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宮下大輔「exh 20200704」

gallery N(名古屋) 2020年7月4〜19日

宮下大輔「exh 20200704」

 宮下さんは1980年、広島県生まれ。広島を拠点に各地で個展、グループ展を開いている。gallery Nでの個展は2018年に次いで、2回目である。

 宮下さんは、視覚的な遭遇をコンセプトに作品を展開している。主な作品のシリーズは3つあり、今回は、併せて、それらのベースとなる資料写真のサムネイルをマトリックス状にした「作品」を展示した。

宮下大輔

 視覚的な遭遇は、日常の中で不意に目に留まった物体を撮影していくということで、作品を作るという前提や目標、文脈、コードがなく、できる限り作為性を排除した物との偶然の出合いを重視している。

 その写真は、コードなきメッセージであるロラン・バルトのプンクトゥム、主観的イメージや詩的な要素、情緒を動かすドラマ性などがなく、物が物であることだけを示した中平卓馬の図鑑・カタログ的な写真を想起させる。

 あるいは、共通する類型によって収集したイメージ群をマトリックスとして提示したベッヒャー夫妻も、比較する対象として頭に浮かんだ。もちろん、類型提示による記号化されたイメージの収集を通して、逆にそれぞれの差異を抽出する「タイポロジー(類型学)」とは異なり、宮下さんの作品は、文脈の無さがコンセプトである。ただ、日常の中で目に留まった対象を整列させたとき、そこにあるタイプ、視覚のパターンが存在するのではないかとも思う。

 また、物との出会いということでは、もの派も参照されるかもしれないが、宮下さんの作品は、瞬間に対象と目が合った、出合ったという事実に重きが置かれていて、物との関係、物の存在と空間、「見ること」など事後的な要素が入ることは、ほとんどない。

 宮下さんは、日常の流れゆく風景の中で、瞬間、ふと目が合うように遭遇する物、風景を記録資料として写真におさえ、そのアーカイブを基に作品をつくっている。今回、そのサムネイルをマトリックスに並べた作品を数多く展示したが、この写真群は、まさしく、マトリックスの語源に近い「母体」「生み出す機能」のように、宮下さんの作品の基盤となるアーカイブである。

 撮影は、日常のあらゆる場面で行われる。普段暮らす広島以外に、愛知、福岡、大阪、東京など、出かけた場所や移動中も含まれる。

宮下大輔

 自分から物を探すなど、目的意識は一切捨象し、瞬間に無意識に目が合った物だけを撮影するという姿勢を貫いている。意思、意味、物語、文脈、解釈、目的、理由、情感を排除した、ただ存在し、何らかの「気配」として目がフォーカスした事実だけを衝動的に撮影する姿勢である。

 また、作品にするときも、「作品」然とならないようにしている。スナップ写真のサムネイルをマトリックス状にした作品も、撮影は全てコンパクトデジカメを使い、サムネイルは、撮影した時系列に並べる。印刷するのも、光沢紙などではなく、自宅コピー機の普通紙である。写真はカッターナイフで切り、ケント紙に木工用ボンドで貼る。

 このように、宮下さんは、自分の周囲にある素材、機材しか使わない。2000年から、淡々と撮影を繰り返す。今回は、2008年以降の写真だという。それらは、横7×縦4、横8×縦4、横12×縦7のマトリックスになっている。

宮下大輔

 こうした姿勢を貫くのは、できる限り事実だけを「作品」にするためである。物や風景は、目に留まった瞬間は認識に基づく事実だが、次の瞬間からは解釈が始まる。頭が動きだすと、解釈はどんどん大きくなる。宮下さんは、そうではなく、作品にする気がないもの、日常的にただ遭遇したもの、解釈のないものをできるだけ事実に近いところで「作品」にすることをあえて選んでいる。

