愛知県在住の美術家、堀田直輝さんの企画による演奏会
音楽と美術、詩をテーマに、愛知県在住の美術家、堀田直輝さんの企画による演奏会《resilence》が2020年10月31日、名古屋市中村区のスタジオ・フィオリーレで開かれた。小規模ながら、現代美術と詩、現代音楽を結び合わせる意欲的な試みだった。
プログラムは、①ジョン・ケージの「4分33秒」(演奏:太田結梨)、②それをノイズキャンセリング・イヤホンを装着した状態で鑑賞する《resilence》(演奏:太田結梨)、③ジョン・ケージ「トイピアノのための組曲」(演奏:太田結梨)、④ステファヌ・マラルメの詩、マルセル・ブロータース作品に基づく《M’s sheet music #1》(演奏:日比亮太)と、レクチャーである。
レクチャーでは、米国の作曲家で、バトラー大学教授のマイケル・シェリーさんの曲も演奏された。マイケル・シェリーさんは、大学間連携事業の一環で愛知県立芸大などと交流してきた経緯がある。
堀田直輝さんは、2009年、名古屋造形大卒業、2011年、愛知県立芸大大学院彫刻領域修了。日比亮太さんは、愛知県立芸大ピアノコース卒業、同大学院修了。太田結梨さんは愛知県立芸大を経て、同大学院を修了。
ジョン・ケージ「4分33秒」
最初は、ジョン・ケージによる沈黙の曲「4分33秒」(1952年初演)。3楽章から構成され、一般には、鑑賞者は、ピアノ演奏がない4分33秒の間、沈黙によって、逆説的に世界にさまざまな音が遍在することを体験する。 絶対的な静寂の不可能性など、多くの問題提起をはらむとされた。 1楽章の長さは、東洋思想に傾倒したケージが、易経で決めている。
ピアノ奏者は、太田結梨さん。 太田さんはタイマーでの時間確認、鍵盤蓋の上げ下げ、楽譜めくりの動作を挟みながら、ピアノに向かった。
演奏者が鍵盤をコントロールして生み出す音はなく、鑑賞者は、太田さんの動作や、各聴衆が資料の紙に触れる音、会場周辺から聞こえる音など、意図しない音に対して、それぞれが主観的にどう意識化するかという状態に置かれた。
なお、東海地方では、1989年には、名古屋市美術館で、 第5回京都賞の受賞を機に来日した ケージ(当時、77歳)の作品を紹介する「ミュージアム・コンサート」が開かれ、「4分33秒」の新バージョンが演奏された。このときは、会場に設営された10本のマイクがさまざまな音を拾った。
また、1998年には、ケージの多様な芸術活動を紹介する「ジョン・ケージ特集 コンサート・版画展・ビデオ上映・ワークショップ ケージから始まる」が愛知芸術文化センターで開かれ、多角的にケージの芸術に光が当てられた。
堀田直輝《resilence》
次は、この「4分33秒」を、アップルのノイズキャンセリング・イヤホンを装着して鑑賞すると、どうなるかという試みである。堀田さんは2020年6、7月ごろ、ノイズキャンセリング・イヤホンを初めて着けた体験談についての動画を見る中で、ジョン・ケージの作品への応用を思いついた。
ジョン・ケージは、1951年にハーバード大学の無響室を訪れた際、意図せずに自分の神経系統の作動音、血液の循環音が聞こえることを発見。音楽と区別されるべきでない非音楽の音響が遍在すること、沈黙は完全な無音でなく、意図せざる音、ノイズで成り立っているという考察に導かれる。
無響室は、意図される音が存在しないはずの特殊な環境であるが、それでも、ケージは、自身の体の音を聞いたのである。ノイズキャンセリング・イヤホンも、それと近似的な体験だと言えるだろう。
ともすれば、ケージの音楽が、意図せざる音やノイズを聞くための沈黙であるとだけ捉えられかねないことに対して、堀田さんは、今一度、ノイズキャンセリング・イヤホンという新たなテクノロジーによって問題提起したともいえる。
