ギャラリーA・C・S(名古屋) 2025年11月8〜22日
加藤美奈子
加藤美奈子さんは1977年、愛知県生まれ。2001年、名古屋芸術大学大学院修了。横浜市在住。ギャラリーA.C.Sでは2008年から、ほぼ隔年で個展を開き、今回は9回目。
今回は、紙にアクリルで描いた絵画を中心に一部、リトグラフが展示されている。穏やかな色彩、優しい筆触による静謐な作品である。だが、完全な調和、均整というわけでもない。どこか不安定さがあって、それが魅力でもある。
これだと分かる具体的なものは描かれていない。抽象のための抽象でもない。心象といえばその通りだが、その絵画実践そのものが心を開くことであり、生活すること、生きることと結びついている。
膨らみつづける 2025年

静かで温和に見えながら、微妙なグラデーション、浸透する色彩や、絵具の重なり、直線の区切りや、異物のような絵具の塊、飛沫や不定形の色面、いわば空間の中のみぎわに、さざなみのような小さな葛藤、ぐらぐらする感じ、かすかな軋轢がにじむ。
タイトルが面白い。「寝静まった夜のうちに」「その日、その時」「ものがたりがうまれるところ」「ごにょごにょ」「小さなハミング」⋯。日常的な時間を想起しながら、自分自身と対話しているのではないだろうか。
聞くところでは、家事と2人の子供の育児をこなし、中学校で美術の非常勤講師を務めながら、制作している。並大抵ではないだろう。

しかし、そうでありながら、描くことをなおざりにしていない。筆者の想像だが、普段の生活がとても忙しいことが想像される。多分、制作の時間を確保することもかなり大変なはずだ。
そうした煩雑な出来事が慌ただしく過ぎていく中で、隙間なような時間を制作に充てているのだろう。
加藤さんの作品は、多忙極まる日々の中での自分との対話である。色彩を選び、広げ、にじませ、重ねる。小さな筆触、線を引くこと、形をつくる。その一つ一つが、心を開いていくことだ。
社会の中で生き、毎日のルーチンの生活の中で再演を繰り返している物語のあちこちでめくれ上がった傷を修復し、無意識の心のささくれを見つめること。

加藤さんにとって描くことは瞑想のような時間である。空の世界、無我の世界に遊ぶこと。やがて、色彩と形、線、絵具の飛沫、筆触とマチエールが、偶然のように出合って、社会の中で再演させられていた物語ではない、もう一つの物語として絵画空間として広がっていく。
そこにあるのは、頭で考え、人工的に構築された世界でも、自然のままに任せた放縦な世界でもない。
小さなきっかけから自身と対話をし、できるだけ思考の罠にはまらないように、自分の存在の感覚が大きな流れに乗れるように、言葉を離れて、とらわれなしに紡がれる、温かみのある多様性の世界である。
忙しい日常ではできない孤独な時間。無のような余白のスペースをつくって、自分の中の、やり過ごされた思い、傷や感覚に触れてみる。

それをすくい上げるようにして、ひとり遊びのように絵筆を動かし、自我を静めながら、でも、ありのままの自分をむげにもしない。不安定を安定に向かわせるささやかな取り組みだが、それこそが加藤さんにとっては、なくてはならないものだ。
画一化された社会の物語や、評価基準を離れ、母であることも、妻であることも、教員であることも、何者かであることも、すべてのアノテーションを離れる。
1人の人間として、絵に向き合うこと、生きること、ありたい自分に向き合うこと、大きないのちにつながれることである。