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加藤マンヤ個展 織部亭(愛知県一宮市)6月25日-7月17日

加藤マンヤ

 加藤マンヤさんは1962年、愛知県生まれ。愛知教育大学(美術科)卒業、愛知教育大学大学院(芸術教育学科)修了。

 1997年、愛知県から新進芸術家海外留学助成金を得て渡英。1999年、Nottingham Trent University, England. M.A.を修了している。現在は、愛知県豊田市在住。

 1980年代は、ラブコレクションギャラリー(名古屋)、1990年代はガレリアフィナルテ(名古屋)などで個展を開いた。

 織部亭(愛知県一宮市)、ギャラリーOH(同)、マサヨシスズキギャラリー(愛知県岡崎市)などでも個展を重ねてきた。

 2002年、「今日の作家シリーズ/Abnormally Normal」(大阪府立現代美術センター)、2008年、「加藤万也 展 -湯桶と重箱-」(愛知・刈谷市美術館)が開催された。その他、グループ展も多数参加している。

加藤マンヤ

 個展は、2015年のA.G.Gallery(愛知県津島市)以来、7年ぶりである。

2022年 織部亭

 加藤マンヤさんは、日常への視点をずらすことで、世界の見え方を変化させるような立体、映像などを発表してきた。そこには、世界に対するアイロニカルな視線もある。

 展覧会初日には、アーティストトークが開催され、加藤さんが過去の作品をスライドで紹介しながら、コメントをしていった。筆者のように20年以上、作品を見ている者からすると、とにかく懐かしい作品のオンパレードであった。

 鉄道模型の電車が円形に閉じた線路を回っているが、線路が逆回転している作品(今回は展示していない)、やかんの注ぎ口にトランペットが付いたオブジェ(同)など、ジョークのような作品が多い。

 前者では、電車が動いているのに止まって見え、笛吹ケトルを真似た後者では、鳴るはずがない楽器が、水蒸気で鳴るように思えてくる。

加藤マンヤ

 クスッと笑える作品が多く、中には、ぱっと見、「オチ」に気づかない作品もあったりする。加藤さんの作品を詩に喩える人もいるが、筆者はどちらかというと、やはり一発芸的なジョークに近い気がする。だから、その切れ味が作品のテイストを左右する。  

 一本の金属でできた、決して外せない知恵の輪(同)、額ごと傾いたピサの斜塔の写真(同)、ネジ山と溝が螺旋状になっていない、使えないボルト(同)、すべてのページに付箋が貼られ、重要なところが分からない本(同)など、である。

 スライドトークで、実は、加藤さんはあまり自作について説明をしなかった。作品の構造がシンプルなので、説明すると、場合によっては、種明かしになってしまうからである。

 自分で軽く作品の「オチ」(コンセプト)を語り、「だから、何なんだって、ということになるんですが…」と、自虐的に取り繕って先に進み、笑いを誘った。この表層感、シンプルさが加藤さんの作品の面白さでもある。

 つまり、アイロニカルだが、シニカルではない。言い換えると、加藤さんの作品には概して、温かみがある。 

加藤マンヤ

 あえて政治性、社会性、世界観など、一貫したテーマを打ち出すのではなく、思いつきのような計略による相対化、ずらし、視点の変化、反転、ユーモア、ウイットなどによって、遊びのように世界の見え方に変化を与える。

 この表層性、軽さ、温かさこそ、加藤さんの作品の魅力で、彼は、多くのアーティストにありがちな「私って頭いいでしょ」的な嫌味や、難解さ、複雑な構造を持ち込まない。それは、加藤さんの人間性から来ているともいえる。

 だからこそ、説明してしまうと、「だから、何なんだって」になってしまう。「詩的」というほど抒情的でもなく、どちらかというドライである。「オチ」を言葉で説明してしまうと、元も子もない。

 だが、それは、現代美術全般の性質とも言えなくもないし、その意味では、加藤さんの作品は、すこぶる現代美術的である。

 そして、シンプルな構造だけに、鑑賞者の見方、考え方、属性、作品との距離感、時代によって、実は、多様な受け取り方ができると思っている。

 例えば、今回、戦艦模型の艦上に森があって、その真ん中にぽつんと一軒家がある立体作品「無人島」が展示されている。これなど、「タイトル」を含めて、あれこれ考え始めると、禅問答のように、深い気がする。

加藤マンヤ

 あるいは、スライドトークで紹介された、2014年、名古屋市の中川運河リミコライン・アートプロジェクトで発表された現地でのインスタレーションは、今、思い返すと、興味深い内容を含んでいる。

 一般に汚いとされる中川運河の水を、運河脇の建物内に設置した迂回路のような雨どいに流して、運河に戻すという発想が、水の環境問題、生活と水、都市と水辺空間などの意味から、とても面白い見方を提示してくれていることがわかる。

 それは、いわば、慣れ親しんだ意味や解釈の世界、固定観念、有用性や秩序、社会のルールの中に埋没している自分自身を、仕切り直してくれるような見方である。

 とりわけ、すぐに分けたり、比べたり、競ったりする見方を相対化させて、大きなつながったものとして見せてくれる視点がある。

 つまりは、鑑賞者が試される。「わかった、わかった」とすぐに納得してしまうのか、作品の温かさとアイロニーに触れ、楽しみ、自分を見つめ直すのか…。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。(井上昇治)

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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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