実際のところ、筆者は、ノイズキャンセリング・イヤホン装着時、シーンと静まり返る状態で、ノイズを意識することはなかった。ケージの音楽は単にノイズを聞く音楽ではなく、「沈黙」という概念を創出することによって、それぞれの人間が音にどう関わるということを再考させているのではないかと、堀田さんは分析する。
ジョン・ケージ「トイピアノのための組曲」
3曲目は、ジョン・ケージ「トイピアノのための組曲」(1948年)。当日配布された資料によると、15小節からなる1ユニットが15回反復される。各ユニットの音の配置の比、第1〜5の各曲の比とも、7-7-6-6-4に従っていて、全体構造と小構造、マクロとミクロの照応が見られる。
使用したトイピアノは、米国シェーンハット製で、2オクターブが演奏できる。プラスチックハンマーで鉄棒を叩いて音を出す仕組み。スヌーピーで知られる漫画「ピーナッツ」の登場人物、シュローダーは、いつも、トイピアノでベートーベンの楽曲を弾いているという。
堀田さんは、古典音楽が伝統的な場所から日常性に移されたこの曲に、詩的宇宙空間をみる。
作曲:日比亮太/原案:堀田直輝《M’s sheet music #1》
《M’s sheet music #1》では、マルセル・ブロータース(1924〜1976年)が、フランス象徴派の詩人、ステファヌ・マラルメ(1842〜1898年)の詩「Un coup de dés jamais n’abolira le hasard(骰子一擲)」をグラフィック化した作品(1969年)を楽譜として捉え、演奏するという大胆な試みに挑戦している。
ブロータスは、ベルギーの詩人、映像作家で、1960年代以降に美術家として活躍。言語と造形の境界にある鋭敏な作品を残した。
カトリーヌ・ダヴィッドがディレクターを務めた「ドクメンタ10」(1997年)を筆者が見に行ったときには、欧米のコンセプチュアル・アートが再検討され、美術館制度を批判したブロータースも重要な位置を占めていた。
すなわち、ハラルド・ゼーマンが企画した「ドクメンタ5」(1972年)で発表されたブロータースによる虚構の美術館「近代美術館鷲の部」の「セクシォン・パブリシテ」の展示が再構成された。
ブロータースはマラルメの詩の言葉を黒く塗りつぶした。一見、詩自体が消されたかに見えるが、むしろ詩そのものの言葉の意味が強烈に表示されている。このブロータースの行為によって、詩が音声そのものとなり、ページ全体に響き渡っている。
堀田さんは、その作品を楽譜と見立て、日比さんに演奏を依頼した。
日比さんは、マラルメの詩について、フランソワーズ・モレルさんによる「ステファヌ・マラルメ賽の一振りは断じて偶然を廃することはないだろう 原稿と校正刷 フランソワーズ・モレルによる出版と考察」(柏倉康夫訳)からインスピレーションを受け、作曲した。
日比さんは、マラルメの詩のカリグラフィーを舞台美術に見立て、作品の1ページごとに舞台転換するように、複数の文化、ジャンルから引用した楽曲を演奏。大海で荒波にのまれ船が難破してもなお、世界の全てを1冊の書物に統一するような不可能な詩作に駆り立てられる狂気に希望を託す作品の主人公を自分に憑依させ、演奏していった。
日比さんはこの日、突然の笑いなどパフォーマンスを導入し、ゴジラのテーマ曲など数多くの曲を引用。鍵盤ふたを被せた状態で弾くなどしていた。
日比亮太レクチャー マイケル・シェリー
このほか、日比亮太さんによる演奏とレクチャーも催された。
マイケル・シェリーさんは、米国の現代音楽の作曲家。日比さんは、2010年に愛知県立芸大を訪れたときに出会った。
他の作曲家の曲を引用、変形させる。音楽の形式を尊重しつつ、それに満足せず、偶然、遊びの要素を取り入れている。日比さんは、パフォーマンスを交えたユニークな演奏を披露。マイケル・シェリーさんは、ピアノを遊び道具にすることを教えてくれたという。