のような空間、あるいは身体の隠喩となって、人間を包みこむような原初の生命記憶を想起させる。
このあり方は、人間という生命の神秘、人間と世界、⾃然、宇宙との関係、心という主題にも、つながっていきそうである。

「深い表面」という、表面がそのまま深さをもった形になることで招来する造形の力が、内と外を行き来する感覚、世界を眺め、同時に世界から眺められているという往還、二重性によって、宇宙と一体化するような、瞑想の世界へと導いてくれる。
田中さんの作品世界の美意識は、工芸と美術という枠組み、ジャンル、表現形式、言葉と概念にとらわれることなく、自らを超えようとする。これこそが人間が物質に関わり、時間を超えて美しいと感じるものを生みだす、人間が創造する意味でもある。