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伊藤誠展 ガレリアフィナルテ(名古屋)で2024年5月14日-7月6日に開催 Part.I 立 体5月14日-6月8日/Part.IIドローイング他6月18日-7月6日

ガレリア フィナルテ(名古屋) 2024年5月14日〜7月6日

伊藤誠

 伊藤誠さんは1955年、愛知県生まれ。武蔵野美術大学大学院造形研究科彫刻コース修了(修士)。

 1992年「現代美術への視点・形象のはざまに」(東京国立近代美術館)、1995年「現代美術の場と空間《やわらかく、重く》」(埼玉県立近代美術館)、「視ることのアレゴリー1995:絵画・彫刻の現在」(セゾン美術館)、2000年「越後妻有アートトリエンナーレ2000」、2001年「ヴァイブレーション 結びあう知覚」(宇都宮美術館)などに出品した。

 2021年に、画家の赤塚祐二さんとの2人展をフィナルテで開いている。FRPやステンレスメッシュ、鉄、木、ゴムなど、多様な素材を使い、シンプルなのに見たことがなく、全体像が捉え難いユーモラスの形態を作っている。

 形の整合性と不調和の共存、異素材、異なる質感の組み合わせや、表面への彩色・描線によって、錯視的な性質も内在させ、鑑賞者の視点によって、1つの作品とは思えないほど見え方が変化する。シンプルさと複雑さ、豊かさが共存する作品である。

Part.I 立 体2024年5月14日-6月8日

 「台座付ちゃぶ台」(2023年)は、直方体の台座の上に、楕円の亜鉛鉄板が据えられた作品である。タイトルに「台座付」とあるように、彫刻を置く台座が作品の一部を成しているところが、そもそもユーモラスである。

 黒い油彩の線で、ちゃぶ台を斜め下から見たパースが描かれている。ちゃぶ台の黒い線と亜鉛鉄板の形との不思議な関係、殺風景な裏面から見たときとの違いが相まって、なんとも奇妙な感覚に誘われる。

 見たことのない、いわく言い難い作品。さりげなくも、違和感のようなありようが、伊藤さんの作品の性質をよく表している。見え方の多元性、鑑賞者の視線による、うつろいが伊藤さんの作品の魅力である。

 この作品では、たとえば、床置きの作品で、やや見下ろしている感覚なのに、傾いたちゃぶ台を下から上に見ているような視覚性、表から見たときと、裏から見たときのギャップなど、である。

 完全性、統一性を放棄し、多方向からの、さまざまな性質の視線を迎え入れる複雑性、部分の個別性、それらの葛藤、つまりは寛容さが、そこにはある。

 作品の全体性が奇妙な感覚に誘いつつも、多面性、複数性のどこかにか、書き割りのような恥ずかしさ、間抜けさもあえてさらしているようなあり方なのである。

 「地下室Ⅲ」(2001年)は、亜鉛鉄板、鉛、ステンレスメッシュを素材とした小立体である。この作品のように、壁に据えられた作品も伊藤さんには多い。

 この作品もシンプルなように見えて複雑である。全体性の中に、全体を忘れさせるような多様な部分の形、見え方、質感が存在するのだ。

 それは、全体を見ようとすると、曖昧な塊であると同時に、ある方向から凝視すれば、反対側への意識が遠のくような感覚である。かといって、それを曖昧な塊では済まさない興味を掻き立てるものがある。

 単純そうに見えながら、反対側の意表をつく複雑性や、ステンレスメッシュのような素材の選択にもよっている。

 伊藤さんの作品は常に、彼らしい作品性のたたずまいを見せながら、決して、決まったシステムのような制作原理に集約されることがない。

 「generator」(2024年)は、スツールのような台に取り付けられた木製の軸がゆっくり回転し、そこに2つの金属の幾何学形態が付いているという作品である。

 軸が直線でなく、波打っている上に幾何学形態も視点によって見え方が変わるように仕組まれているので、まさに伊藤さんの作品の特徴である、単純さと複雑さが共存している。

 伊藤誠さんの作品は、作品を素材や制作方法、形態や色彩などによって原理化する方向には向かわず、むしろ、全体性を持ちながら、不統一で分裂的な見え方を志向する。

 すなわち、単純に見えて複雑、合理的に見えて不条理、生真面目に見えて諧謔がある、という形態によって、自分はこうであると主張するアイデンティティーでなく、ただ自分であることをさらけだしている。

 不変的な塊の彫刻でなく、見る人にとっての実感の彫刻なのである。

Part.IIドローイング他2024年6月18日-7月6日

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