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映画『名付けようのない踊り』伏見ミリオン座など全国で1月28日公開

配給:ハピネットファントム・スタジオ ©2021「名付けようのない踊り」製作委員会

独自の〈場踊り〉の世界をたどる

 世界的なダンサーとして活躍する田中泯がダンスに魅せられた76年の人生を紐解くドキュメンタリー映画『名付けようのない踊り』が2022年1月28日、全国公開される。

 東海地方の上映館は、伏見ミリオン座、ユナイテッド・シネマ豊橋18。

 映画の中のアニメーションを担当したアニメーション作家、山村浩二をはじめ、アーティストの原口典之、キムスージャとのコラボ映像や、批評家のスーザン・ソンタグ、思想家のロジェ・カイヨワ、音楽家の大友良英、編集工学者の松岡正剛などの名前も登場。アート好きには見逃せない映像である。

 田中民は、1966年にソロダンス活動を開始。1978年にパリデビューを果たし、以後、世界中のアーティストとコラボレーションを重ねた。映画『たそがれ清兵衛』(2002年)以降、俳優としての映像作品出演も増えている。

 そんな田中泯のダンスを、『メゾン・ド・ヒミコ』(2005年)への出演をきっかけに親交を重ねてきた犬童一心監督が撮影。 2017年8月から2019年11月まで、各地で踊る田中泯を追いかけ、国内外を巡った。

 自身の身体が降り立った場の風土、記憶、気配を感じて踊る 田中泯の〈場踊り〉 はどのジャンルにも属さず、同じ踊りが繰り返されることもない。

 そうしたダンスを息がかかるほど間近に感じながら、背景と奥深い精神性に触れられる映像である。

田中泯の踊りと生き方

 カメラは田中泯が農業を営む山梨の村へも分け入る。田中泯は1985年、40歳のとき、野良仕事で身体を作り、その身体で踊ると決めた。

 ポルトガル・サンタクルスの街角で踊り、「幸せだ」と語る姿は、どんな時代にあっても好きなことを極め、心のままに生きる素晴らしさを気付かせてくれる。

 田中泯はどのような道をたどって、その境地に行き着いたのか。村では、どんな日常を送っているのか。

 犬童監督は、田中泯の生き方の根底にあるものを、アニメーション作家の山村浩二によるアニメーションやシネカリグラフィ(直接、フィルムに傷をつける表現技法)でつづる。

 記憶の中にある子ども時代が情感豊かに点描され、田中泯の中に今も存在する「私のこども」という無垢な感覚世界がつまびらかにされる。

レビュー

 場とともに踊る〈場踊り〉は、日々異なるものであって、完成形も権威性をもたない。田中民というただ1人の存在が世界とつながるものであって、それゆえ流派をつくることもない。

 数多くの踊りの場面があるが、筆者は、原口典之のオイルプールで踊る場面が、とても刺激的だった。油にまみれ、ゆっくり動く身体がダイナミックで強靭な磁場をつくっていた。

 数多くのエピソードの中で、1978年、33歳の田中泯が、パリ・ルーブル装飾美術館で開催された「〈間〉 日本の時空間展」(磯崎新企画)の一環として、会場にしつらえられた能舞台で踊ったときのことも大きく扱われている。

 その後の世界展開のきっかけとなった出来事である。 

 パリ公演の後、田中泯が「遊びと人間」の著者ロジェ・カイヨワを訪ね、踊りを見てもらったくだりがある。

 このとき、田中泯は「永遠に名付けようのない踊りを続けてください」とカイヨワに言われ、それを実践している。今回の映画のタイトルもそこから取られている。

 世界には、さまざまな時間が流れている。雲にとっての時間、バクテリアの時間、豆の育つ時間……。

 田中泯は、多視点、多時間、独自の宇宙観、生命観の中で、つながりを選びとり、速度が異なるそれらのうつろいの感覚を模倣するように一体化し、自分を世界に投影し、そして世界を自分の中に投影する。その神秘は、本人しか分からないものだが。

 筆者は、世界と自分の内なる世界がつながるそうした踊りに、宇宙にあるすべてのものが相互に依存しあっているという仏教のインタービーイングのような感覚を想起した。

 映画の中で、田中泯から「(自分の踊りを)見ている人との間にダンスが生まれるのが理想」という言葉が発せられる。

 ジャンルや言葉、概念が生まれる前の、名付けられる前の原初的なコミュニケーションのような、世界との交感のような踊りである。

田中泯

 1945年生まれ。66年、クラシックバレエとアメリカンモダンダンスを10年間学び、74年より独自の舞踊活動を開始。78年にパリ秋芸術祭『間―日本の時空間』展(ルーブル装飾美術館)で海外デビューを飾る。

 以降、独自の〈場踊り〉を追求しながら、「カラダの可能性」「ダンスの可能性」にまつわるさまざまな企画を実施。ダンスのキャリアを重ねる一方で、57歳のころ、『たそがれ清兵衛』でスクリーンデビューし、映画への出演も多数。

監督・脚本 犬童一心

 1960年生まれ。高校時代より自主映画の監督・製作を始める。大学卒業後は、CM演出家として数々の広告賞を受賞。1997年、『二人が喋ってる。』で長編映画監督デビュー。

 『眉山 -びざん-』(07)、『ゼロの焦点』(09)、『のぼうの城』(12)で、日本アカデミー賞優秀監督賞を受賞する。

 主な監督作は、『ジョゼと虎と魚たち』(03)、『メゾン・ド・ヒミコ』(05)、『グーグーだって猫である』(08)、『猫は抱くもの』(18)、『引っ越し大名!』(19)、『最高の人生の見つけ方』(19)など。

アニメーション 山村浩二

 1964年生まれ。90年代、「パクシ」「バベルの本」など子供向けアニメーションを制作。「頭山」(02) が第75回アカデミー賞にノミネート。アヌシー、ザグレプほか、6つのグランプリを受賞し、「今世紀100年の100作品」の1本に選出される。

 「カフカ 田舎医者」 (07年) がオタワほか、7つのグランプリを受賞するなど、アニメーション作品の受賞は100を超える。

 世界4大アニメーション映画祭すべてでグランプリを受賞した唯一の監督で、2021年には、過去25年間の優れた世界の短編監督25人のトップ2に選出された。川喜多賞、芸術選奨文部科学大臣賞受賞、紫綬褒章受章。

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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