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生川和美展

GALLERY IDF(名古屋) 2019年10月5〜20日

生川さんは1977年、三重県生まれ。美大を目指したこともあるらしいが、結局、大学は文学部に進み、ほとんど独学で絵を描いてきた人である。この画廊でグループ展に出品するようになった後、個展を継続して開いてきて、今回が8回目。自分で撮影した写真を元に写実的に描いていくのだが、クールに洗練された描写というより、むしろ対象への思いをイメージに置き換えていくように実直に描いている感さえある。以前、多くはバラなどの観賞用の花がモチーフ。とりわけ光が重要な要素になっていて、光の当たり具合によって、美しさを増す半透明な花弁やハイライトになる葉、影となって緑が深まる部分など、繊細な変化の定着を狙っている。

写真を写し取るように描きながら、冷徹なリアリズムにならないのが、技術的な生硬さに由来しているのも確かだが、それと同時に、対象との近しい距離感の表れ、対象に近づきたいとの心情の表れのようにも感じられる。画面に浮かび上がる生硬さは、どことなく艶めかしさにもつながっているのである。たぶん、それは生川さんが描き始めから一貫して細い筆で写し取っていくからで、画家によっては、それが無表情になる場合もあれば、生川さんのように温かさが生まれることもあるのだ。
アップで撮影した花を描く場合、ピントが合った手前の花弁や葉と、ぼやけた奥の葉や影になった葉によって奥行きが強調されるが、それも写真的なイメージを意識したといより、生真面目に細筆で色を重ねていった感じ。ところどころほつれたようになった絵の具の破調が表情につながっている。描き終えた絵そのものだけでなく、細い筆で薄塗りを重ねる過程の大切さが伝わる。それが、対象に寄り添う、対象を引き寄せたいという温かさに通じているのだろう。

そうした傾向は、今回の大作の風景画でより顕著である。小品であれば、あるいは、観賞用の花をクローズアップで大画面に描いていたものであれば、フォーカスした花をカメラが機械的に捉えたイメージをフォトリアリズム風になぞった戦略的な構えと思われかねないものが、今回のような大画面では感じられず、むしろ別の印象を与えるからである。
今回展示された大作は、秋の立山のパノラミックな絶景である。近年、描くモチーフがバラなどの観賞用の花から、山岳や野山の風景、草花に変わってきた。左に見える深い青色の池は室堂のみくりが池だろうか。北アルプスの山々が背景にそびえ、手前には、花々が繊細な筆触で丁寧に描かれている。草花の枯れた茎、陰影や光のかすかな変化、葉の色の違いや緑の粗密、土の感触まで描き分け、近くには、ライチョウが姿を見せている。完成まで1年半を要したというのも頷ける、細筆による絵の具の集積である。

違和感のような奇妙な感覚を生み出しているのも確かである。小品であれば、写真を写し取ることによる前ピンの強調や、逆光などからくるものだろうが、今回のような長大な風景の場合は、それとも違う。これだけの風景を描いているのに雄大さはさほどでなく、美しさを追求した写実絵画でもない。細密な表現と壮大であろう風景からくるアンバランスさと言えばいいのか、「風景写真」のような雄大さをテーマにしたものでも、美しい「風景画」を描くことを一義的な目的にしたものでもない。むしろ、元になった写真を合成し、これだと決めた世界を一途に心情を埋め込むように細筆で写し取ることからくる世界を愛おしむような感覚、そこからにじむエロティックさ、心情を鏡のように映した繊細な肌理が、ここにはある。それは、高山植物や山岳の風景、かつてのモチーフで言えば、観賞用の花が恋愛の対象であるかのような描き方である。人生の日記のようなものかもしれない。

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