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梶 なゝ子展

Gallery NAO MASAKI(名古屋) 2019年6月22日〜7月7日

無造作に置かれた深い茶色の土塊らしきものが二つ。その間をつなぐ位置に指の痕跡が残る濃いグレーの小山。そして、淡い白色の陶板が地盤のように滑り込み、あるいは急峻な峰々のようにそそり立つ。陶土の連なりは彫刻やオブジェというほどに主張せず、簡素で、形を作りすぎることはない。
作品は、石そのままか、粘土を焼くだけか、構築とまではいかない痕跡のようなアンフォルムな塊か、そうでなくとも、プライマリーな形態か。つまり常に控えめなのに、それでいて、それらの配置が広大無辺の風景をなし、情趣を伴って作用してくる。それは、自然のリズムや世界の成り立ちについて、そして地球の中の小さな物質でしかない人間について、気づかせてくれるようだ。
梶 さんは焼き物の作家ではあるけれど、同時に底流に流れる思想ははるかに気宇壮大である。例えば、路傍の土塊、石ころに宿る何十億年と刻まれた遠大な時間の堆積、大いなる自然と大地への想像力、太古の時代を巡る思索とともに生き、素材との邂逅、手作業と配置を通じて風景を作り上げている。土を扱う作家には同様に物質の根源的時間に下り立つ志向をもつ人がいないわけではない。現代美術寄りの作家にはそうした思想で作品を展開させる人もいるのだが、日常の生活や旅先で出合う一片の土や石、あるいは木の枝、自身が暮らす大津市の琵琶湖岸に捨てられた物までそうした眼差しで眺める人はいないだろう。
展示された作品は、一階が陶のオブジェ、というより、陶や石、木の枝をしつらえ、空間とともに見せるインスタレーション、二階が、モノトーンのシックな器類である。

 異なる形と素材、色彩と触覚性が均衡と統一を保つ向こうには、ケント紙に鉛筆で塗り重ねたグレーの平面作品があり、この土の立体作品の遠景になっている。比較的重さを感じさせる土塊、自然のことわりでそうなったのかと思わせる指の痕跡が残る官能的な陶土、鋭角的に介入してくる陶板。それらは関わりを持ちながら、量感を排除して、まさに風景となる。これらを山水の近景、中景に見立てるなら、後方にある鉛筆の平面作品はそれらを包む遠景であり、遥か彼方のカオス、大気、宇宙と言ってもいいのではないか。物は物だけで存在するのではなく、それを包む世界があるからこそ存在しうる。
 荒涼たる土の風景でありながら温かみがあるのは、素材がやはり自然のものだからだろう。無造作に配置された陶や石、枝などは、梶さんが自然の摂理と作家の感性が符合する瞬間を見逃さなかったというほかない秩序を保つ。このシリーズはおおよそ2006年ごろから始まった。

梶なな子さんの作品

陶芸を学んだのは京都市立芸大陶磁器科。彫刻をやりたかったが、日本画家だった父親からの勧めもあって陶磁器の方に進んだ。時は1970年代中ごろ。自由な気風の中、現代陶芸を切り開いた走泥社の八木一夫、日展系の宮下善爾、あるいは藤平伸などから幅広く吸収することができた。
初個展は78年。80年には、兵庫県立近代美術館の「アート・ナウ」展に選ばれるなど早くから注目される。日本の非器系の作品は、八木一夫の「ザムザ氏の散歩」(1954年)を記念碑的作品とし、その神話性に基づき、土素材の特性を拠り所としたクレイワークという概念へと展開し、やがて土素材を相対化させながら現代美術化へと進む。さらには、それへの反動的応答としての金子賢治氏の「工芸的造形論」が、日本の「現代陶芸」というジャンルや、何でもありの「現代美術」の概念と絡み合いながら、純粋性(原理化)と包括性(拡散化)の両極で揺れながら展開しつつも、おおよそ80年代から90年代と比べると、陶芸作家が「アート」の世界で活躍する頻度は減ったように思う。
興味深いのは、彫刻を希望した梶さんが、その後も陶芸の閉じた価値体系にとらわれず、モダニズム絵画の山田正亮やオーストラリアのアボリジニ画家エミリー・カーメ・ウングワレーなどにも多くの刺激を受けたと語っている点だ。梶さんの作品は無彩色の世界と言ってもよいが、山田正亮のストライプの絵画にしてもエミリー・カーメ・ウングワレーの絵画にしても多彩色であり、そうした豊かな色彩の世界に目を向けているというのが、どうしても気になってしまう。三者に共通するものをたやすく見つけるのは控えるにしても、三者とも、創作することが生きることそのものであるというのは言えるのではないか。焼き物の世界では、八木一夫より同じ女性で人類史的な視野を感じた先達、荒木高子に憧れたというのも興味深い。
1980年代には、器物と区別される土の造形であるクレイワークのグループ展にも参加する。もっとも、「土が特別好きというわけではない」などという発言を聞き、梶さんの作品を見ると、土を通じた人間と自然、物質と地球、時間、風景に対する自身の世界観が創作の重心になっているのは間違いないと分かる。京都の美術学校で集中講義をした時、改めて土について思考を深めた時期があったようだ。聞くと、それは地球の歴史、宇宙の歴史にも関わる射程を持っている。地球ができた頃のマグマ、それが長い時間をかけて冷却した岩石、太陽の光や熱、風雨、植物。土や石、粘土は梶さんにとって単なる素材ではなく、それを超える対象として、同じこの地球の大地に立つ自分に感覚的、生理的に入ってくるものだ。

例えば、知人の工房で捨てられていた苔むした粘土の塊が作品を構成する上で欠かせない要素となる。鉄やマンガンなど金属成分を含んだその土塊。あるいは、それとは別の色合いの粘土をこね、手の痕跡や亀裂がコケティッシュでさえある不定形の陶、さらに白い鋭利な陶板や、どこかで拾った石、栗渋を塗った木の枝。各要素が一つの風景の中で対比され、調和する。琵琶湖岸で捨てられたタイヤや機械などのごみの写真が加わることもある。こうした写真は、7、8年ほど前から撮るようになった。人間が使っているうちは道具であったものが捨てられ、文明と欲望を離れてお払い箱になると、物質性を主張しだす。焼き物ももともとは地球の構成要素である物質であった。土も写真に写された物質も同列なのだろう。
こうした淡々とした取り合わせが、地球上の様々な変化、膨大な時間、人間の意識と技術、風景への詩的解釈を内包させている。それは、地球の歴史に比せばたかだか100年ほどの人間である梶さんとこれらの出合い、かけがえない美意識の流れがあって初めて、ここに存在しうる風景でもある。
梶さんの「うつわというかたち」という作品名から見えてくるのは、器が先にあるのではなく、人間が手を動かして土をこねていく中で、器のような形が生まれてきたとも言うべき、プリミティブ、根源的な人間の営みに対する梶さんの眼差しと、その先にある大地と遠大な生命史、物質を巡る地球史である。梶さんの詩性と共に生み出された風景論がここにある。
「戦いに勝ったものたちの歴史ではなく、静かに世界を見はるかす無数の小さきものたちの歴史があると思う」とは梶さんの言葉。ここには「敗者」の、否、「敗者」だからこそ見せてくれる存在を引き寄せ、作品にしてきた梶さんの姿がある。次々と上書きされ、過去の記憶も消えていく中にあっても、大地は、土はなお、そこにある。梶さんは大地から一片の土、石ころをすくい上げて、敬虔な感情とともに自在な風景論を問いかける。

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