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加山隆展 ギャルリーくさ笛

  • 2020年3月1日
  • 2020年3月1日
  • 美術

ギャルリーくさ笛(名古屋) 2020年2月26日〜3月2日

 静謐という言葉がふさわしい絵画が優しく小さな呼吸を繰り返すようにたたずんでいる。ほとんどマットな白一色に黄色の薄い筋や、しみのようなものが見えるが、それは地に対する形象というより、図と地がそのままに浮き出た、あるいは溶けあった痕跡のようである。作品はいずれも、さほど大きくなく、ゆったりと掲げられていて、白一色と見紛うほどの中にほのかな黄色が見える。繊細で温もりを感じさせる絵画でありながら、絵画空間と柔らかな物体性が区別なく一つになっている印象もある。

加山隆

 加山さんは、故郷の長野県飯田市鼎でずっと制作している。1989年に愛知県立芸大を卒業後、90〜93年にはドイツ滞在。91、92年に、カッセル大学自由芸術科に在籍した。名古屋のガレリア・フィナルテで、2012年から18年まで、隔年で個展を開催している。

 加山さんには、絵画でありながら絵画でないものへ、絵画を描きながら異なる存在感や異質な物体感をもつ物に遷移することへの意識があるようである。支持体は自作の木製パネルで、かんなで削って角をとっている。パネルの角が緩やかに丸くなっていること、また、後に述べるように画面もサンドペーパーで削っていること、また、パネルを壁から7ミリほど前に出すように展示していることなどから、絵画でありながら、物体のような印象も与える。単に絵画空間を作ることを超えた物体という意識があるのだ

加山隆

ジェッソで下地をつくり、透明感のある黄色であるオーレオリンを薄くドローイングをするように塗る。その上にジェッソを塗って、また黄色を薄く塗って、ジェッソを重ねる。塗り重ね、ぼかすなど微かな差異に目を向けつつ、ジェッソとオーレオリンを塗り重ね、サンドペーパーで削っては、またそれらを塗り重ねる。画面は、ほぼ白一色ながら、黄色のストロークがほのかに残る。黄色は縦線のスリットのようなときもあれば、V字に見えるときもある。あるいは、おぼろげな影のようなときも。

中には、ジェッソを強く擦り付け、モデリングペーストを使うなど、画面に荒々しく向き合った作品もあるものの、展示された作品は、凪のように静かである。
加山さんは、一度に、5、6点の作品を同時進行で制作する。1つの作品にかける時間は短いと1カ月ほどだが、長いものは3年にも及ぶ。つまり、毎日、少しずつジェッソを塗り、薄く溶いた黄色のストロークを載せ、削っては、またそれらをの作業を何度も何度も繰り返す。

加山隆

 加山さんは、自分への癒やしのような作品だという。末っ子ながら家を継ぐため、帰郷。20年以上、高校の美術教員の仕事をしながら制作した。2012年に母親が他界。その後、父親と二人暮らしをしていたが、加山さんの生き方に意見を言うことはなく、加山さん自身は、自分に関心がないのかと思い込んでいた。父親との関係、付き合い方がわからない時期もあったようだ。
 脳梗塞になり、脚が不自由になった父親の介護をする中で、父親の心を知る。父を介護し、労る中で、逆に自分が労われていることを知る。父親の入院、介護、自身の不眠、父の死と孤独感。親との関係、自分の今、制作と向き合い、過去と現在を受け入れ、制作を続ける。長い時間をかけて、ある種、単調な作業を繰り返す制作方法であるがゆえに、毎日たとえ1分間というわずかな時間でも制作できた。

 黄色は、捉えがたいあいまいさがあって、使いこなすのが難しい色だという。力づくでは、どうにもならない、思うようにならない。
 こんなこじつけもできるかもしれない。白を重ね、薄い黄色を重ね、削って、画面の繊細な変化を感じ取りつつ、また白、黄色を重ねて削っては繰り返す。そうした抑制的、規律的、反復的な制作は、不安と孤独の中で、日々を生き直し、やり直すこと、ありのままを受け入れ、今と向きうあうこと、そして生きることそのもののアナロジーであると。

 加山さんは、全ての作品のタイトルを完成日の日付にしている。「デイトペインティング」のようだ。だが、加山さんの作品は、その日だけでなく、そこに到る日々の時間を込めている。そして、それがどれほど不安や孤独、乱れた感情の日々であっても、穏やかで静寂なたたずまいだ。生きることを受け入れているからだろう。

加山隆
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