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折原智江「息を止める事をやめる」

gallery N(名古屋) 2019年8月24日〜9月8日

多摩美術大学で陶を専攻した後、東京芸術大大学院美術研究科先端表現科を2017年に修了した若手、折原智江のテーマは「生と死」。前回2017年の同じ画廊での個展のタイトルは「死なないセレモニー」と、荒川修作を彷彿とさせるものだった。その延長上にある今回は「息を止める事をやめる」と題し、立体と映像、インスタレーションを展示。前回が肉親に対する「死ぬな」「生きよ」というメッセージだったのに対し、今回は、自分を含め、生きる意思を線香などの逆説的な素材や、生理的、生体的な素材で表現しているのではと思わせた。
 面白いのはまず、そうした素材の選択と扱い方である。以前、実家の煎餅店にちなんで、第19回岡本太郎現代芸術賞展(2015年度)で岡本敏子賞を受賞した作品では、墓標を煎餅で作ったこともある。今回、ギャラリーを入ってすぐの空間には、線香と炭、灰を素材とした展示を試みている。このうち、線香で作った松は、前回の個展でも別バージョンのものが出品されたが、線香自体が、折原が線香やお香の一大産地である兵庫・淡路島で1週間ほど修練し、原料から自分で調合して製造した。あるいは、奥の畳敷きの小空間にあるインスタレーションの盛り塩は、なんと自分の涙から生成した塩を素材に使っている。

折原智江

 一面に白い灰を敷き、その上に黒い灯篭、丸石、ゴツゴツした岩、松を配した展示がある。松は、線香の素材でできていて、折原がタブ粉(タブノキの枝葉を乾燥させ、粉末にしたもので、線香や蚊取り線香の粘結材になる)に顔料や香料を調合し、自ら作った。緑色で細長い松葉と線香の色や形の類似という面白さもあって、なかなかユニークだ。灯篭、石などは、タブ粉に備長炭のパウダーを混ぜて練り上げた素材を使って整形。松は葉も幹もリアルに再現してある一方、灯篭や石、岩は黒一色なので、異様な印象を与える。
 線香の松は、がんを患った母親の快癒を願って制作したのがきっかけ。病気の回復に向け、死のイメージを伴う線香を使うというのも不思議だが、あえて、線香で不老長寿の象徴として縁起がいい松を形作り、長く続く健康な生が死を封じ込めるような思いを込めたようである。邪気を払う灯篭や、堅固なイメージのある石という連想も可能だろう。
 一方で、線香や炭粉という素材が、燃えると容易に粉末状の灰になることにも目を向けたい。こうした燃えやすい素材は、下に敷き詰められた燃えかすの灰にによって、一層、儚さと物質の態様の変化を見る者に意識させる。人間を含む動植物の遺体は微生物の作用によって分解され、土に還る。燃焼した動植物は二酸化炭素や水蒸気になって空気中に放散され、残った金属元素が灰となる。ここに、生きとし生けるものの循環も想起されそうである。

折原智江

 奥の間仕切りのある空間では、そうした植物由来の素材に着火し、折原自身が呼気で燃焼させるパフォーマンスが映像化されていた。ここでは、素材が燃えて灰になるという変化が明示されるとともに、見えない呼気には、ため息のような邪気を排出するという面と、生きている象徴である呼吸、人間の生気という両義性が可視化されている。一方、奥の畳敷きの展示室には、涙から塩を生成するキットが展示され、折原が自身の体内から採取した涙と、スポイト、涙から生成した塩を円錐形にした厄除けの盛り塩が置かれていた。ここにあるのは、呼気や涙という自分の体から排出された感情や、生きている証しを視覚化するというシンプルな発想だが、呼気や涙が体内から体の外に出ていくことは、動物が環境や状況に適応する生体反応であって、「生きろ」という体の声でもある。
 かつて、中国・タクラマカン砂漠で岩塩の川を見て、日本人の自然観を超えた圧倒的な光景を見たのは、彫刻家の故村岡三郎さんであった。そこに、情緒を排した生命と物質への洞察があったのに対し、折原は、むしろ情緒的な部分や個人的な体験、言い換えると、肉親の死や病気、あるいは自分という身体から出てきた感情や新陳代謝などを起点に、環境や自然との交わりの中で、生と死を考えているとも思えた。

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