 この基礎資料としての画像のアーカイブから、3つの系列の作品が生まれる。

 電源タップ、紙コップ、ゼムクリップなど、取るに足らない物を撮影・印刷した像をトレーシングペーパーで転写し、取り出した輪郭を反復するように描くドローイングのシリーズである。反復パターンを作る際にパソコンを使う以外は、カーボン紙を使ってペンでなぞるだけで、アート的な演出はしない。

 製品の取り扱い説明書にある図のような無表情な「作品」だが、このドローイング作品は、とてもプレーンで、美しい。

 次の作品として、日常生活で、手の届く範囲にあって目に留まった小さな物、手に取れるぐらいの物を、意味を捨象して衝動的に集めたシリーズがある。作品の素材に使おうなどと考えることもない、取るに足らない物ばかりだ。ただ、目が合って手を伸ばした物である。それは、例えば、部屋の中で、捨てられなかったという程度の物である。

 作品にする気もなく、気がついたら拾い集め、貝塚のようになったこれらの物は、文脈なくマトリックス状に並べたインスタレーションとなる。整理はされているものの、並べ方は成り行きまかせで、意味も物語性、関係性もない。

宮下大輔

 3つ目の作品は、アーカイブの写真にあるビル屋上の貯水タンク、エアコンの大型室外機、街中のまだ広告が描かれていない白い看板、冷蔵庫など、白やそれに近い色の矩形、箱型の物体の要素をブレンドし、ギャラリーで再現して組み立てた立体である。

 これらは、段ボール、模造紙、角材など日常的な素材で作られ、中から装置が稼働しているような機械音が聞こえてくる。同じ素材を繰り返し使って、その都度、会場に合わせて作り替えるため、釘あと、紙の貼り直しなどがある。

 さて、これら3つの連作、すなわち、図のような簡素なドローイング、手の届く範囲で目に留まった小さな物をマトリックスに並べたインスタレーション、機械音の鳴る箱型の白い立体、及び、それらの作品の基になった視覚的遭遇物の写真サムネイルのマトリックス作品から感じるのは、この作家にとっては、唐突に予期せず目が合った物、不意に到来した物、原因・理由もなく視覚の対象となった物が存在したという事実、その物との遭遇が最も重要だということだ。

 そのとき、その場所にあり、自分が出合ったという事実をできるだけそのままに残す。事後的解釈、意味、物語、分析は可能な限り取り除く。物と出合ったという事実がそこには強固にある。

 1つ面白いと思ったのは、人間は、とにかく物語、解釈が好きだということである。本当は、事実と解釈は違うのに、頭で解釈してしまい、思い込みや妄想に取り憑かれ、生きることを辛くしてしまう。時には、それが原因で、仕事や人間関係、人生で失敗を繰り返す。例えば、100%のうち、事実は1%しかなく、99%は自分の勝手な解釈かもしれないのに、まるで100%全てが事実だと思い込んで、妄想に支配されているのである。

 自分を含めて、そうである。

 ある瞬間、ある物が目に留まったという事実、物が存在したという事実、それだけを感じながら作品を見ると、1つ1つの小さな物を巡る事実が力強く感じられる。自分を見つめ直すきっかけにもなりそうである。

宮下大輔
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文化とメディア—書くこと、伝えることについて

1980年代から、国内外で美術、演劇などを取材し、新聞文化面、専門雑誌などに記事を書いてきました。新聞や「ぴあ」などの情報誌の時代、WEBサイト、SNSの時代を生き、2002年には芸術批評誌を立ち上げ、2019年、自らWEBメディアを始めました。情報発信のみならず、文化とメディアの関係、その歴史的展開、WEBメディアの課題と可能性、メディアリテラシーなどをテーマに、このメディアを運営しています。中日新聞社では、企業や大学向けの文章講座なども担当。現在は、アート情報発信のオウンドメディアの可能性を追究するとともに、アートライティング、広報、ビジネス向けに、文章力向上ための教材、メディアの開発を目指しています。

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